第27話 方針文書は、ラブレターより難しい
二十分後。
休憩を終えた俺たちは、再び会議室Bに集まっていた。
光秀はすでにホワイトボードの前に立っている。
「では、《商品化と本人尊重の両立方針》の構成を確認します」
「本当に始めるのか」
信長が心底嫌そうな顔をした。
「七営業日以内ですので」
「七日もあるではないか」
「七日しかありません」
「光秀、貴様は昔からそういうところがある」
「信長様は昔から、締切を戦場の気合いで越えようとされます」
「越えられる」
「越えたあとに周囲が燃えます」
「燃やしてはおらぬ」
「比喩です」
信長が押し黙った。
最近、比喩という言葉に弱い。
便利だ。
俺も使おう。
光秀は、ホワイトボードに項目を書いていく。
一、本人顕現後の基本対応。
二、商品化における本人確認。
三、衣装・ボイス・イベント描写の監修フロー。
四、本人が拒否した表現の扱い。
五、ユーザー二次創作への基本姿勢。
六、成人向け表現への距離感。
七、信長様の水着衣装に関する特記事項。
「七を消せ」
信長が即座に言った。
「消しません」
光秀も即答した。
「信長様の水着衣装は、本人尊重と商品化の衝突点として極めて重要です」
「私を衝突点にするな」
「すでに衝突しています」
「しておらぬ」
「では、実装を許可されますか」
「それは別だ」
「衝突しています」
佐伯さんが、ゆっくり顔を上げた。
「光秀さん、七は別紙にしよう」
「別紙ですか」
「うん。本編に入れると監査官に余計な興味を持たれる」
「なるほど。では別紙扱いで」
「扱うな!」
信長の声が会議室に響いた。
ジャンヌは穏やかに紅茶を飲んでいる。
この人は、どれだけ会議が荒れても優雅だ。
「ジャンヌさんは、方針文書に入れたい項目ありますか」
俺が聞くと、ジャンヌはカップを置いた。
「そうですね。火刑台関連表現に関する事前相談をお願いしたいです」
「本当にすみませんでした」
「謝罪は何度でも受け取ります」
「何度でも必要なんですね」
「はい」
黒川さんがタブレットを操作しながら言う。
「衣装監修フローは具体化した方がいいです。本人が嫌がるかどうかだけでなく、衣装構造として成立しているか、動けるか、尊厳と画面映えが両立しているかを確認します」
「尊厳と画面映え」
佐伯さんがつぶやく。
「良い言葉ですね」
「ありがとうございます」
「方針文書に入れましょう」
「はい」
信長が眉をひそめる。
「尊厳と画面映えは、並べてよい言葉なのか」
「現代では並べる必要があります」
黒川さんが淡々と言った。
「画面映えしなければ、ユーザーに届きません。尊厳がなければ、本人が残りません」
会議室が少し静かになった。
黒川さんの言葉は、いつも衣装の話をしているようで、たまに作品の中心を刺す。
画面映えしなければ届かない。
尊厳がなければ残らない。
それは、ヒスガルそのものの問題だった。
「採用しましょう」
俺が言うと、光秀がすでに書いていた。
「採用済みです」
「早い」
「重要でしたので」
信長は少し不満そうだったが、反論はしなかった。
自分たちが現代で立ち続けるためには、本人がそこにいるだけでは足りない。
絵になり、声になり、イベントになって、ユーザーへ届く。
だが、その過程で本人を置き去りにすれば、結局また別の誰かが作った人物像へ押し込めることになる。
だから、俺たちはこの面倒な書類を書いている。
ラブレターより難しい。
謝罪文より重い。
企画書より胃に悪い。
そんな方針文書を。
「宮田さん」
光秀がこちらを見る。
「はい」
「第一項の文章、お願いします」
「今ですか」
「今です」
「方針文書ですよね。俺、シナリオ担当なんですが」
「言葉を書く担当です」
「便利に使われている」
佐伯さんが、やさしく言った。
「宮田くん、これもシナリオだよ」
「そうですか?」
「うん。彼女たちがこの会社でどう扱われるかの、最初の台本だから」
その言い方は、ずるかった。
そんなことを言われたら、書くしかない。
俺はノートPCを引き寄せた。
新規ファイル。
タイトル。
《商品化と本人尊重の両立方針_v1》
硬い。
とても硬い。
でも、今はその硬さが必要だった。
俺は一行目を書き始める。
――本方針は、株式会社アルカディアゲームスが運営する『ヒストリア・ガールズ・サーガ』において、顕現した歴史人物を商品として届ける過程においても、本人の意思と尊厳を確認し続けるための運用基準である。
書いた瞬間、信長が顔をしかめた。
「つまらぬ」
「方針文書なので」
「もっと覇気を入れろ」
「覇気のある方針文書、監査に向かないです」
光秀が画面を確認する。
「内容は適切です」
佐伯さんも頷く。
「いいですね。“届ける”っていうのが、うちらしい」
ジャンヌも微笑む。
