第7話 ストア審査より厄介なもの
そうして、ヒスガル三周年イベントは、当初の予定から大きく外れた。
猫耳半妖の第六天魔王。
聖女本人の監修。
修正史管理局からの警告。
ストア審査と世界史崩壊の板挟み。
冷静に考えれば、全部終わっている。
でも、不思議と俺は、少しだけ書ける気がしていた。
目の前にいる信長は、記録の中の人物ではなかった。
ガチャの中のキャラでもなかった。
確かにここにいて、怒り、笑い、文句を言い、未来を求めている。
なら、書くしかない。
彼女がもう一度、この時代で戦える物語を。
そう決めたところで、現実は急に優しくなったりしない。
むしろ、現実はたいてい、決意した直後に牙を剥く。
「ストア審査、止まりました」
午後二時四十六分。
開発フロアに戻ってから三時間後、運営担当の高橋さんが、死んだ目でそう報告した。
高橋さんは運営チームの実務担当で、イベント告知、SNS投稿、ストア申請、緊急お知らせ作成、ユーザーからの問い合わせ一次対応などを担当している。要するに、何かが燃えた時に最初に火を浴びる人である。
「理由は?」
佐伯さんが聞く。
「不明です。通常なら通るはずの画像差し替え申請が、なぜか追加確認に回されました。あと、アプリ説明文の一部がポリシー違反の可能性ありと」
「どこ?」
「ここです」
高橋さんが画面を見せる。
問題の文言は、三周年イベント紹介の一文だった。
――歴史に封じられた魔王が、今ふたたび目を覚ます。
「……まあ、怪しいと言えば怪しいですね」
俺は言った。
「宮田くん、今は正直な感想いらない」
佐伯さんが胃を押さえた。
「高橋さん、別案出そう。『三周年限定キャラクター登場』くらいまで弱めて」
「はい。あと、SNSの予約投稿も弾かれました」
「弾かれる?」
「投稿予約自体はできるんですが、プレビュー画面で文字化けします」
「どんな風に?」
高橋さんがスマホ画面を見せた。
投稿予定文。
――三周年限定SSR《獣血天魔・織田信長》登場! 本能寺の炎を越え、魔王は新たな戦場へ――
のはずだった。
だが、表示されている文は違った。
――三周年限定SSR《織田信長》登場。歴史上の人物をモチーフにした新キャラクターです。史実とは異なる演出が含まれます。
佐伯さんが天井を見た。
「無難になってる」
「ものすごく無難です」
「しかも丁寧」
「勝手に校閲されてますね」
俺が言うと、背後から信長の声がした。
「腹立たしい文だな」
信長は、黒川さんの予備パーカーを羽織っていた。
会議室から開発フロアへ移動する際、さすがに軍装のままでは目立ちすぎるということで、黒川さんが私物を貸したのだ。
猫耳はフードの中に押し込んでいる。
ただし、押し込めているだけで、動くたびにフードの中が微妙に跳ねる。完全に怪しい。
「信長さん、声を抑えてください」
俺は小声で言う。
「なぜだ」
「他の社員に聞こえます」
「聞かせればよい」
「よくないです。現代社会は段階的な情報共有を重視します」
「面倒な世だ」
「はい」
信長は不満そうに腕を組んだ。
「それで、これは奴らの仕業か」
「おそらく」
ジャンヌが答えた。
彼女も開発フロアの隅にいた。
なぜか自然に馴染んでいる。白と青の衣装は目立つはずなのに、黒川さんが「資料撮影用の衣装確認です」と言ったら、周囲の社員たちは「ああ、黒川さんの関係者か」と納得してしまった。
黒川さんのコスプレイヤー属性、便利すぎる。
「管理局は、貴方たちの意思を直接折るよりも、現実の手続きを使って削ってきます」
ジャンヌはモニターを見ながら言った。
「強い言葉を弱める。尖った設定を丸める。危険な表現を別の言葉に置き換える。誰かが悪意を持って消したようには見えない形で、少しずつ」
「校閲ですね」
「はい」
「やってることが編集者っぽい」
「良い編集者は、物語を生かします。彼らの校閲は、危険な物語を眠らせるためのものです」
ジャンヌの声は穏やかだったが、そこには苦い響きがあった。
眠らせる。
信長を記録の中へ戻す。
たぶん、彼らはそういうつもりなのだ。
俺は自分のPC画面に戻った。
イベントシナリオのファイル。
タイトルは、さっき打ったままだ。
《獣血天魔・織田信長 ――本能寺の先へ》
その下に、本文を書こうとしていた。
だが、保存したはずのあらすじが消えている。
「……あれ」
「どうしました?」
黒川さんが横から覗き込む。
「書いたメモが消えてます」
「自動保存は?」
「有効です。でも履歴にもない」
履歴を開く。
さっきまで存在したはずの文が、どこにもない。
代わりに、見覚えのないテキストが一行だけ残っていた。
――織田信長は、本能寺にてその生涯を終える。
俺は手を止めた。
見ているだけで、妙に息が詰まる文だった。
事実としては間違っていない。少なくとも修正史ではそうだ。
だが、今この場で見ると、それは事実というより命令に近かった。
信長は、本能寺で終われ。
その先を書くな。
そう言われている気がした。
「宮田」
信長が俺の画面を見ていた。
表情は動いていない。
けれど、フードの中の耳だけが、わずかに伏せていた。
「消せ」
「はい」
俺はその一文を削除した。
すぐに新しい文を打つ。
――織田信長は、本能寺にてその生涯を終える。
また出た。
「……しつこい」
もう一度削除する。
もう一度出る。
削除する。
出る。
削除する。
出る。
まるで世界そのものが、その一文だけは譲らないと言っているようだった。
佐伯さんが青ざめる。
「これ、ファイル破損?」
「ファイル破損ならまだいいです」
俺は言った。
「たぶん、歴史が上書きしてきてます」
「嫌なバグだなあ」
信長が刀の柄に手をかける。
「斬ればよいか」
「PCをですか」
「その文をだ」
「文は斬れません」
「不便な世だ」
「現代でも、文はだいたい厄介です」
ジャンヌが俺の画面を見つめた。
「これは、修正史の固定です」
「固定?」
「織田信長は本能寺で終わる。そう定められている。貴方がその先を書こうとすると、修正史が元の形へ戻そうとするのです」
「じゃあ、どうすれば」




