第26話 今度は、隣で止める
プロデューサーの顔色が変わる。
「取り下げる?」
「はい」
「もうイベントは公開されています」
「だからこそです」
「今さら何を言っているんですか。こちらはあなたの意見も参考にして制作を進めたんです」
「参考にしただけで、聞いてはいません」
光秀の声は、静かだった。
「私は、私を反逆者として扱わないでほしいと言いました。信長様を止められるべき魔王として描かないでほしいと言いました。本能寺を、ただの悲劇として消費しないでほしいと言いました」
彼女は、手元の資料を見る。
「そのどれも、届きませんでした」
「一方的ですね」
プロデューサーは冷たく言った。
「あなたは監修者ではありません。正式な契約もない。あくまで参考意見をいただいただけです」
その言葉は、刃だった。
光秀は、一瞬だけ動きを止めた。
正式な契約はない。
監修者ではない。
参考意見。
つまり、責任ある存在ではない。
名前も、立場も、記録もない。
また、そうなる。
信長が一歩前に出た。
廊下の空気が変わる。
「貴様」
「信長さん」
佐伯が慌てて止める。
だが、信長は止まらなかった。
プロデューサーの前に立つ。
現代服なのに、まるで軍装のように見えた。
「光秀の言葉を使いながら、光秀はいなかったことにするか」
プロデューサーは、信長を見て一瞬だけたじろいだ。
その姿と声に、何かを感じたのだろう。
だが、すぐに表情を戻す。
「あなたは?」
「織田信長」
廊下が静まり返った。
プロデューサーは、しばらく信長を見た。
そして、笑った。
「なるほど。ヒスガルさんも、かなり徹底していますね」
「徹底?」
「本人なりきりのプロモーションですか。面白いですが、こちらの現場でやるのはやめていただきたい」
信長の目が細くなる。
宮田は、まずいと思った。
かなりまずい。
この人は今、信長を“なりきりプロモーション”として処理した。
それは現代人として当然の反応だ。
だが、信長本人に向かって言うには、最悪の言葉だった。
「なりきりか」
信長が笑う。
廊下の照明が、ほんの少し揺れた。
ジャンヌが小さく祈りの言葉をつぶやく。
佐伯が、ほとんど反射で言った。
「信長さん、燃やさない」
「まだ何もしておらぬ」
「“まだ”が怖いんです」
プロデューサーは、そこでようやく少しだけ異変に気づいたようだった。
だが、遅い。
光秀が信長の前に出た。
「信長様」
「どけ、光秀」
「どきません」
二人の視線がぶつかる。
廊下の空気が、また変わった。
戦国の温度。
本能寺の前の、張り詰めた空気。
「また私を止めるか」
信長が言った。
光秀は、目を逸らさなかった。
「止めます」
その一言に、全員が息を呑んだ。
光秀は続ける。
「ただし、今度は信長様を終わらせるためではありません」
信長の目が揺れた。
「ここで燃やせば、また貴女は“燃やす魔王”として語られます。私は、それを止めます」
廊下に沈黙が落ちる。
佐伯が、小さくつぶやいた。
「光秀さん……」
信長は、光秀を見ていた。
怒りも、苛立ちも、何もかもがその目の奥で揺れている。
だが、やがて彼女は息を吐いた。
「相変わらず、面倒な女だ」
「承知しております」
「そこは否定せぬのか」
「事実ですので」
信長は、ふっと笑った。
炎は消えた。
廊下の照明も元に戻る。
プロデューサーは、何が起きたのか理解できていない顔をしていた。
佐伯が、静かに前へ出る。
「レーヴァテインさん。今日はこれ以上、ここで揉めてもお互い得がありません」
「……そちらが勝手に来たんでしょう」
「はい。それは謝ります。ただ、明智光秀さんの扱いについては、今後こちらから正式に抗議します」
「何の権利で」
「権利はこれから確認します」
「滅茶苦茶ですね」
「ええ。正直、滅茶苦茶です」
佐伯は苦笑した。
「でも、あなた方もかなり滅茶苦茶なことをしています」
プロデューサーは答えなかった。
光秀は、手元の資料を胸に抱いた。
その指が、まだ少し震えている。
宮田は彼女に声をかけた。
「光秀さん」
「はい」
「少し、話せますか」
光秀は、信長を見る。
信長はそっぽを向いた。
「勝手にせよ」
拒絶ではなかった。
少なくとも、宮田にはそう聞こえた。
光秀は小さくうなずいた。
「お願いします」




