第14話 「……光秀がおるな」
翌日。
レーヴァテイン・スタジオの応接スペースで、光秀は一人、資料を読んでいた。
渡されたのは、修正版のイベント企画書だった。
表紙には、大きくこう書かれている。
《本能寺リライト ――明智光秀、反逆の白刃》
光秀は、そこでまず目を止めた。
「反逆……」
小さくつぶやく。
昨日、確かに伝えたはずだった。
“裏切り”という語は確かに変えることを要求したが、本質的には何も変わっていない。このような印象を前面に出せば、また自分はその位置に戻される。
問いの形にしても、結果は変わらない。
信長様を止めるしかなかったことと、信長様を討つべき魔王として描くことは違う。
それを、何度も説明した。
けれど、タイトルは変わっていなかった。
むしろ、強くなっている。
反逆の白刃。
言葉は変わった。
だが、置かれる場所は同じだった。
光秀は資料をめくる。
キャッチコピー。
――私は裏切ったのではありません。
――魔王を止めるため、刃を取ったのです。
「違う……」
声が漏れた。
完全に違うわけではない。
だからこそ、気持ちが悪かった。
私は裏切ったのではない。
それは近い。
止めるため。
それも近い。
だが、“魔王を止めるため”と書けば、信長様は止められるべき魔王になる。
私は、その魔王に正義の刃を向けた者になる。
また、二人は本能寺の中に置かれる。
信長は討たれる者として。
光秀は討つ者として。
それでは、何も変わらない。
光秀は顔を上げた。
向かいの席には、昨日の企画担当が座っている。彼はノートPCを見たまま、こちらを見ていなかった。
「あの」
「はい?」
「昨日、お伝えした点が、反映されていないように見えます」
「ああ、はい。いただいたご意見はかなり反映していますよ」
「どのあたりに」
「“止めるため”という表現を入れました」
「そこだけでは足りません」
「もちろん、本文で補足します」
「本文より先に、タイトルとキャッチコピーで印象が決まります」
「そこはプロモーション上の都合もありますので」
企画担当は、慣れた様子で答えた。
光秀は言葉に詰まった。
プロモーション。
都合。
現代の戦は、やはりわかりにくい。
陣形もない。
兵站も見えない。
だが、確かに何かが決められていく。
そして一度決まったものは、こちらの言葉では動かない。
「信長様を、ただの暴君として扱わないでください」
「もちろんです」
「本当に、そうなっていますか」
「なっています。“暴君”とは書いていません」
「直接書かなければよい、という話ではありません」
「そこは受け取り方の問題もありますので」
受け取り方。
その言葉で片づけられる。
光秀は、資料を握る手に力を入れた。
「では、せめてこの“反逆の白刃”という名称は」
「あ、それはもうイラスト班に渡っています」
「ですが」
「ガチャ名なので、今日中に確定しないとスケジュールが危ないんですよ」
「名前は、私の位置付けに関わります」
「わかります。ですが、商品名としてのわかりやすさも必要でして」
商品名。
光秀は、その言葉を聞いて、ゆっくり目を伏せた。
自分は今、何として扱われているのか。
監修者か。
協力者か。
それとも。
商品か。
「……私は」
光秀は声を落とした。
「私は、信長様を終わらせた女としてだけ、残りたくないのです」
企画担当は、ようやく顔を上げた。
その表情は、困っていた。
光秀の痛みを受け止めて困っているのではない。
面倒な話が長引いて困っている顔だった。
「その気持ちは、すごくわかります」
彼は言った。
「だからこそ、今回は“裏切り者ではなかった”という見せ方にしています」
「でも、そのために信長様が」
「信長側はヒスガルさんがもうやっていますよね」
光秀は、言葉を止めた。
「こちらは明智側です。明智光秀を魅力的に見せる必要があります。ヒスガルさんの信長と差別化するためにも、明智から見た本能寺を強く出したいんです」
