第6話 織田信長を実装します
信長が、退屈そうに言った。
「現代人は臆病だな」
「信長さん」
佐伯さんが言う。
「現代人はサーバーが落ちただけでかなり困ります。神話に飲まれたら本当に困ります」
「脆い世だ」
「脆いから守るんです」
その言葉に、信長は少しだけ黙った。
佐伯さんの声は、いつもの胃痛混じりの弱い声だった。
でも、その中には、現代を預かる者の重みがあった。
信長はそれを感じ取ったのか、何も言い返さなかった。
ジャンヌが俺を見る。
「宮田春樹さん」
「はい」
「貴方の書いた信長は、本来史に触れました」
「……はい」
「おそらく、偶然ではありません。現代に積み重なった無数の創作、信長という存在への解釈、女体化、魔王化、異能化。それらが本来史の残響と重なり、貴方のシナリオが最後のきっかけとなった」
「きっかけ…」
「はい」
ジャンヌは信長を見る。
「そうして、彼女はここにいる」
信長は腕を組んでいた。
けれど、その視線は、どこか遠かった。
「私は、呼ばれたのか」
「おそらく」
「宮田に?」
「宮田さんだけではありません。ヒスガルに、ユーザーの認識に、現代の物語に」
信長は不満そうに鼻を鳴らした。
「ガチャで呼ばれた魔王か。締まらぬな」
「ですが、悪いことばかりではありません」
ジャンヌは微笑む。
「祈りも、信仰も、物語も、人が何かを強く思うことで世界に重みを与えるという点では似ています」
「ガチャ祈願と信仰を一緒にしていいんですか」
俺が聞くと、ジャンヌは穏やかに答えた。
「程度の問題です」
「怒られそうですね」
「神はお許しになるでしょう」
「便利ですね、それ」
「私は、あとで詳しくお聞きします」
「すみません」
信長が、ふっと笑った。
「聖女も変わらんな」
「貴女ほどではありません」
二人の間に、修正史の教科書には存在しない時間が流れた。
佐伯さんが小声で俺に言う。
「宮田くん」
「はい」
「いま、俺たちが知ってる世界史が、かなり雑にひっくり返ってる気がする」
「はい」
「でも、これ議事録に残せないよね」
「残したらたぶん消されます」
「じゃあ、脳内議事録で」
「記憶も除去対象らしいです」
「終わってるなあ」
ジャンヌは、モニターに残る管理局の警告文を見た。
「管理局は、信長の実装を止めに来ます」
「どう止めるんですか」
「直接戦闘とは限りません。むしろ現代では、現代らしい手段を使うでしょう」
「例えば?」
「ストア審査の不自然な遅延。レビュー低評価爆撃。SNSでの炎上誘導。歴史監修からの突然の差し戻し。社内の空気を“無難にしよう”へ傾けること。サーバー障害。データ不整合」
「全部現場が一番嫌なやつですね」
佐伯さんが青ざめる。
「世界史からDDoS来るの?」
「可能性はあります」
「可能性であってほしかった」
黒川さんが静かに言った。
「では、信長様の実装を取り下げれば、問題は収まりますか」
ジャンヌは答えない。
代わりに、信長が言った。
「収まるだろう」
その声は、淡々としていた。
「私を消せばよい。私を再び、男の武将として記録の中へ戻せばよい。猫耳も半妖も魔王の血も、なかったことにすればよい。そうすれば、貴様らのゲームも世界も、少しは安全になる」
俺は信長を見た。
彼女は笑っていなかった。
怒ってもいなかった。
ただ、その選択肢を知っている顔だった。
自分が消えれば丸く収まる。
「信長さんは、それでいいんですか」
俺が聞くと、信長は俺を見た。
「よいわけがなかろう」
即答だった。
「なら、なんでそんな言い方を」
「選ぶのは貴様らだからだ」
信長は言った。
「私ではない。私はすでに一度、選ばれた。削られ、整えられ、記録に閉じ込められた。今度も同じにするかどうかは、貴様らが決める」
それは、重すぎる選択だった。
俺たちはソシャゲ運営チームだ。
神話の復権を選ぶ立場ではない。
世界の歴史構造を判断する権限もない。
ストア審査のスケジュールにすら振り回される人間たちだ。
