第17話 公開後では、遅いのです
レーヴァテイン・スタジオの新イベント公開前日。
光秀は、ようやく完成版のPVを見せられた。
場所は、レーヴァテイン本社の小さな会議室だった。
呼ばれた時間は、約束より三十分遅れていた。
担当者は「すみません、ちょっとバタついてまして」と軽く謝ったが、光秀にはその“ちょっと”の意味がまだよくわからない。
現代の社会では、人はよく遅れる。
そして、遅れた理由を説明しない。
戦であれば、遅延には原因がある。
兵糧が足りない。
道が悪い。
敵が動いた。
伝令が落ちた。
けれどこの時代の遅れは、もっと曖昧だった。
バタついている。
調整中。
確認中。
社内で握っています。
光秀は、それらの言葉が少しずつ苦手になっていた。
「では、こちらがPVになります」
企画担当がノートPCを回した。
光秀は姿勢を正し、画面を見る。
動画が始まる。
暗い空。
燃える本能寺。
画面中央に、黒と赤の炎をまとった信長らしきシルエットが立つ。
ナレーション。
――魔王は進み続けた。
光秀の眉が、少し動く。
次のカット。
銀髪の少女が、膝をついている。
その手には、折れかけた書状。
背後には、倒れた兵たちの影。
――誰も止められなかった。
光秀の喉が、わずかに鳴った。
違う。
誰も止めようとしなかったわけではない。
何度も進言した。
何度も道を変えようとした。
何度も、壊れる前に止めようとした。
けれど、その言葉は画面にはない。
PVは進む。
信長のシルエットが笑う。
――天下のためなら、すべてを焼く。
光秀は、思わず声を出した。
「信長様は、そのような言い方は」
「演出です」
企画担当が言った。
「短い尺で伝える必要があるので」
「ですが、これでは」
「もちろん本編では補足します」
本編。
補足。
光秀は、その言葉を何度も聞いた。
けれどPVは、補足を待たずに進む。
銀髪の少女が刀を抜く。
涙をこらえた顔で、炎の中へ踏み出す。
――だから私は、刃を取った。
タイトルが出る。
《本能寺リライト ――明智光秀、反逆の白刃》
最後に、少女の台詞。
――私は裏切ったのではありません。
――魔王を止めるため、刃を取ったのです。
動画が終わった。
会議室には、妙な沈黙が落ちた。
企画担当は、反応を待っている顔だった。
光秀は、しばらく画面を見つめていた。
言葉が出なかった。
たしかに、裏切り者ではないと言っている。
たしかに、止めるためだと言っている。
たしかに、光秀側の物語になっている。
けれど、そこにいる自分は、また刃を取っていた。
信長様は、止められるべき魔王だった。
自分は、その魔王に涙ながらに刃を向ける少女だった。
これは、違う。
でも、完全に違うと言い切るための言葉が、すぐに出てこない。
そこが、一番苦しかった。
「……修正をお願いします」
光秀はようやく言った。
企画担当の顔が、ほんの少しだけ引きつった。
「どのあたりでしょう」
「まず、信長様の描写です。あの方は、すべてを焼くために進んだのではありません」
「ただ、ユーザーにわかりやすくするために」
「わかりやすさで歪めないでください」
「ですが、もうPVは納品済みでして」
「納品済みでも、公開前です」
「差し替えは難しいですね」
「難しい、ではなく」
光秀は、そこで言葉を止めた。
企画担当の顔に、はっきりと面倒くささが浮かんだからだ。
昨日までは隠していたものが、もう隠されていなかった。
「明智さん」
彼は、少し声を低くした。
「お気持ちはわかります」
光秀は、その言葉で嫌な予感がした。
「ですが、これはゲームのイベントです。限られた尺で、ユーザーに興味を持ってもらう必要があります」
「そのために、また同じ位置へ置くのですか」
「同じではありません。今回は光秀側の真実を描きます」
「私の真実ではありません」
「明智さんの解釈は、かなり参考にしています」
「解釈ではありません」
光秀の声が、わずかに震えた。
「私は」
私は、何だ。
本人です、と言えばいいのか。
明智光秀です、と最初に名乗った。
けれど、その時の彼らの顔を覚えている。
変な人を見る顔。
面白い素材を見る顔。
自分の言葉だけを拾い、自分自身は信じていない顔。
それでも、ここなら自分の位置を変えられると思った。
裏切り者ではないと、少しでも伝えられると思った。
だが、違った。
この人たちは、自分を裏切り者から別の商品に移し替えただけだった。
「私は、信長様を終わらせたかったのではありません」
光秀は言った。
「そこは入れています」
企画担当は画面を指す。
「“魔王を止めるため”と」
「違います」
「でも、ユーザーには伝わります」
「何がですか」
「光秀は悪くなかった、ということが」
光秀は、息を呑んだ。
光秀は悪くなかった。
その言葉は、甘かった。
ずっと欲しかった言葉に近かった。
裏切り者ではない。
悪くなかった。
仕方なかった。
忠義だった。
そう言われれば、どれほど楽だっただろう。
けれど。
それは、信長様を悪くすることで得る免罪ではないか。
自分が悪くなかったと言うために、信長様を止められるべき魔王にするのか。
それでは、本能寺から何も出られない。
「このPVは、止めてください」
光秀は言った。
企画担当は、今度こそはっきり困った顔をした。
「それは無理です」
「なぜですか」
「もう広告枠も取っていますし、公開スケジュールも組んでいます。声優さんの収録も終わっています。イラストもバナーも納品済みです。今止めたら損失が出ます」
「損失」
「はい」
「私の位置付けよりも」
光秀は、ゆっくり聞いた。
「損失が大事ですか」
企画担当は、一瞬だけ黙った。
それから、笑顔を作った。
「どちらも大事です」
その答えで、光秀は理解した。
こちらでは、もう変えられない。
少なくとも、今の自分の言葉では。
「……わかりました」
光秀は立ち上がった。
「明智さん?」
「失礼いたします」
「公開後に反応を見て、必要なら調整しましょう」
光秀は、扉の前で振り返った。
「公開後では、遅いのです」
それだけ言って、会議室を出た。




