第16話 届かなかった監修
信長が、静かに言った。
「ならば書け。私も、光秀も、奴らの商品ではないと」
信長の声は静かだった。
けれど、その静けさの奥に、炎があった。
俺はうなずき、キーボードに指を置く。
画面には、ヒスガル三周年イベント後編のシナリオファイルが開かれている。
タイトル。
《獣血天魔・織田信長 ――本能寺の先へ 後編》
今までは、信長が本能寺の炎を越え、現代で自分の名を取り戻す話として組んでいた。
それだけでも、十分だったはずだ。
少なくとも、昨日までは。
でも今は違う。
レーヴァテインが、明智光秀を使って本能寺をもう一度商品にしようとしている。
信長を「止められるべき魔王」として置き、光秀を「魔王を止めた悲劇の少女」として売り出そうとしている。
どちらも、たぶん一部は正しい。
だからこそ、危ない。
俺は新しい節を作った。
見出し。
――本能寺は、ひとりの終わりではない。
その下に、少しずつ言葉を置いていく。
――魔王と呼ばれた者がいた。
――その魔王を、止めようとした者がいた。
――後世は一方を討たれた者と呼び、一方を討った者と呼んだ。
――だが、記録はいつも、役割を好む。
――人を、役割の中へ閉じ込める。
そこまで打ったところで、背後から信長が言った。
「役割か」
「はい」
「私は魔王。光秀は裏切り者」
「今度は、光秀さんを忠義の少女に置き換えようとしている」
「それも役割だな」
「はい」
信長は腕を組んだ。
「ならば、光秀は怒るだろう」
「怒りますかね」
「怒る。だが、怒るまでが遅い」
「遅い?」
「あやつは、まず自分の説明が足りなかったのではないかと考える。次に、相手にも事情があるのではないかと考える。その次に、もう一度資料を作る」
「つらいですね」
「つらい女だ」
その言い方には、やはりどこか柔らかさがあった。
佐伯さんが、横からぽつりと言う。
「めちゃくちゃわかる……」
「佐伯さん、光秀さんに共感しすぎでは」
「だって、怒る前に資料を増やす人の気持ちはわかるよ」
「増やすんですか」
「増やす。怒るより先に、伝わっていない可能性を潰したくなる」
信長が、佐伯さんを見た。
「佐伯、貴様も光秀側か」
「立場としては、かなり」
「ならば、私の敵だな」
「信長さんを通すための敵です」
「またそれか」
信長は不満そうに鼻を鳴らした。
でも、本気で怒ってはいなかった。
俺はシナリオに戻る。
光秀をどう書くか。
まだ会ってもいない。
本物かどうかも確定していない。
けれど、レーヴァテインの告知の中にいる彼女は、確かに何かを変えようとしていた。
自分が裏切り者として置かれること。
信長を終わらせた女として固定されること。
それを、変えたかった。
なのに、その願いごと、別の売れる型へ押し込められている。
俺は一文を打った。
――救われたい者の言葉は、ときに救いではなく、売れる物語へ変えられる。
保存。
画面は消えなかった。
管理局の警告も出ない。
ただ、ジャンヌが小さくうなずいた。
「そこまで書けるなら、次へ進めます」
「次?」
「彼女自身が、気づく場面です」
俺は画面から顔を上げた。
ジャンヌは、モニターに映るレーヴァテインの告知を見ている。
「光秀さんが?」
「はい。彼女はおそらく、自分の言葉が曲げられていることに、まだ完全には気づいていません。あるいは、気づいていても、自分にできる範囲で直せると思っている」
「佐伯さんタイプですね」
佐伯さんが苦笑した。
「否定できない」
「でも、公開されたら」
ジャンヌは静かに言った。
「もう彼女の手を離れます」




