第8話 開戦、ではなく開場です
コミケ当日。
朝の駅は、すでに戦場だった。
「戦だな」
信長が言った。
「イベントです」
光秀が訂正した。
「だが、この人波は戦だろう」
「近いですが、イベントです」
「物資を持った兵が多い」
「参加者です」
「隊列が乱れぬのは見事だ」
「スタッフの誘導が優秀です」
光秀は、すでに配置図と現地案内を照合していた。
初参加とは思えない顔つきである。
佐伯さんは、企業ブース用のパスを確認しながら言った。
「みんな、今日は本当に発言に気をつけてください。特に信長さん」
「なぜ私だけを見る」
「理由を説明しないといけませんか」
「不要だ」
「自覚はあるんですね」
ジャンヌは、会場へ向かう人々を見て感心したように言った。
「すごいですね。これほどの人が、好きという感情のために集まるのですか」
「そうですね」
俺は答えた。
「推しへの信仰です」
「ジャンヌさんが言うと、急に宗教感が出ます」
「実際、近いものを感じます」
黒川さんは、参加者のコスプレ衣装を見ていた。
「あの縫製、綺麗ですね」
「そこ見るんですね」
「はい。資料ですので」
会場へ入る直前、光秀がふと立ち止まった。
俺は気づいて声をかける。
「光秀さん?」
「いえ」
彼女は少しだけ視線を落とした。
「もし、また“裏切り”と言われたら、どう答えるべきかと」
俺はすぐには答えられなかった。
その前に、信長が言った。
「言わせておけ」
「信長様」
「どうせ言う者は言う。貴様がどれだけ書類を整えてもな」
「……はい」
「だが」
信長は、人波の向こうに見える会場を見た。
「貴様が今どこに立つかは、貴様が選べ」
光秀は、信長を見た。
「はい」
「そして、何か言われたら隣から言え」
「違います、と?」
「そうだ」
光秀は、少しだけ笑った。
「わかりました」
俺は、その横顔を見ながら思った。
今日、光秀はたぶん何度も試される。
ユーザーに。
レーヴァテインの影に。
過去の役割に。
そして、自分自身に。
でも、彼女はもう一人ではない。
信長がいる。
ジャンヌがいる。
黒川さんがいる。
佐伯さんがいる。
そして俺は、彼女の言葉がまた勝手に歩いていかないよう、書き続けるしかない。
会場入口の向こうから、開場を知らせるアナウンスが聞こえた。
人の流れが動き出す。
信長が、不敵に笑う。
「よし。行くぞ」
佐伯さんが即座に訂正した。
「走らないでください」
「わかっておる」
光秀も言う。
「列を乱さないでください」
「わかっておる」
ジャンヌが微笑む。
「迷子にならないでくださいね」
「私は子どもか」
黒川さんが最後に言った。
「耳、触られそうになったらスタッフを呼んでください」
「全員で私を何だと思っている!」
会場の熱気が、こちらへ押し寄せてくる。
紙袋。
ポスター。
コスプレ。
列。
推しを語る声。
欲望と愛と解釈が、ぎゅうぎゅうに詰まった場所。
信長が小さくつぶやいた。
「なるほど。これは、天下より難しいかもしれぬな」
「何がですか」
「人の好きという感情を治めることだ」
その言葉に、俺は少し驚いた。
信長は、ちらりと俺を見る。
「宮田」
「はい」
「貴様は、この戦場をよく見ておけ」
「イベントです」
光秀が訂正する。
信長は笑った。
「では、このイベントをよく見ておけ」
俺はうなずいた。
アルカディアゲームス、夏コミ参戦。
公式プロモーション。
本人たちのコスプレ参加。
ユーザーとの接触。
炎上リスク多数。
想定外発生率、ほぼ百パーセント。
俺は、手元のスタッフパスを握り直した。
そして、信長たちと一緒に、会場の中へ足を踏み入れた。