それでも、選択は目の前にあった。
信長を消すか。
信長を実装するか。
もちろん、実装という言葉は軽すぎる。
でも、俺たちにできる形はそれしかない。
彼女をこの時代に留めるには、ヒスガルという器が必要だった。
俺は佐伯さんを見た。
佐伯さんは目を閉じていた。
たぶん、売上、炎上、サーバー、法務、上層部、ユーザー、サ終、その全部を頭の中でぐるぐる回している。
そして、目を開けた。
「宮田くん」
「はい」
「この信長さんを出したら、うちは危ない?」
「危ないと思います」
「出さなかったら?」
「信長さんは消えるかもしれません」
「世界は?」
「安全になるかもしれません」
「ユーザーは?」
「何も知らないまま、普通の三周年を迎えます」
「それはそれで、平和だね」
「はい」
佐伯さんは、ゆっくり息を吐いた。
「でも、その平和って」
彼は信長を見る。
「この人をなかったことにして作る平和なんだよね」
誰も答えなかった。
答える必要がなかった。
佐伯さんは胃薬を拾った。
今度は飲まなかった。
「宮田くん」
「はい」
「シナリオ、書き直そう」
俺は頷いた。
「はい」
「黒川さん」
「はい」
「デザインも、本人監修込みで調整。可愛く、でも軽くしすぎない」
「承知しました」
「信長さん」
「何だ」
「三周年限定として実装します。ただし、弊社にはスケジュールと審査と売上目標があります」
「急に俗だな」
「運営なので」
佐伯さんは真剣な顔で言った。
「だから、世界史と戦うにしても、メンテ時間内でお願いします」
信長は一瞬黙った。
それから、声を上げて笑った。
「よかろう。面白い」
その笑いは、会議室Bには似合わないほど大きかった。
戦場で兵を率いる者の笑い。
燃える城を前に、それでも進む者の笑い。
「宮田」
「はい」
「書け。私が、この時代で戦える歴史を」
「わかりました」
「ただし、もう一度言う」
「はい」
「にゃんにゃん魔王ボイスは消せ」
「絶対に消します」
ジャンヌが静かに微笑んだ。
「では、私も監修に入ります」
「え」
俺は固まった。
「ジャンヌさんも?」
「はい。管理局について、貴方たちは知らなすぎます。織田信長を実装するなら、最低限の知識が必要です」
「それは助かります」
「それと、私のバレンタイン衣装についても再協議を」
「そっちもですか」
「当然です」
佐伯さんが、ついに椅子に座り込んだ。
「三周年イベントの監修者が、織田信長本人とジャンヌ・ダルク本人……」
黒川さんが静かに言う。
「豪華ですね」
「豪華で済ませていいのかな」
「宣伝文句にできます」
「できないよ。本人監修って書けないよ」
俺はノートPCを開いた。
イベントシナリオのファイルを開く。
仮タイトル。
《本能寺、炎上再演》。
俺はそれを削除した。
空白になったタイトル欄に、しばらくカーソルだけが点滅する。
信長が見る。
ジャンヌが見る。
佐伯さんが胃を押さえながら見る。
黒川さんは信長の耳を見ている。
俺はキーボードに指を置いた。
正しい歴史は書けない。
本来史を復元することもできない。
でも、彼女をまた本能寺で終わらせるだけの話にはしたくない。
俺は、最初の仮タイトルを打ち込んだ。
《獣血天魔・織田信長 ――本能寺の先へ》
信長が、少しだけ目を細めた。
「本能寺の先、か」
「仮です」
「悪くない」
その一言で、少しだけ指先の震えが止まった。
その時、モニターの黒い画面に、もう一度文字が浮かび上がった。
――警告は完了しました。
――以後、貴社の歴史改変行為を監視します。
文字が消える。
電源が落ちる。
会議室Bには、現代の運営チームと、戦国の魔王と、フランスの聖女が残された。
佐伯さんがぽつりと言う。
「宮田くん」
「はい」
「これ、リリースまで何日?」
「七日です」
「七日で世界史と戦うんだ」
「はい」
「スケジュール、終わってるね」
「いつも通りです」
「そこはいつも通りじゃなくていいんだよ」
俺は笑った。
笑うしかなかった。




