↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
56/152

第22話 呼吸可能な物語

 会議室は静まり返った。


 信長でさえ、すぐには言い返さなかった。


 佐伯さんは、資料を見ている。


 光秀は、ペンを握ったまま考えている。


 ジャンヌは目を伏せていた。


 黒川さんは、御堂のスーツではなく、今は彼女の表情を見ていた。


 俺は、御堂の言葉を受け止めるしかなかった。


 管理局は、悪ではない。


 少なくとも、自分たちを悪だとは思っていない。


 いや、むしろ自分たちが正しいと知っている。


 現代社会を守るためなら、信長を記録へ戻すべきだ。


 光秀を本能寺に戻すべきだ。


 ジャンヌを聖女という枠に戻すべきだ。


 その方が、多くの人には安全だから。


「御堂さん」


 俺は言った。


「あなたの言っていることは、たぶん正しいんだと思います」


 御堂はこちらを見る。


「認めるのですか」


「はい」


 信長が俺を見る。


 光秀も。


 佐伯さんは、少しだけ眉を上げた。


 俺は続ける。


「本来史がそのまま戻ったら危険だってことも、修正史が現代を守っているってことも、たぶん正しい。管理局がただ悪い組織じゃないことも、わかります」


「では」


「でも」


 俺は、信長を見る。


 彼女は、黙っていた。


 怒れよ、とでも言いたげな目だった。


 けれど、怒っていない。


 待っていた。


「その正しい歴史のために、消された人がいます」


 御堂のペンが、また止まる。


「信長さんは、記録の中に戻れば世界は安定するかもしれない。でも、ここにいる信長さんは消える」


「それは」


「必要な犠牲ですか」


 御堂は、すぐに答えなかった。


 俺は続けた。


「光秀さんは、裏切り者か忠義の少女として本能寺に戻れば、わかりやすい。ユーザーも扱いやすい。現代史も揺れない。でも、彼女が“隣にいる”場所は消える」


 光秀の手が、少しだけ動いた。


「ジャンヌさんは、聖女として記録に残れば美しい。でも、ぴゅあぴゅあ聖女ビームに怒るジャンヌさんも、火刑台ショコラティエに静かに抗議するジャンヌさんも、消える」


「そこを例にしますか」


 ジャンヌが穏やかに言った。


「大事なので」


「大事ですか」


「大事です」


 少しだけ空気が緩む。


 だが、御堂の表情は変わらなかった。


「宮田春樹様。あなたは、少数の顕現存在のために、多数の現代人の安定した歴史認識を揺るがすつもりですか」


 来た。


 まっすぐな問い。


 重い問い。


 俺は、すぐに答えられなかった。


 正しいことだけ言えば、負ける。


 情だけで答えても、負ける。


 たぶん御堂は、どちらも聞き飽きている。


 その時、佐伯さんが口を開いた。


「揺るがすつもりはありません」


 御堂が佐伯さんを見る。


「佐伯亮介様」


「はい。現代社会が壊れたら、サービスも続かないので」


 御堂が一瞬だけ黙った。


 ジャンヌが少し笑った。


 信長が呆れたように言う。


「そこか」


「そこです」


 佐伯さんは真顔だった。


「うちはゲーム会社です。社会が壊れたら、アプリもストアもサーバーも課金も二次創作もコミケも全部終わります。だから、現代社会の安定は大事です」


「非常に現実的ですね」


 御堂が言う。


「ありがとうございます」


「褒めていません」


「ですよね」


 佐伯さんは、それでも続けた。


「でも、安定のために全部を記録へ戻すのも違うと思っています。少なくとも、今ここにいる彼女たちを、もういなかったことにはできません」


「なぜですか」


「見てしまったからです」


 佐伯さんの声は、静かだった。


「信長さんが怒るところも、光秀さんが悩むところも、ジャンヌさんが笑いながら怒るところも、ユーザーが“この光秀を消さないで”って言ったことも、見てしまった」


 彼は少しだけ笑った。


「見てしまったものを、なかったことにはできない。少なくとも、プロデューサーとして、俺はできません」


 御堂は黙っていた。


「だから、現代社会を壊さない範囲で、彼女たちが生きられる場所を作りたい。ゲームの中で。イベントの中で。ユーザーの認識の中で」


「つまり、限定的な例外運用を求めると」


「言い方は固いですが、そうです」


 光秀が即座にメモを取る。


「限定的例外運用。採用できます」


「光秀さん、今?」


「重要な表現です」


 御堂は、光秀を見る。


「明智光秀様。貴女はそれでよいのですか」


「何がでしょうか」


「ゲーム内の例外として扱われることです。修正史全体の改変ではなく、ヒスガルという商業作品の中でのみ、生きる余地を与えられる。それで満足ですか」


 光秀は、すぐには答えなかった。


 とても嫌な聞き方だった。


 でも、正しい問いだった。


 ゲーム内だけでいいのか。


 商品としての余地でいいのか。


 現実の歴史は変わらない。


 教科書も変わらない。


 本能寺は本能寺のまま。


 明智光秀は裏切り者のまま語られることも多い。


 それでも、いいのか。


「満足かと聞かれれば」


 光秀は、ゆっくり言った。


「満足ではありません」


 御堂のペンが動く。


「ですが」


 光秀は続ける。


「本能寺から一歩出るには、今は十分です」


 信長が光秀を見る。


「私は、すべての歴史を書き換えてほしいわけではありません。私が裏切り者ではなかったと、世界中に認めさせたいわけでもありません」


 光秀の声は静かだった。


「ただ、私を“裏切り者”か“忠義の少女”だけで終わらせない場所があるなら。信長様の隣に、もう一度立てる物語があるなら」


 彼女は、少しだけ息を吸った。


「今の私には、それが必要です」


 御堂は、表情を変えない。


「それは救済ですか」


「わかりません」


 光秀は正直に答えた。


「ですが、呼吸はできます」


 信長が、ほんの少しだけ目を細めた。


 コミケで光秀が言った言葉。


 本能寺なのに、息ができる。


 御堂も、その記録を持っているのかもしれない。


 彼女は黒いファイルに何かを書いた。


「呼吸可能な物語」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。