第22話 呼吸可能な物語
会議室は静まり返った。
信長でさえ、すぐには言い返さなかった。
佐伯さんは、資料を見ている。
光秀は、ペンを握ったまま考えている。
ジャンヌは目を伏せていた。
黒川さんは、御堂のスーツではなく、今は彼女の表情を見ていた。
俺は、御堂の言葉を受け止めるしかなかった。
管理局は、悪ではない。
少なくとも、自分たちを悪だとは思っていない。
いや、むしろ自分たちが正しいと知っている。
現代社会を守るためなら、信長を記録へ戻すべきだ。
光秀を本能寺に戻すべきだ。
ジャンヌを聖女という枠に戻すべきだ。
その方が、多くの人には安全だから。
「御堂さん」
俺は言った。
「あなたの言っていることは、たぶん正しいんだと思います」
御堂はこちらを見る。
「認めるのですか」
「はい」
信長が俺を見る。
光秀も。
佐伯さんは、少しだけ眉を上げた。
俺は続ける。
「本来史がそのまま戻ったら危険だってことも、修正史が現代を守っているってことも、たぶん正しい。管理局がただ悪い組織じゃないことも、わかります」
「では」
「でも」
俺は、信長を見る。
彼女は、黙っていた。
怒れよ、とでも言いたげな目だった。
けれど、怒っていない。
待っていた。
「その正しい歴史のために、消された人がいます」
御堂のペンが、また止まる。
「信長さんは、記録の中に戻れば世界は安定するかもしれない。でも、ここにいる信長さんは消える」
「それは」
「必要な犠牲ですか」
御堂は、すぐに答えなかった。
俺は続けた。
「光秀さんは、裏切り者か忠義の少女として本能寺に戻れば、わかりやすい。ユーザーも扱いやすい。現代史も揺れない。でも、彼女が“隣にいる”場所は消える」
光秀の手が、少しだけ動いた。
「ジャンヌさんは、聖女として記録に残れば美しい。でも、ぴゅあぴゅあ聖女ビームに怒るジャンヌさんも、火刑台ショコラティエに静かに抗議するジャンヌさんも、消える」
「そこを例にしますか」
ジャンヌが穏やかに言った。
「大事なので」
「大事ですか」
「大事です」
少しだけ空気が緩む。
だが、御堂の表情は変わらなかった。
「宮田春樹様。あなたは、少数の顕現存在のために、多数の現代人の安定した歴史認識を揺るがすつもりですか」
来た。
まっすぐな問い。
重い問い。
俺は、すぐに答えられなかった。
正しいことだけ言えば、負ける。
情だけで答えても、負ける。
たぶん御堂は、どちらも聞き飽きている。
その時、佐伯さんが口を開いた。
「揺るがすつもりはありません」
御堂が佐伯さんを見る。
「佐伯亮介様」
「はい。現代社会が壊れたら、サービスも続かないので」
御堂が一瞬だけ黙った。
ジャンヌが少し笑った。
信長が呆れたように言う。
「そこか」
「そこです」
佐伯さんは真顔だった。
「うちはゲーム会社です。社会が壊れたら、アプリもストアもサーバーも課金も二次創作もコミケも全部終わります。だから、現代社会の安定は大事です」
「非常に現実的ですね」
御堂が言う。
「ありがとうございます」
「褒めていません」
「ですよね」
佐伯さんは、それでも続けた。
「でも、安定のために全部を記録へ戻すのも違うと思っています。少なくとも、今ここにいる彼女たちを、もういなかったことにはできません」
「なぜですか」
「見てしまったからです」
佐伯さんの声は、静かだった。
「信長さんが怒るところも、光秀さんが悩むところも、ジャンヌさんが笑いながら怒るところも、ユーザーが“この光秀を消さないで”って言ったことも、見てしまった」
彼は少しだけ笑った。
「見てしまったものを、なかったことにはできない。少なくとも、プロデューサーとして、俺はできません」
御堂は黙っていた。
「だから、現代社会を壊さない範囲で、彼女たちが生きられる場所を作りたい。ゲームの中で。イベントの中で。ユーザーの認識の中で」
「つまり、限定的な例外運用を求めると」
「言い方は固いですが、そうです」
光秀が即座にメモを取る。
「限定的例外運用。採用できます」
「光秀さん、今?」
「重要な表現です」
御堂は、光秀を見る。
「明智光秀様。貴女はそれでよいのですか」
「何がでしょうか」
「ゲーム内の例外として扱われることです。修正史全体の改変ではなく、ヒスガルという商業作品の中でのみ、生きる余地を与えられる。それで満足ですか」
光秀は、すぐには答えなかった。
とても嫌な聞き方だった。
でも、正しい問いだった。
ゲーム内だけでいいのか。
商品としての余地でいいのか。
現実の歴史は変わらない。
教科書も変わらない。
本能寺は本能寺のまま。
明智光秀は裏切り者のまま語られることも多い。
それでも、いいのか。
「満足かと聞かれれば」
光秀は、ゆっくり言った。
「満足ではありません」
御堂のペンが動く。
「ですが」
光秀は続ける。
「本能寺から一歩出るには、今は十分です」
信長が光秀を見る。
「私は、すべての歴史を書き換えてほしいわけではありません。私が裏切り者ではなかったと、世界中に認めさせたいわけでもありません」
光秀の声は静かだった。
「ただ、私を“裏切り者”か“忠義の少女”だけで終わらせない場所があるなら。信長様の隣に、もう一度立てる物語があるなら」
彼女は、少しだけ息を吸った。
「今の私には、それが必要です」
御堂は、表情を変えない。
「それは救済ですか」
「わかりません」
光秀は正直に答えた。
「ですが、呼吸はできます」
信長が、ほんの少しだけ目を細めた。
コミケで光秀が言った言葉。
本能寺なのに、息ができる。
御堂も、その記録を持っているのかもしれない。
彼女は黒いファイルに何かを書いた。
「呼吸可能な物語」




