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第2話 本人監修の結果、猫耳は正式実装されました

床の上で、乾いた音を立てる。


「……合ってるんだ」


 佐伯さんが、呆然とつぶやいた。


 信長はぎろりと彼を見た。


「何か申したか」


「いえ。何も。続けてください」


 信長は鼻を鳴らした。


 俺は彼女を見た。


 猫耳。


 半妖。


 第六天魔王。


 売れると思って盛った設定の一つが、まさか本人から肯定されるとは思わなかった。


 けれど、信長の表情に笑みはなかった。


 彼女は机の上の企画書を手に取る。


 俺が書いたプロフィール文を、しばらく無言で眺めた。


 やがて、赤い瞳が細められた。


「貴様らの知る織田信長は」


 低い声が、会議室に響いた。


「私ではない」


会議室の空気が止まった。


 さっきまでの混乱とは種類が違う。


 画面から人が出てきたことよりも、その一言の方が現実味を失わせた。


「……えっと」


 最初に口を開いたのは佐伯さんだった。


「一般的に知られている織田信長像が、違うということですか?」


「そうだ」


 信長は短く答えた。


「男の武将。革新的な大名。比叡山を焼き、本能寺で死んだ天下人。そう語られているのだろう?」


「はい」


「それは間違いではない」


 少しだけ、俺は安心した。


 全部ひっくり返す話ではないらしい。


 だが。


「だが、それだけではない」


 信長は静かに続ける。


「人が理解しやすいよう削られた。扱いやすいよう整えられた。それが、貴様らの知る歴史だ」


 誰も言葉を返せなかった。


 俺だけが、机の上のプロフィール資料を見つめていた。


 そこには、自分が勢いだけで書いた一文がある。


 ――後世に男性として記されたその姿は、修正された歴史の仮面に過ぎない。


 ほんの数分前まで、ストア審査を心配して書き換えようとしていた文章だった。


 信長はその紙を持ち上げる。


「宮田」


「はい」


「これは貴様が書いたな」


「そうです」


「なぜ、このように書いた」


 俺は考えた。


 何か格好いい理由を言った方がいいのかもしれない。


 歴史への敬意とか。


 創作哲学とか。


 しかし、口から出たのは本音だった。


「……売れると思ったからです」


 沈黙。


 佐伯さんが胃を押さえた。


 黒川さんは小さく目を伏せる。


 終わった。


 そう思った。


 ところが。


 信長は、ふっと笑った。


「正直だな」


「すみません」


「よい」


 怒るどころか、どこか楽しそうだった。


「神のお告げを受けただの、運命に導かれただのと言われるより信用できる」


 そう言って、もう一度プロフィールへ目を落とす。


「もっとも」


 指先が紙を軽く叩いた。


「これは雑だ」


「はい」


「安い」


「はい」


「ところどころ腹が立つ」


「返す言葉もありません」


「だが」


 そこで初めて、信長はまっすぐ俺を見た。


「近い」


 短い一言だった。


 なのに、その場にいた全員が息をのんだ。


「……近い?」


 俺が聞き返す。


 信長はうなずいた。


「後世に伝わった男の信長よりも、貴様が売れると思って作ったこの姿の方が、本来の私には近い」


 佐伯さんが、落とした胃薬を拾うことも忘れて固まっている。


「ちょっと待ってください」


 震える声で言う。


「つまり宮田くんの設定が、本当に……」


「史実か、と問うているのか」


「まあ……はい」


「違う」


 信長は首を振った。


「史実ではない」


 少しだけ、肩の力が抜ける。


 やっぱり創作だったのか。


 だが、その次の言葉で、また息が止まった。


「史実より近いだけだ」


 誰も動かなかった。


 信長は窓の外へ視線を向ける。


「歴史とは積み重なるものだ。」


「そして削られるものでもある。」


「勝者が削る。」


「敗者が削る。」


「都合の悪いものは、人自ら削る。」