「差別化……」
「はい。競合タイトルなので」
企画担当は、それを当然のこととして言った。
光秀は、少しだけ理解した。
この人たちは、信長様を見ていない。
私も見ていない。
見ているのは、競合。
数字。
告知。
反応。
自分の言葉は、そのために使える部分だけ切り取られている。
だが、それでも。
「本文は、確認できますか」
光秀は言った。
「え?」
「せめて、本文だけでも確認させてください」
「あー……」
企画担当は視線を泳がせた。
「まだ調整中でして」
「いつ確認できますか」
「公開前には」
「公開前とは」
「公開前です」
「何日前ですか」
「スケジュール次第です」
光秀は、黙った。
それが答えではないことは、さすがにわかり始めていた。
けれど、ここで席を立てば、自分の言葉は完全に消える。
この場に残れば、少しは変えられるかもしれない。
昨日もそう思った。
今日も、またそう思ってしまう。
それが、彼女の真面目さであり、弱さだった。
「……わかりました」
光秀は静かに言った。
「本文の確認、必ずお願いします」
「もちろんです」
企画担当は笑った。
そして、その約束は会議室を出る前に忘れられた。
◇
三日後。
アルカディアゲームスの開発フロアに、いつもより重い空気が流れていた。
原因は、モニターに映し出された一枚の告知バナーである。
レーヴァテイン・スタジオ新限定イベント。
《本能寺リライト ――明智光秀、反逆の白刃》
銀髪の少女が、燃える本能寺を背に立っている。
白い刃を握り、涙をこらえるような表情で、こちらを見ている。
キャッチコピー。
――私は裏切ったのではありません。
――魔王を止めるため、刃を取ったのです。
その文を見た瞬間、信長は笑った。
笑ったが、誰もそれを愉快なものとは思わなかった。
「そう来たか」
低い声だった。
佐伯さんは、モニターを見たまま胃を押さえている。
「これは……露骨にぶつけてきたね」
「はい」
俺は頷いた。
ヒスガル三周年イベント後編の公開を二日後に控えたタイミング。
信長の物語がユーザーに届き始めた直後。
そこで、明智光秀の本能寺イベント。
偶然ではない。
少なくとも、商売上は狙っている。
「数字、出そうですね」
高橋さんが言った。
「出ると思う」
佐伯さんは認めた。
「コピーが強い。ビジュアルもいい。明智側から本能寺を描くっていうのも、ユーザーは気になる」
「褒めてる場合ですか」
「褒めてるんじゃない。危険度を見てる」
佐伯さんは、画面の少女を見た。
「この光秀さん、たぶん悪く見えない。むしろ、かなり同情される」
「はい」
「だから危ない」
俺も同じことを考えていた。
ただの雑な便乗なら、笑って終われた。
だが、この告知は、ちゃんと刺さる。
裏切り者ではなかった。
信長を止めるためだった。
誰よりも信長を理解していたからこそ、刃を取った。
それは、光秀を救うように見える。
でも同時に、信長を“止められるべき魔王”へ戻す。
昨日、信長は本能寺の先へ進んだ。
その足を、今度は別のゲームが、本能寺へ引き戻そうとしている。
しかも、たぶん光秀本人らしき存在の言葉を使って。
「ジャンヌさん」
俺は聞いた。
「管理局の干渉ですか」
ジャンヌは、告知バナーを静かに見つめていた。
「直接の干渉とは限りません」
「では、普通の競合施策?」
「少なくとも表面上は」
「表面上は」
「ですが、修正史はいつも、超常的な力だけで人を縛るわけではありません」
ジャンヌは言った。
「人が売れると思って選ぶ言葉。炎上しやすい構図。わかりやすい対立。そういうものも、結果として歴史を固定します」
俺は画面を見る。
反逆の白刃。
魔王を止めるため、刃を取った。
わかりやすい。
売れそうだ。
そして、とても危ない。
それまでじっと黙って告知バナーを見つめていた信長が口を開いた。
「……光秀がおるな」




