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第22話 私は、明智光秀です

 レーヴァテインの配信スタジオは、渋谷のイベントスペース内にあった。


 公式配信とはいえ、一般観覧はない。

 関係者と一部メディアだけが入る小規模なものらしい。


 俺たちは、スタジオ近くのビルの一階ロビーにいた。


 信長は黒川さんが用意した現代服を着ている。


 黒いジャケットに赤のインナー。

 軍装ほどではないが、やたら迫力がある。

 猫耳は帽子の中に押し込めている。


 ジャンヌは白いワンピース姿だった。


 普通の服のはずなのに、どこか聖女感が消えていない。

 通りすがりの人が二度見する。


 黒川さんは、いつも通り落ち着いている。

 佐伯さんは、明らかに落ち着いていない。


「宮田くん」


「はい」


「今さらだけど、これ本当にどうやって入るの?」


「関係者受付で交渉します」


「名刺出して?」


「はい」


「競合会社のPとシナリオ担当が、相手の配信現場に突然来るの、かなり怖くない?」


「怖いですね」


「だよね」


 信長が言う。


「正面から行けばよい」


「信長さん、現代社会にはアポイントというものがあってですね」


「戦場にアポイントはない」


「配信スタジオは戦場じゃないです」


「本能寺なら戦場だ」


「今日の本能寺は配信スタジオです」


「ならば戦場だ」


 この人、論理が強いのか雑なのかわからない。


 佐伯さんが胃を押さえる。


「黒川さん、何かない?」


「あります」


 黒川さんは、平然と答えた。


 そしてバッグから、数枚の入館パスを取り出した。


 俺たちは固まった。


「黒川さん?」


「レーヴァテインのアートディレクターとは、コスプレ衣装展示イベントで面識があります。今回の配信にも衣装資料展示があると聞いたので、見学許可をいただきました」


「いつの間に」


「移動中です」


「仕事が早い」


「資料ですので」


 佐伯さんが、心底ほっとした顔をした。


「黒川さん、たまに忍者みたいなことするよね」


「衣装関係者です」


「便利すぎる」


 信長が、パスを見てうなずく。


「よし。入るぞ」


「信長さん、くれぐれも」


 佐伯さんが念を押す。


「くれぐれも、配信中に斬るとか燃やすとか言わないでください」


「言わねばよいのだな」


「思っても駄目です」


「心まで縛るか」


「現代社会なので」


 受付を通ると、スタジオ裏の廊下に案内された。


 配信開始まで、あと二十分。


 スタッフが慌ただしく行き交っている。


 どこかで音声チェックの声がする。


 モニターには、配信用の待機画面が表示されていた。


 《本能寺リライト ――明智光秀、反逆の白刃》


 その下に、出演者名。


 レーヴァテイン・スタジオ プロデューサー。


 担当シナリオライター。


 声優。


 そして。


 歴史解釈協力者。


 名前はなかった。


 信長の足が止まる。


 俺も、それを見て胸がざらついた。


 歴史解釈協力者。


 光秀ではない。


 明智光秀でもない。


 ただの協力者。


 使う時だけ都合よく呼ばれる肩書き。


 その時、廊下の奥から、一人の女が歩いてきた。


 銀髪。


 眼鏡。


 白いブラウスに、紺のスカート。


 姿勢は美しい。


 けれど、その顔は少し疲れていた。


 手には、赤字がびっしり入った資料を持っている。


 俺は、すぐにわかった。


 信長も、わかったのだと思う。


 彼女の耳が、帽子の下で小さく動いた。


 銀髪の女は、こちらに気づいて足を止めた。


 その瞳が、信長を見た。


 長い沈黙。


 廊下の喧騒だけが遠くなる。


 女は、信じられないものを見るように、かすかに唇を開いた。


「信長様……?」


 信長は、帽子を取った。


 黒い猫耳が現れる。


 廊下にいたスタッフの何人かが、ぎょっとしてこちらを見る。


 だが、信長は気にしなかった。


 彼女は、まっすぐ銀髪の女を見て言った。


「久しいな、光秀」


 女の手から、赤字だらけの資料が落ちた。


 床に散らばった紙の一枚に、赤字でこう書かれていた。


 ――“反逆”ではありません。

 ――“制止”です。

 ――ただし、信長様を悪として固定しないでください。


 その文字を見て、俺は息を呑んだ。


