第1話 女体化ではない、史実です
俺が作った織田信長は、猫耳だった。
いや、言い訳をさせてほしい。
別に俺は、歴史を冒涜したかったわけではない。
信長という巨大すぎる題材を前にして、ソシャゲ三周年限定キャラとしての“引き”を考えた結果、こうなっただけだ。
偉人美少女バトルRPG『ヒストリアガールズ・サーガ』。
通称、ヒスガル。
世界中の偉人を美少女化し、プレイヤーが彼女たちを召喚して戦う。言ってしまえば、かなり見覚えのある企画である。
だが、見覚えがあるということは、それだけ需要があるということでもある。
サービス開始から三年。
うちのタイトルは、そこそこ頑張っていた。
大ヒットではない。覇権でもない。
けれど、熱心なユーザーはいる。毎月の売上に胃を痛めるプロデューサーもいる。イベント更新日のたびに目の下にクマを作る開発陣もいる。
つまり、現場は生きている。
そして、生きている現場には三周年イベントが来る。
「宮田くん」
午前十時十三分。
株式会社アルカディアゲームス、会議室B。
ホワイトボードには、三周年限定SSR案がいくつも貼られていた。
なぜかどれも赤字修正だらけで、もはやキャラ案というより事故報告書に近い。
プロデューサーの佐伯さんが、胃のあたりを押さえながら俺を見た。
「この信長さん、強すぎない?」
「三周年ですから」
「いや、性能じゃなくて、設定が」
「設定ですか」
「うん」
佐伯さんは企画書を読み上げる。
「猫耳。半妖。第六天魔王。獣血覚醒。炎上耐性無視。宝具名が『本能寺・獣王炎界』」
一度、資料から顔を上げた。
「ちょっと盛りすぎじゃない?」
佐伯さんは三十八歳。
ヒスガルのプロデューサーであり、俺の直属上司であり、売上と炎上とストア審査とサービス終了リスクに毎日挟まれている人である。
優しい人だ。
怒鳴らない。
ただし、怒鳴らない代わりに、胃薬の消費量がすごい。
「でも、信長ですよ」
俺は言った。
「普通に戦国武将として出しても、もう他社さんが百回やっています。うちで三周年の目玉にするなら、ユーザーが一目で『今回の信長は違う』ってわかる強い記号が必要です」
「それで猫耳?」
「はい」
「半妖?」
「はい」
「女性?」
「ヒスガルなので」
「第六天魔王?」
「そこは史実寄りです」
「猫耳半妖のどこに史実があるの?」
「比喩です」
「便利な言葉だなあ、比喩」
佐伯さんが遠い目をした。
隣では、アートディレクターの黒川さんが無言で立ち絵を確認している。
黒髪を後ろでまとめた、いつも落ち着いた人だ。
手元のタブレットには、俺が設定した信長の最終デザインが表示されていた。
黒地に赤の軍装。
肩から獣毛のマント。
腰には刀。
頭には、ぴんと立った黒い猫耳。
正直、かなり良い。
かなり良いが、歴史監修が見たら眉間にしわを寄せる自信はある。
「黒川さん、デザイン的にはどうですか?」
佐伯さんが聞く。
黒川さんは画面を拡大し、信長の耳をじっと見た。
「耳の位置は良いと思います。シルエットで差別化できていますし、既存衣装とも被りません」
「既存衣装と差別化するために耳が生えたんだ……」
「ただ、尻尾は削りました」
「尻尾もあったの?」
「宮田さんの初期案では」
佐伯さんの視線が俺に刺さる。
「宮田くん」
「はい」
「尻尾は?」
「演出案でした」
「演出案で信長さんに尻尾を生やさないで」
「削ったので大丈夫です」
「削ったから大丈夫、ではないんだよなあ」
佐伯さんは胃薬を取り出した。
この人は、会議で水を飲むように胃薬を飲む。
「まあ、でも」
錠剤を飲み込み、佐伯さんは資料をめくった。
「数字の話をすると、この信長さんは強いと思う。三周年限定。新規呼び込み。復帰勢への訴求。PV映え。全部ある」
