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第9話 公式ブースは、だいたい戦場

 ヒスガルの企業ブース前には、すでに列ができていた。


 ところが。


 開場から十分もしないうちに、光秀の計画は最初の修正を迫られた。


 企業ブース前の導線が、急遽変更になったのである。


「待機列はこちらでーす!」


 スタッフの声が飛ぶ。


 誘導柵が動く。


 光秀は配置図と現場を見比べた。


「……違います」


「毎年こうなる」


 佐伯さんが苦笑した。


「え」


「現場判断」


「資料と一致しません」


「だから現場なんだよ」


 さらに別方向では、人気サークルの列が予想以上に伸び、予定していた通路が人で埋まっていた。


 黒川さんがすぐに言う。


「こちらを通りましょう」


「ですが計画では」


「今日は計画より人の流れを見ます」


 信長は人波を眺めると、迷わず別方向へ歩き始めた。


「熱はこちらだ」


「信長様!」


 光秀が慌てて呼び止める。


「案内板と違います!」


「案内板より、人が教えておる」


「そういう判断をされると困ります!」


 その横で、ジャンヌは静かに列へ並んでいた。


「ジャンヌさん?」


「こちらが祈りの列でしょうか」


「物販列です」


「失礼しました」


 俺は思わず笑った。


 光秀は完璧だった。


 だが、コミケは完璧ではなかった。


 だからこそ、誰か一人では回らない。


 現場スタッフが導き、黒川さんが動線を読み、佐伯さんが全体を見て、信長が勘で動き、ジャンヌがたまに並び間違え、俺はその全部を追いかける。


 そのくらいで、ようやくコミケは回っているらしかった。


 新作グッズ。


 三周年記念イラスト集。


 《本能寺再提出》アクリルスタンド。


 信長・光秀・ジャンヌの公式コスプレ撮影タイム。


 そして、数量限定の描き下ろし紙袋。


 佐伯さんは、その列を見て小さく息を吐いた。


「よかった。人、来てる」


「売れるのか」


 信長が聞く。


「売れてほしいです」


「ならば私が前に立てばよい」


「それは最後の切り札です」


「なぜだ」


「最初から信長さんを出すと、列が燃えます」


「また燃えると言ったな」


「比喩です」


 光秀はすでにブース内の導線を確認していた。


「佐伯さん。撮影待機列と物販列が交差しそうです。信長様が登場された場合、撮影列が膨らむ可能性があります。ジャンヌさんの列は比較的整然と進むと思われますが、火刑台ショコラティエ関連の質問が出た場合に滞留します」


「すごい。もう現場スタッフだ」


「必要でしたので」


「光秀さん、今日からイベント運営もできますね」


「本職ではありません」


「たぶん本職より向いてます」


 信長が横から不満そうに言った。


「光秀を褒めすぎだ」


「信長さんも、列形成への影響力は抜群です」


「それは褒めているのか」


「半分くらい」


「残り半分は何だ」


「リスクです」


 黒川さんは、信長の衣装の裾を直していた。


「信長さん、少し動かないでください」


「私は人形ではない」


「公式撮影前です」


「む」


「耳の角度が重要です」


「本物だぞ」


「本物なので、余計に重要です」


 ジャンヌはブースの奥で、来場者向けの注意書きを読んでいた。


「撮影は一人三十秒まで。接触禁止。過度なポーズ指定禁止。なるほど、現代の巡礼にも戒律があるのですね」


「巡礼ではないです」


 俺は言った。


「でも、少し近いかもしれません」


「推しを求める心は、信仰に似ています」


「ジャンヌさんが言うと説得力が重い」


 やがて、最初の撮影タイムが始まった。


 黒川さんが信長衣装で立つと、まず歓声が上がった。


「公式レイヤーさん、完成度高っ」


「信長様そのまんまじゃん」


「耳の造形すごい」


 その横に、本物の信長が立った瞬間、列がざわめいた。


「え、もう一人いる?」


「こっちも信長?」


「ダブル信長?」


「公式、気合い入りすぎでは?」


 信長は不満そうに腕を組んだ。


「なぜ私が“もう一人”なのだ」


「説明上、そうなります」


 黒川さんが淡々と言う。


「こちらが公式レイヤー信長。こちらが特別出演の信長様です」


「本物と言え」


「言うと説明コストが上がります」


「またそれか」


 撮影列は、一気に伸びた。


 佐伯さんの顔が青くなり、同時に明るくなる。


「やばい。伸びてる。めちゃくちゃ伸びてる」


「いいことでは?」


 俺が聞くと、佐伯さんはうなずいた。


「いいこと。だけど列が伸びると胃も伸びる」


「胃は伸びないです」


「感覚としては伸びてる」


 光秀がスタッフに指示を出す。


「撮影列、右側へ流してください。物販列と交差させないでください。信長様、参加者に向かって“天下を取れ”は避けてください。購買圧に見えます」


「では何と言えばよい」


「“楽しんでいけ”程度でお願いします」


「弱い」


「弱くていいです」


 信長は参加者に向かって、不本意そうに言った。


「楽しんでいけ」


 参加者が崩れた。


「うわ、言われた」


「信長様に楽しんでいけって言われた」


「無理、推せる」


 佐伯さんが小声で言った。


「弱くないね」


「強いですね」


 光秀は真顔でメモを取った。


「“楽しんでいけ”は有効。今後の台詞候補にします」


「するな」


「します」

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