第30話 私の位置は、私が選ぶ
午後。
レーヴァテイン側が動いた。
高橋さんが、開発フロアに駆け込んでくる。
「佐伯さん、レーヴァテインが声明を出しました!」
「早いな」
「内容は?」
高橋さんがモニターに表示する。
――本日配信内での一部発言について。
――出演者個人の見解であり、イベント本編の内容とは異なる場合があります。
――本イベントは、独自の歴史解釈に基づいたフィクションです。
――今後とも《戦姫オブレジェンズ》をよろしくお願いいたします。
会議室が静かになった。
出演者個人の見解。
つまり、光秀の言葉を切り離した。
イベント本編とは異なる場合がある。
つまり、彼女の発言を採用しない。
「なるほど」
佐伯さんが低く言った。
「切ってきたね」
光秀は、画面を見ていた。
表情はあまり変わらない。
けれど、膝の上の手が少し強く握られていた。
「予想はしていました」
光秀が言った。
「でも、痛いものは痛いですね」
信長が立ち上がりかける。
光秀が見ずに言った。
「信長様、燃やさないでください」
「まだ何も言っておらぬ」
「立ち上がりました」
「立ち上がることも禁じるか」
「危険予兆です」
「貴様……」
佐伯さんが息を吐く。
「光秀さん、この声明には直接反応しない方がいい」
「なぜですか」
「泥仕合になるからです。向こうは“個人の見解”として切り分けた。こっちが怒ると、企業間の争いになる」
「では、何もしないのですか」
「いや」
佐伯さんは俺を見る。
「宮田くんが、物語で返す」
俺は頷いた。
「はい」
光秀が俺を見る。
「物語で」
「直接、相手の声明を否定するのではなく。あなたの言葉が、個人の見解ではなく、あなた自身の位置を取り戻すものだと書きます」
光秀はしばらく黙っていた。
「私の言葉は、イベント本編とは異なる場合がある」
彼女は声明文をなぞるように言った。
「つまり、私の言葉は、私の物語から切り離せるということですね」
「向こうは、そう言っています」
「ならば」
光秀は顔を上げた。
「切り離せない形にしてください」
俺は息を呑んだ。
「私の言葉が、私の立場そのものになるように」
信長が笑った。
「よい。ようやく欲が出たな」
「欲でしょうか」
「そうだ。自分をどこに置くか、自分で選ぼうとしている」
光秀は少しだけ戸惑った顔をした。
「それは、許されることなのでしょうか」
「知らぬ」
信長は言った。
「だが、私はもう選んだ。貴様も選べ」
光秀は、信長を見た。
それから、静かにうなずく。
「では、選びます」
俺は、その言葉を待っていた気がした。
シナリオの最終幕が、ようやく見えた。
誰かに許される光秀ではない。
信長に許される光秀でもない。
ユーザーに同情される光秀でもない。
自分で、自分の立ち位置を選ぶ光秀。
そして、それを信長が隣で受け止める。
俺はキーボードに向かった。
最終幕。
タイトル。
《私の位置は、私が選ぶ》
本文。
――私は、裏切り者ではありません。
――けれど、忠義の少女でもありません。
――私は、信長様を止めようとした。
――止められなかった。
――終わらせてしまった。
――その事実から逃げるために、誰かを悪者にはしません。
光秀が、画面を見つめる。
信長も、黙っている。
俺は続ける。
――それでも私は、もう一度、あの方の隣に立ちます。
――今度は背後からではなく。
――刃を向けるためでもなく。
――進みすぎるなら、袖を掴むために。
信長が小さく言った。
「耳ではないのか」
光秀が即答する。
「耳は最終手段です」
「最終手段にするな」
張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。
でも、誰も茶化しすぎなかった。
今書いているものが、光秀にとって大切な言葉だとわかっていたからだ。
俺は、最後の一文を打つ。
――本能寺は、私の終点ではありません。
――信長様だけの終点でもありません。
――私たちは、そこからもう一度、並び直します。
保存。
画面が強く光った。
今度は、はっきり見えた。
白い火花が、文字の上を走る。
その瞬間、会議室のモニターが勝手に暗転した。
黒い画面に、白い文字が浮かぶ。
――史観逸脱を検出。
――対象:織田信長、明智光秀。
――本能寺固定に対する活史修正を確認。
信長が腕を組む。
「来たか」
ジャンヌが前に出る。
「落ち着いてください。これは攻撃ではありません。観測です」
文字が続く。
――現行史観との衝突可能性:中。
――即時削除対象には該当せず。
佐伯さんが、小さく息を吐いた。
「即時削除じゃない……」
「通ったんですか」
俺が聞くと、ジャンヌは画面を見つめたまま答えた。
「完全には通っていません。でも、弾かれてもいません」
「つまり?」
「修正史が、例外として扱うかどうか迷っています」
迷っている。
歴史が。
管理局が。
それは、とてつもないことなのかもしれない。
文字は最後に一行だけ表示された。
――監視を継続します。
そして、画面は元に戻った。
佐伯さんが椅子に沈み込む。
「監視継続、もうおなじみになってきたなあ」
「慣れたくないですね」
「本当にね」
光秀は、まだ画面を見ていた。
「私は、消されなかったのですね」
「はい」
俺は答えた。
「少なくとも、この文章は残りました」
光秀は、ゆっくり息を吐いた。
その横で、信長が言う。
「当然だ。私と並ぶのだぞ。簡単に消えられては困る」
「信長様」
「何だ」
「ありがとうございます」
「礼は要らぬ」
「では、今後の発言確認表を更新します」
「なぜそうなる」
「隣に立つ以上、必要です」
信長は額に手を当てた。
「宮田」
「はい」
「本当に味方にしてよかったのか」
「かなりよかったと思います」
「私以外にはな」
佐伯さんが、進行表を見る。
「よし。本文はこれで初稿完成。黒川さん、ビジュアル修正は?」
「あと二時間ください」
「光秀さん、監修は?」
「本文確認に一時間半。信長様発言リスク確認に三十分」
「信長さん、最終確認は?」
「私は今すぐでもよい」
「それが一番怖い」
会議室が動き始める。
誰かが資料を開き、誰かが修正を入れ、誰かがSlackに連絡し、誰かが胃薬を飲む。
その中心に、信長と光秀がいる。
魔王と裏切り者ではない。
トップと実務責任者でも、まだ足りない。
進む者と、隣で止める者。
いや。
進みすぎないように、隣で歩く者。
その関係を、俺たちは今からゲームイベントとして実装する。
ソシャゲのイベント。
限定ボイス。
バトル演出。
ガチャ告知。
ユーザーコメント。
そんなもので歴史が変わるのかと、昔の俺なら笑ったかもしれない。
でも今は、笑えなかった。
目の前にいる二人が、その小さな足場を必要としている。
なら、作るしかない。




