第15話 「俺は、サービスを守る人間だから」
「……光秀がおるな」
その一言で、会議室の空気が止まった。
「え?」
俺は思わず聞き返す。
「どういうことですか」
「向こうだ」
信長は、告知バナーを顎で示した。
「光秀がおる」
「いや、なんでわかるんですか」
「顔だ」
信長は即答した。
画面には、銀髪を揺らし、刃を手にした明智光秀が描かれている。
「絵ですよ。キャラクターデザインです」
「知っておる」
信長は面倒そうに言った。
「だが、私の知っている顔だ」
整った目鼻立ちのことではない。
伏せられた視線。
感情を表に出さぬよう口元を固く結びながら、それでも何かを決めた者の顔。
信長は、そこを見ていた。
「姿を似せただけでは、こうはならぬ」
「それだけで本人がいると?」
「それだけではない」
信長は画面を指した。
「こちらの一番嫌なときに、光秀を立てて、本能寺をぶつけてくる。真正面から私を貶めるのではなく、自分を前に出して、私の物語を止めにくる」
小さく鼻で笑う。
「回りくどい。だが、やることはやる」
そして、断言した。
「このようなやり方をするもの、光秀以外おらぬ」
「根拠は?」
「勘だ」
「今の説明は何だったんですか」
「勘の内訳だ」
それで押し通すらしい。
だが、信長は冗談を言っている顔ではなかった。
「……つまり、明智光秀が向こうに顕現していると?」
俺がジャンヌに尋ねる。
ジャンヌは、もう一度告知バナーへ目を向けた。
「信長様がそう断言されるのであれば、その前提で考えるべきでしょう」
「顕現そのものは、あり得ます。アルカディアだけに起こる現象とは考えにくいですから」
会議室に、短い沈黙が落ちた。
レーヴァテイン・スタジオには、本物の明智光秀がいる。
少なくとも、俺たちはそう考えることにした。
「向こうは、光秀さんを本物だと思ってるんでしょうか」
黒川さんが聞く。
佐伯さんが首を横に振った。
「たぶん思ってない。思ってたら、こんな告知にはしない」
「では、どう見ていると?」
「自称明智光秀の、解像度が高い歴史オタク。監修に使える変な人。そんなところだと思う」
その言い方は冷静だった。
そして、たぶん正しかった。
佐伯さんは現代の会社の人間だ。
だから、ライバル社がどう判断したのか、嫌でもわかるのだろう。
けれど佐伯さんは、そこで一度、言葉を止めた。
「……いや」
「佐伯さん?」
「俺たちだって、最初から偉そうなこと言える立場じゃない」
佐伯さんは、モニターに映る光秀ではなく、少し離れた場所にいる信長を見た。
信長は、腕を組んで黙っている。
「信長さんが現れた時、俺はまずストア審査と炎上と売上のことを考えた。本人がどう傷ついているかより先に、このキャラを出せるか、出したら危ないか、数字になるかを考えた。数字に繋がるならなんでも使う。」
「それは、プロデューサーとしては当然では」
「うん。たぶん当然なんだ」
佐伯さんは苦笑した。
「だから怖いんだよ」
俺は何も言えなかった。
佐伯さんは続ける。
「もし宮田くんが、信長さんの言葉をちゃんと聞こうとしなかったら。もしユーザーが“この信長を消さないで”って言わなかったら。もし俺が、これは売れる、これは危ない、その二つだけで判断していたら」
佐伯さんの声は、いつもより低かった。
「俺たちも、同じことをしていたと思う」
「同じこと……」
「信長さんを、“本人”じゃなくて、“話題になる三周年限定キャラ”として扱ってた」
その言葉に、信長の耳がわずかに動いた。
佐伯さんは気づいていたのか、いないのか、そのまま言った。
「だから、レーヴァテインを笑えない。あいつらが特別な悪人だからこうなったわけじゃない。普通の会社が、普通に売上を追って、普通に面倒な監修を削って、普通に強いコピーを選ぶと、こうなる」
開発フロアが静かになった。
「でも、俺たちはそうならなかった」
黒川さんが言った。
佐伯さんはうなずく。
「宮田くんが止まらなかったからだと思う」
「俺ですか」
「うん。信長さんを、ただのキャラじゃなくて、もう一度立てる人として書こうとした。あそこで君が、売れるからこのまま行きましょうって言ってたら、俺はたぶん止めなかった」
それは、褒め言葉というより、告白に近かった。
佐伯さん自身も、自分が完全に正しい側にいるわけではないとわかっている。
会社を守る。
売上を作る。
炎上を避ける。
サービスを続ける。
その全部が大事だからこそ、誰かの痛みを“仕様”や“商品性”の中に押し込めてしまう可能性がある。
「俺は、サービスを守る人間だから」
佐伯さんは言った。
「たぶん、放っておくと物語より数字を見ちゃう。数字がないと続かないから。でも、数字だけ見てたら、信長さんを消してたかもしれない」
信長が、ゆっくり佐伯さんを見た。
「佐伯」
「はい」
「貴様、今かなり不敬なことを言ったぞ」
「はい。すみません」
「だが」
信長は少しだけ口元を緩めた。
「正直なのは嫌いではない」
佐伯さんは、小さく息を吐いた。
「ありがとうございます」
「礼を言うところかは知らぬがな」
俺はモニターの光秀を見た。
ライバル社がしていることは、ひどい。
でも、遠い悪ではない。
俺たちも、少し違えばそこにいた。
信長本人の怒りを、面倒な監修として処理していたかもしれない。
彼女の痛みを、ガチャの引きに変えていたかもしれない。
“本人監修”という言葉だけを使って、本人を見ていなかったかもしれない。
そうならなかったのは、たぶん偶然ではない。
信長が怒ったから。
ジャンヌが止めたから。
ユーザーが声を上げたから。
佐伯さんが最後に腹を括ったから。
黒川さんが耳を誇りとして描いたから。
そして、俺が書くことから逃げなかったから。
佐伯さんは、もう一度モニターを見た。
「だから、宮田くんーー
光秀さんを商品として消費させないで」
俺はうなずいた。
「書きます」