「では」
「あるんだけど」
佐伯さんは俺を見た。
「歴史警察が来る」
「来ますか」
「絶対来る。『織田信長を猫耳にするな』って来る」
「でも、今さらでは?」
「今さらだけど来るんだよ。今さらだからこそ来るんだよ」
佐伯さんは深く息を吐いた。
「それで、宮田くん。プロフィール文、これで出すの?」
俺は資料に目を落とした。
三周年限定SSR。
獣血天魔・織田信長。
プロフィール文。
――尾張に生まれし半妖の姫武将。獣の血と魔王の器を宿し、人の世の理を焼き払わんとした異端の覇王。後世に男性として記されたその姿は、修正された歴史の仮面に過ぎない。
自分で書いておいてなんだが、かなり攻めている。
というか、攻めすぎて帰り道がない。
「……少しだけ弱めますか」
「少しだけ?」
「『修正された歴史』を『語り継がれた歴史』に変えるとか」
「うん。それだけでストア審査が一時間早く通る気がする」
その時だった。
会議室の照明が、一度だけちらついた。
全員が顔を上げる。
「停電?」
佐伯さんが言った。
次の瞬間、黒川さんのタブレット画面が赤く染まった。
「……え」
黒川さんが、珍しく固まる。
画面の中の信長が、ゆっくりとまばたきをした。
Live2Dの確認ではない。
まだ実装前だ。
モーションデータも仮で、目パチの設定すら入っていない。
なのに、画面の中の信長は、こちらを見ていた。
まるで画面の向こうから、こちら側を覗き込むように。
「宮田くん」
佐伯さんの声が震えていた。
「これ、演出?」
「違います」
「じゃあバグ?」
「バグで済ませたいです」
画面が割れた。
いや、正確には、割れたように見えた。
赤い光がタブレットからあふれ、会議室の空気を焼くように広がる。
紙の資料が舞い上がった。
ホワイトボードのマグネットが床に落ちる。
火の匂いがした。
赤い光の中から、誰かが一歩を踏み出した。
黒い獣毛のマント。
赤い瞳。
戦場のように鋭い視線。
腰には一振りの刀。
そして。
頭上に、ぴんと立った黒い猫耳。
画面の中にいたはずの信長が、会議室の中央に立っていた。
俺たちは、全員しばらく黙った。
普通、こういう時は誰かが叫ぶのだと思う。
しかし実際にありえないことが起きると、人間は意外と黙る。
最初に口を開いたのは、佐伯さんだった。
「……黒川さんの、コスプレ仲間?」
「違います」
黒川さんが即答した。
「資料撮影の予定もありません」
「じゃあ、誰?」
答える前に、彼女が俺を見た。
その視線だけで、背筋が伸びた。
目の前にいるのは、美少女キャラではなかった。
イラストではない。
モデルでもない。
そこにいるだけで、空気が変わる。
人を従わせることに慣れた者の目だった。
「貴様か」
低く、よく通る声だった。
「私をこのような姿にした愚か者は」
俺は数秒だけ考えた。
逃げ道はなかった。
「……シナリオ担当の宮田です」
「シナリオ?」
「はい。キャラクター設定とイベントシナリオを担当しています」
「では、貴様だな」
「おそらく」
「おそらくではない」
彼女は一歩近づいた。
会議室の長机が、その圧だけで軋んだ気がした。
「私は織田信長である」
その場の誰も、言葉を挟めなかった。
彼女はゆっくりと俺たちを見回した。
「そして、まず一つ訂正しておく」
静寂。
俺は無意識にメモを取ろうとした。
職業病である。
信長は、頭上の耳に触れた。
ぴくりと、黒い耳が動いた。
「猫耳は」
一拍。
「合っている」
佐伯さんの手から、胃薬が落ちた。
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