「商品として売るだけでなく、物語として届ける。良いと思います」
信長が腕を組む。
「まだつまらぬ」
「信長様」
光秀が言う。
「監査文書は、つまらないことに意味があります」
「そうなのか」
「面白すぎる文書は、監査で不利です」
「現代は難儀だな」
たぶん、戦国時代も十分難儀だったと思う。
口には出さなかった。
光秀に拾われそうなので。
俺は続けて書く。
――本方針は、顕現した本人の意思を置き去りにすることなく、その記憶、感情、拒否、希望を制作過程に反映することを目的とする。
「拒否が入っているの、いいですね」
佐伯さんが言う。
「はい。本人尊重って、好きなものを聞くだけじゃなくて、嫌なものを聞くことでもあると思うので」
ジャンヌがにこりと笑った。
「火刑台ショコラティエの反省が活きていますね」
「本当にすみません」
「この反省も文書化しましょう」
「そこまで?」
「はい」
光秀が即座に項目を追加した。
過去実装における本人拒否事例と改善方針。
「増えた」
「必要です」
俺は天井を見上げた。
この方針文書、七営業日で終わるのだろうか。
いや、終わらせるしかない。
終わらなければ、管理局に突かれる。
そして何より。
これを決めなければ、俺たちはまた同じことをするかもしれない。
本人が目の前にいるのに。
売れるから。
面白いから。
史実だから。
ユーザーが望んでいるから。
そんな理由で、本人の意思を後回しにするかもしれない。
「宮田」
信長が言った。
「はい」
「面白くはないが、悪くない」
「ありがとうございます」
「だが、私の水着衣装は、私の許可なく進めるな」
「もちろんです」
「ただし」
信長は少しだけ視線を逸らした。
「どうしても必要なら、事前に見せろ」
会議室が静かになった。
光秀が眼鏡を押し上げる。
「信長様」
「何だ」
「今の発言は、検討の余地ありということでよろしいですか」
「違う」
「では、完全拒否ではないということで」
「違う」
「議事録には“事前確認を条件に検討可能性あり”と記載します」
「するな!」
佐伯さんの目が輝いた。
「宮田くん、水着衣装、道が開けたかもしれない」
「佐伯さん、今それ言うと燃えます」
「比喩?」
「比喩じゃない方です」
信長が立ち上がりかけた。
光秀が袖を掴む寸前で止める。
「信長様」
「何だ」
「今燃やすと、方針文書の第一項に反します」
「まだ第一項しか書いておらぬだろうが!」
会議室に笑いが戻った。
方針文書は、まだ一ページ目。
監査官への提出期限は七営業日以内。
御堂真白は、きっと一字一句見てくる。
この先、何度も詰まるだろう。
信長は怒る。
光秀は赤を入れる。
ジャンヌは穏やかに刺す。
黒川さんは衣装の尊厳と画面映えを語る。
佐伯さんは売上と継続の現実を持ち込む。
そして俺は、その全部を文章にしなければならない。
面倒だ。
ものすごく面倒だ。
でも、これもたぶん物語なのだ。
正しい歴史を決めるためではない。
彼女たちを、俺たちの都合のいい姿へ作り直すためでもない。
彼女たちが、商品として届けられながらも、商品だけにならないための物語。
俺は、二行目の続きを書き始めた。
◇
それから七営業日。
方針文書は、当初の想定より三倍ほど長くなった。
光秀の赤字は増え続けた。
信長の水着衣装は、最後まで別紙にならなかった。
ジャンヌの火刑台関連表現には、事前確認の項目が追加された。
黒川さんが提案した「尊厳と画面映えの両立」は、正式な衣装監修基準に入った。
佐伯さんは、売上と本人尊重は両立できる、と何度も書き直した。
俺も書いた。
消した。
また書いた。
そして。
七営業日目の午後。
「送りますよ」
高橋さんが確認する。
全員がモニターを見ていた。
完成したファイル名は、
《商品化と本人尊重の両立方針_提出版》
だった。
「お願いします」
俺が言う。
高橋さんが送信ボタンを押した。
数秒後。
送信完了の表示が出る。
「終わった……」
佐伯さんがつぶやいた。
「提出が、です」
光秀が訂正する。
「分かってる。今くらい終わったことにさせて」
信長が椅子の背にもたれる。
「たかが書状一つに七日とはな」
「信長様」
「分かっておる。必要なのであろう」
信長は面倒そうに言った。
ジャンヌは、送信された文書のタイトルを見つめていた。
「これで、私たちがここにいるための決まりができたのですね」
「まだ管理局が認めるかは分かりませんけど」
俺は答えた。
「それでも」
ジャンヌは微笑んだ。
「私たち自身が、どうありたいかを決めることはできました」
そうだ。
管理局がどう判断するかは、まだ分からない。
俺たちのやり方が正しいのかも分からない。
でも。
本人のことを、本人抜きで決めない。
たったそれだけのことを。
俺たちは七日かけて、会社の決まりにした。




