第24話 私は、私の罪から逃げたいのではありません
廊下で見ている宮田たちも、動けなかった。
佐伯が、小さく言う。
「強い」
「佐伯さん」
「いや、今のは強い。会議で言いたいけど、なかなか言えないやつ」
信長は、ほんの少しだけ笑っていた。
誇らしげに。
だが、その笑みはすぐに消える。
画面にノイズが走った。
コメント欄が一瞬止まる。
配信画面の端に、見覚えのある白い文字が浮かび上がった。
――史観逸脱を検出。
宮田は背筋が冷えるのを感じた。
「管理局……!」
ジャンヌが表情を引き締める。
「来ます」
白い文字が続く。
――対象:明智光秀。
――固定役割からの逸脱を確認。
――修正処理を開始します。
次の瞬間、配信の音声が一瞬だけ乱れた。
光秀の声が途切れる。
画面に表示されていたコメントが、別の言葉に置き換わっていく。
――やっぱり光秀かわいそう。
――信長が悪いってこと?
――魔王を止めた光秀、尊い。
――これは反逆じゃなく忠義。
――光秀は悪くない。
違う。
さっきまで、もっと複雑な反応があった。
信長も悪者にするのは違う。
止め役が悪者になるのはつらい。
光秀の話そのものが刺さる。
それが、一気に単純な方向へ整えられていく。
光秀は悪くない。
信長を止めた忠義の少女。
綺麗な檻。
「まずい」
宮田は言った。
ジャンヌがうなずく。
「管理局だけではありません。ユーザーの認識も、わかりやすい物語に引っ張られています」
「どうすれば」
画面の中で、光秀が何かを言おうとしている。
だが、音声が乱れる。
司会が慌てて性能紹介へ移ろうとする。
プロデューサーは、ほっとしたように笑っている。
流れが戻される。
光秀の言葉が、また商品に回収される。
その時、信長が一歩前へ出た。
「宮田」
「はい」
「出るぞ」
「どこに」
「中だ」
「配信中ですよ」
「だからだ」
信長は、廊下の先にあるスタジオ扉を見た。
佐伯が慌てて前に出る。
「待ってください。乱入は最悪です。会社的にも、法務的にも、社会人的にも全部まずいです」
「ならばどうする」
「交渉します」
「間に合うのか」
「間に合わせます」
佐伯は、珍しく強い声で言った。
そして、スタッフに向かって歩いていく。
「すみません。アルカディアゲームスの佐伯です。緊急で、そちらのプロデューサーさんにお話があります」
スタッフは当然、困惑した。
「え、今配信中でして」
「わかっています。だから緊急です」
「ですが」
「今の配信、企画上かなり危険な方向に行っています。御社にとってもリスクです」
「リスク?」
「このままだと、監修協力者が本番中に完全に反発します。配信事故になります。炎上します」
佐伯の声は落ち着いていた。
現代の戦い方だった。
「こちらは競合ですが、同じ業界です。事故になる前に、三分だけ時間をください」
スタッフは迷っている。
その間にも、画面の中では光秀が沈黙させられつつある。
信長の指が、刀の柄を探すように動いた。
現代服なので刀はない。
ないが、何かあれば普通に燃やしかねない。
宮田はスマホを握った。
「高橋さん」
通話を繋ぐ。
『はい!』
「ヒスガル公式アカウント、今使えますか」
『使えます。何か出しますか?』
「出します」
『内容は?』
宮田は配信画面を見る。
光秀が、言葉を失いかけている。
信長が、扉の前で燃えかけている。
佐伯が、現代社会の段取りで必死に時間を作ろうとしている。
自分にできることは、やはり書くことだった。
「信長さん」
「何だ」
「あなたの名前で、短いコメントを出していいですか」
「私の名で?」
「はい」
「何を書く」
俺はスマホを握ったまま止まった。
最初に浮かんだのは、
――明智光秀は、裏切り者ではありません。
違う。
それでは、光秀を救うためだけの言葉になる。
次に浮かんだ。
――明智光秀は、信長を救おうとした。
それも違う。
光秀を「忠義の少女」という別の役割へ入れるだけだ。
「宮田」
信長が静かに言った。
「はい」
「私が、あやつを何と呼ぶかではない」
「え?」
「何と呼ばぬかを書け」
その一言で、全部つながった。
「……はい」
俺は高橋さんへ文面を伝えた。
――織田信長は、明智光秀を“反逆者”とも“忠義の少女”とも呼ばない。
――本能寺は、ひとりの罪でも、ひとりの美談でもない。
――彼女を、わかりやすい役割に閉じ込めないでほしい。
――三周年イベント後編《本能寺再提出》、準備中。
数秒後。
ヒスガル公式アカウントから、その文が流れた。
配信コメント欄に、すぐ変化が起きた。
――ヒスガル公式きた。
――本能寺再提出!?