 静かな声だった。


 怒りではない。


 諦めでもない。


 何百年も前に終えた話を、ただ語っているだけの声。


「貴様らが知る歴史は、その削り終えた姿だ」


 俺は自分のノートを閉じた。


 書き留める気になれなかった。


 これは議事録ではない。


 歴史の授業でもない。


 俺の常識そのものが揺れていた。


 信長は再び俺を見る。


「宮田」


「はい」


「一つ聞こう」


「はい」


「貴様は、なぜ私に猫耳を付けた」


「え?」


 思わず間抜けな声が出た。


「いや……その……」


 理由なんて単純だ。


「可愛いからです」


 信長は無言だった。


 佐伯さんが頭を抱えた。


「宮田くん!」


「嘘をついても仕方ないじゃないですか!」


 数秒。


 沈黙。


 そして。


 信長は、小さく笑った。


「なるほど」


 耳が一度だけ、ぴくりと動く。


「その理由は嫌いではない」


 黒川さんが静かにメモを取った。


「猫耳、正式採用ですね」


「そこを議事録に残すな」


 信長が即座に突っ込む。


 初めて、会議室に笑いが戻った。


 ほんの少しだけ。


 ほんの少しだけだったが。


 その空気は、すぐに消えた。


 信長の表情が曇ったからだ。


「……だが」


 赤い瞳が伏せられる。


「……一つだけ、解せぬことがある」


「解せないこと?」


 信長は静かに頷いた。


「貴様は言ったな」


「売れると思った、と」


「……はい」


「歴史を知っていたわけでもない。」


「私を見たこともない。」


「それなのに」


 赤い瞳が真っ直ぐ俺を見る。


「貴様は、本来の私に近い姿を描いた」


 会議室が静まり返る。


 俺自身が、一番わけが分からなかった。


 猫耳も。


 半妖も。


 第六天魔王も。


 全部、売れそうだから足しただけだ。


 なのに、それが本人に「近い」と言われている。


「偶然とは思えぬ」


 信長は小さく息を吐いた。


「ならば理由があるはずだ」


「理由……」


「私がここへ現れた理由も。」


 その声には、先ほどまでの余裕はなかった。


 武将としてではない。


 一人の存在として、自分自身へ問いを向けている声だった。


「宮田」


「はい」


「貴様には、何かある。」


「だから私は見る」


 信長は静かに笑う。


「貴様が何を書くのか。」


「そして」


 一拍置いて、言った。


「私が、この時代へ現れた意味を」


 その瞬間。


 俺はようやく理解した。


 これは、信長というキャラクターを作る話ではない。


 歴史を作り直す話でもない。


 消された歴史を、一緒に探す物語なのだ。


 俺は小さく息を吐いた。


 そして、目の前の企画書を閉じる。


 三周年イベントの仕様書だった紙は、もう別の意味を持ち始めていた。


そしてたぶん、ここから先は、ただ売れるキャラを作ればいい話ではない。


 そう理解した瞬間だった。


 会議室の照明が、もう一度ちらついた。


 今度は、タブレットではない。


 壁面モニターが勝手に起動した。


 会議用の入力端子は繋がっていない。オンライン会議も立ち上げていない。なのに、黒い画面の中央に、白い文字が浮かび上がる。


 佐伯さんが、反射的に胃を押さえた。


「……宮田くん」


「はい」


「これも演出?」


「違います」


「じゃあバグ?」


「バグであってほしいです」


「俺もそう思う」


 画面に、件名が表示された。


 【重要警告:貴社実装予定キャラクター《獣血天魔・織田信長》について】


 会議室の温度が下がった気がした。


 さっきまで信長本人が目の前にいるという、現実感のない状況だった。

 だが、この文面には別種の現実味があった。


 丁寧で、無機質で、逃げ場がない。


 メールの差出人欄には、見たことのない組織名があった。


 修正史管理局・史観監査課。

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