第20話 史観監査官は、時間ぴったりに来る
十四時ちょうど。
会議室Bのドアがノックされた。
早すぎず、遅すぎず。
本当に、ちょうど十四時だった。
佐伯さんが小さく言った。
「時間ぴったり。怖い」
「監査官ですので」
光秀が立ち上がる。
「お迎えします」
ドアが開く。
そこに、御堂真白が立っていた。
コミケ会場で見た時と同じ、黒いスーツ。
白い肌。
長い黒髪。
感情の読めない目。
だが、今日は手に黒いファイルを持っている。
完全に監査の人だった。
「お時間をいただきありがとうございます」
御堂は丁寧に一礼した。
「修正史管理局、史観監査課の御堂真白です」
佐伯さんも名刺を差し出す。
「株式会社アルカディアゲームス、ヒストリア・ガールズ・サーガ担当プロデューサーの佐伯です。本日はよろしくお願いいたします」
完全に普通のビジネス挨拶だった。
相手が修正史管理局であることを除けば。
御堂は名刺を受け取り、軽く目を通す。
「佐伯亮介様。運営責任者ですね」
「はい」
「胃薬の常用量が増えていますか」
「なぜそれを」
「観測上、そう見えます」
「観測しないでください」
佐伯さんの顔が引きつった。
御堂は表情を変えず、会議室へ入る。
その視線が、信長に向く。
「織田信長様」
信長は腕を組んだまま笑う。
「様を付けるか」
「記録上の敬称です」
「敬意ではないと」
「敬意はあります」
御堂は静かに答えた。
「ただし、敬意と許容は別です」
信長の笑みが深くなる。
「面白い」
次に、御堂は光秀を見る。
「明智光秀様」
「はい」
「現在の貴女は、史観固定の不安定要素です」
「承知しています」
光秀は即答した。
御堂が、ほんのわずかに眉を動かす。
「承知しているのですか」
「はい。そのため、現在の立ち位置と表現方針を資料化しました」
光秀は、用意していた資料を差し出した。
御堂は受け取り、表紙を見る。
《明智光秀に関する表現運用方針および史観固定緩和の影響評価》
御堂は、しばらく表紙を見ていた。
「……貴女が作成を?」
「はい」
「興味深いですね」
信長が小声で言う。
「光秀、敵にまで興味深がられておるぞ」
「信長様、静かに」
「はい」
信長が従った。
俺と佐伯さんが同時に驚いた。
御堂も少しだけ信長を見た。
「なるほど」
「何がなるほどなんですか」
俺が聞くと、御堂は淡々と答えた。
「織田信長様に対する明智光秀様の制止機能が、現代でも有効であることを確認しました」
「制止機能」
光秀が少し複雑そうな顔をする。
「私は機能ではありません」
「失礼しました」
御堂はすぐに訂正した。
「制止役、と表現します」
「役にすると、また固定されます」
「では、何と呼ぶべきですか」
光秀は一瞬だけ迷った。
信長が言う。
「隣でうるさい女」
「信長様」
「違うか」
「……大きくは違いませんが、監査資料には不適切です」
御堂は、黒いファイルに何かを記録した。
「関係性表現:隣でうるさい女。要検討」
「記録しないでください」
俺が思わず言うと、御堂はこちらを見た。
「宮田春樹様」
「はい」
「あなたが、この一連の史観逸脱の中心人物ですね」
来た。
背筋が伸びる。
御堂は席に座る。
「監査を開始します」
会議室の空気が変わった。
佐伯さんが資料を整える。
光秀がペンを持つ。
ジャンヌが静かに目を伏せる。
黒川さんが、御堂のスーツをまだ見ている。
信長が楽しそうに笑う。
俺は、ノートPCを開いた。
監査。
会議。
歴史。
物語。
これまでで一番地味で、一番厄介な戦いが始まる。
御堂は、最初の質問をした。
「株式会社アルカディアゲームスに伺います」
「はい」
佐伯さんが答える。
「貴社は、織田信長が女性であり、半妖であり、猫耳を有する存在であったという表現を、今後も継続する方針ですか」
会議室が静まり返る。
信長が笑った。
光秀が資料を開いた。
佐伯さんが俺を見る。
俺は、ゆっくり息を吸った。
「はい」
俺は答えた。
「継続します」
御堂は、表情を変えなかった。
「理由を説明してください」
俺は、用意した資料ではなく、信長を見た。
彼女は、何も言わなかった。
ただ、こちらを見ていた。
次に光秀を見る。
光秀は、ペンを握ったまま小さく頷く。
俺は御堂に向き直った。
「その方が、彼女が自分の名前で立てるからです」
御堂のペンが、紙の上で止まった。
監査は、始まったばかりだった。