――反逆者でも忠義でもない?
――信長側から光秀を閉じ込めるなって言ってるの熱い。
――これ、解釈戦争じゃなくて共同戦線じゃん。
――本能寺はひとりの罪でも美談でもない、強い。
――光秀を救うの、ヒスガル側なのか?
配信画面のノイズが揺らいだ。
管理局の白い文字が乱れる。
――認識干渉を検出。
――別系統の活史修正を確認。
――固定処理、遅延。
光秀の音声が戻った。
彼女は、画面の中で顔を上げる。
おそらく、コメント欄を見たのだろう。
ヒスガル公式の投稿が、そこに流れている。
織田信長は、明智光秀を“反逆者”とも“忠義の少女”とも呼ばない。
その一文を読んだ時、光秀の表情が変わった。
信長を見ることはできない。
でも、届いた。
信長の言葉として、届いた。
「信長様……」
光秀がつぶやく。
司会が慌てて言う。
「え、ええと、今コメント欄でも話題になっていますが、ヒスガルさんの方でも何か動きが――」
プロデューサーが、明らかに苛立った顔をした。
流れを取られた。
自分たちが用意した本能寺の物語に、ヒスガルが別の言葉を差し込んだ。
だが、もう止められない。
光秀は、カメラを見た。
今度は、用意された台詞ではなかった。
「私は」
彼女は言った。
「私は、反逆者ではありません」
少しだけ間を置く。
「けれど、忠義の少女として美しく飾られたいわけでもありません」
コメント欄が止まるほどの勢いで流れる。
「私は、信長様を終わらせたかったのではありません。止めなければならないと思った。けれど、その判断が正しかったのか、今もわかりません」
光秀の声は、震えていた。
けれど、止まらなかった。
「だから、私を“悪くなかった”の一言で救わないでください」
信長が、息を呑んだ。
「その救いは、また誰かを悪者にします」
スタジオが静まり返る。
司会も、プロデューサーも、言葉を挟めない。
「私は、私の罪から逃げたいのではありません」
光秀は、まっすぐカメラを見た。
「ただ、私を一つの役割で終わらせないでください」
その瞬間、配信画面のノイズが弾けた。
白い文字が消える。
コメント欄が一気に流れる。
――光秀……
――悪くなかったで救わないで、やばい。
――これ台本じゃないだろ。
――反逆でも忠義でもない。
――本能寺再提出、見たい。
――ヒスガルとレーヴァテインで何が起きてるんだ。
――光秀を役割で終わらせるな。
佐伯が、ようやく戻ってきた。
「宮田くん、今の投稿」
「すみません」
「謝る前に、数字が跳ねてる」
「え」
「ヒスガル公式、めちゃくちゃ伸びてる」
「それはいいことですか」
「いいことだけど、胃には悪い」
信長は、画面の中の光秀を見ていた。
そして、ふっと笑った。
「ようやく言ったか」
その声は、誇らしげだった。
同時に、少し寂しそうでもあった。