 彼女は、ちゃんと直そうとしていた。


 直そうとして、聞き流されていた。


 光秀は、信長を見つめたまま、震える声で言った。


「私は……」


 言葉が続かない。


 信長は一歩近づく。


 怒鳴るかと思った。


 斬ると言うかと思った。


 でも、信長は言わなかった。


 ただ、落ちた資料を拾い上げた。


 赤字だらけの紙を見て、鼻で笑う。


「相変わらずだな」


「信長様」


「言いたいことがあるなら、配信の前に言え」


 光秀の顔が歪んだ。


「私は、止めようとしました」


「何を」


「この企画を。この言葉を。信長様を、止められるべき魔王として描くことを」


「止まらなかったか」


 光秀は唇を噛んだ。


「はい」


「そうか」


 信長は短く言った。


 それだけだった。


 責めなかった。


 許しもしなかった。


 ただ、そうか、と言った。


 その一言が、逆に光秀の表情を崩した。


「私はまた、間に合わなかったのでしょうか」


 光秀が言った。


 廊下の空気が止まる。


「また、止めるつもりで、信長様を追い詰めたのでしょうか」


 信長は答えない。


 答えられないのかもしれない。


 俺は、その二人の間に本能寺があるのを感じた。


 燃える寺。


 進む魔王。


 止める女。


 後世が何度も語り直し、そのたびに二人を役割へ戻してきた場所。


 そこから出るには、たぶん二人だけでは足りない。


「光秀さん」


 俺は声をかけた。


 彼女がこちらを見る。


 その目は、警戒していた。


「誰ですか」


「アルカディアゲームスの宮田です。ヒスガルで、信長さんのシナリオを書いています」


 光秀の表情が変わった。


「あなたが」


「はい」


「信長様を、本能寺の先へ進ませた方ですか」


「そう言えるほど、まだできていません」


 俺は、落ちた資料の一枚を拾った。


 赤字。


 修正指示。


 丁寧すぎる注釈。


 その全部が、光秀の必死さを物語っていた。


「でも、あなたを“反逆の白刃”のまま配信に出すのは、違うと思います」


 光秀の目が揺れた。


「……では、どうすればよいのですか」


 俺は答えようとした。


 その時、廊下の奥からスタッフの声が飛んだ。


「歴史解釈協力者さん、そろそろスタンバイお願いします!」


 光秀の肩が、びくりと震えた。


 呼ばれ方に、名前はなかった。


 信長の目が細くなる。


 佐伯さんが、一歩前に出た。


「宮田くん」


「はい」


「時間がない」


「わかってます」


 配信開始まで、あと五分。


 レーヴァテインのイベントは、もう走り出している。


 止めるには遅い。


 でも、何もできないほど遅くはない。


 俺は光秀を見る。


「光秀さん」


「はい」


「配信に出るなら、あなたの言葉で話してください」


「私の言葉で……」


「用意されたコピーじゃなくて。反逆の白刃でも、魔王を止めた少女でもなく。あなたが本当に変えたかったことを」


 光秀は、震える手で資料を握りしめた。


「ですが、それでは進行に支障が」


 佐伯さんが、深くうなずいた。


「その気持ちはめちゃくちゃわかります」


「え」


「でも、今は支障を出す場面です」


 光秀が、佐伯さんを見る。


 佐伯さんは胃を押さえながら、真剣な顔をしていた。


「段取りを守るのは大事です。でも、段取りが人を潰す時は、止めた方がいい」


 その言葉に、光秀の目が大きく開いた。


 現代の中間管理職と、戦国の中間管理職が、ようやく同じ場所に立った。


 信長が、ふっと笑う。


「聞いたか、光秀」


「信長様」


「たまには、段取りを燃やせ」


「……その言い方は、誤解を招きます」


「そこだ。貴様は変わらぬな」


 光秀の目に、わずかに涙が浮かんだ。


 だが、彼女はすぐにそれを飲み込んだ。


 姿勢を正す。


 資料を持ち直す。


 そして、静かに言った。


「わかりました」


 スタッフが再び呼ぶ。


「歴史解釈協力者さん!」


 光秀は、一瞬だけその呼び名に目を伏せた。


 そして、顔を上げる。


「私は、明智光秀です」


 その声は小さかった。


 だが、確かだった。


「行ってまいります」


 彼女は配信スタジオへ向かった。

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