第34話 隣にいるので
その夜。
アルカディアの開発フロアに人が少なくなった頃、宮田は自席で追加エピローグのコメントを眺めていた。
信長は少し離れたソファで、なぜかスマホの操作を覚えようとしている。
光秀が隣で教えていた。
「そこは長押しです」
「押しておる」
「短いです」
「押したではないか」
「信長様の押すは、命令に近いです。端末には通じません」
「端末ごときが私に従わぬとは」
「従わせようとしないでください。操作してください」
佐伯さんが、その光景を見てしみじみ言った。
「平和だなあ」
「平和ですか」
俺が聞くと、佐伯さんはうなずいた。
「かなり平和。スマホの長押しで揉めてるだけだから」
「基準が壊れてますね」
「最近、本能寺と管理局と競合配信事故が続いたからね」
佐伯さんは缶コーヒーを開けた。
「宮田くん」
「はい」
「光秀さんが来て、よかったね」
「はい」
気がつくと、光秀が手を止めてこちらを見ていた。
「……正確には、まだ来たわけではありません」
「そうだったね」
佐伯さんが苦笑する。
「今は管理局からも『観測対象』扱いで居場所がない。レーヴァテインも本人としては扱わない。だからアルカディアで一時的に保護と協力をお願いしてる状態」
「正式な所属ではありません」
光秀は静かに続ける。
「住まいも、当面は信長様と同じレジデンスをお借りしています。こちらへ通わせていただいているだけです」
信長が腕を組む。
「帰る場所が決まるまでは、そのままでよい」
「ありがとうございます」
光秀は小さく頭を下げた。
佐伯さんが缶コーヒーを置く。
「でも、これで終わりじゃない」
「ですよね」
「レーヴァテインはたぶん、このまま引かない。売上は出てるし、話題にもなってる。向こうからしたら、多少事故っても結果オーライに見える」
「光秀さんを切ったのに、光秀さんの言葉は使う」
「そう。商売としては、まだ続けられる」
佐伯さんの声が少し重くなる。
「それに、管理局も見てる」
「はい」
「信長さんの時は、存在そのものを消そうとした。光秀さんは、役割を変えて固定しようとしている。たぶん、手を変えてきてる」
俺はモニターの隅を見る。
そこには、追加エピローグのコメントが流れていた。
――この光秀を消さないで。
――信長と光秀、ずっと掛け合いしてほしい。
――面倒な女だけど、それがいい。
――隣から違いますと言ってくれる人、必要。
その言葉たちが、今は彼女を支えている。
でも、同じように言葉は檻にもなる。
面倒な女。
必要な制止役。
信長の隣。
それすら、いつかまた役割になるかもしれない。
「難しいですね」
俺は言った。
「今日の台詞も、来年には違って見えるかもしれない」
「うん」
佐伯さんは静かにうなずいた。
「だから、続けるしかないんだと思う」
「続ける」
「イベントを一本出して終わりじゃない。次のイベント、次の台詞、次の衣装。そのたびに『この人なら今どう話すか』を考え直す。それが運営だから」
佐伯さんは、信長と光秀を見る。
「サービス運営って、そういうところは物語に似てるのかもね」
「佐伯さんがいいこと言ってます」
「たまには言うよ。Pだから」
その時、信長の声が飛んだ。
「宮田!」
「はい」
「この端末、光秀の言うことは聞くのに私の言うことを聞かぬ」
「スマホは人を選びません」
「ならばなぜだ」
光秀が冷静に言う。
「信長様が説明を聞かずに進めるからです」
「またそれか」
「現代機器も、家臣も、説明を聞く者に従います」
「光秀、貴様、今かなり昔のことも含めたな」
「含めました」
信長は一瞬黙った。
そして、ふっと笑った。
「言うようになった」
「隣にいるので」
その短いやり取りに、俺は手を止めた。
佐伯さんも、少しだけ黙った。
今の言葉は、たぶんマイルーム台詞になる。
でも、すぐには書かなかった。
今は、二人のものとして置いておきたかった。
言葉をすぐ商品にしない。
それも、たぶん大事なことだ。
しばらくして、光秀がこちらを見る。
「宮田さん」
「はい」
「今の会話、書かないのですか」
「書いていいんですか」
「確認のうえであれば」
信長が呆れたように言う。
「結局書くのか」
「信長様も確認してください」
「面倒だ」
「必要です」
「……ならば後で見る」
俺は笑って、メモを開いた。
――隣にいるので。
短い一文。
けれど、そこに本能寺の先があった。
第一章あとがき
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
この章では、
・織田信長との出会い
・明智光秀との再会
・そして《本能寺再提出》
までを、一つの区切りとして描きました。
本来であれば信長編、光秀編と分けることも考えましたが、この作品における本能寺は、信長だけの物語でも、光秀だけの物語でもありません。
二人がそれぞれ「役割」から少しずつ離れ、もう一度同じ場所に立とうとするまでを、一つの物語として読んでいただきたかったため、本章を「本能寺、再提出」としました。
この作品では、歴史を否定したり、美談に書き換えたりすることはあまりしたくありません。
「本能寺はあった」。
その事実は変えずに、それでもその先へ進めるのではないか。
そんな物語を書いていきたいと思っています。
第二章からは、新たな偉人たちも登場し、「修正史」と「本来史」の対立も少しずつ本格化していきます。
もし信長と光秀のやり取りを楽しんでいただけたなら、この先も見届けていただけるとうれしいです。
また、「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや★評価、コメントをいただけると本当に励みになります。
一つひとつ拝見しながら、今後の執筆の力にさせていただいています。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
――本能寺は、終点ではありません。




