第13話 「その言葉は、誰のために」
レーヴァテイン・スタジオの会議室に、明智光秀と名乗る女が初めて呼ばれた時、社員たちの反応はおおむね一つだった。
面倒そうな女が来た。
銀髪に眼鏡。
姿勢だけは妙に良い。
言葉遣いは丁寧すぎる。
戦国武将の明智光秀を自称し、信長を「信長様」と呼ぶ。
どう見ても、濃いタイプの歴史オタクだった。
ただし、知識はある。
そこだけは、誰も否定できなかった。
「では、明智さん。こちらが今回のイベント草案です」
企画担当が資料を渡す。
イベントタイトル。
《本能寺の終幕 ――明智光秀、裏切りの真実》
光秀は一行目を見た瞬間、眉をひそめた。
「“裏切りの真実”という語は、再検討を求めます」
「はい、なるほど」
企画担当は笑顔でうなずいた。
だが、メモは取らなかった。
「裏切りという言葉を置いた時点で、読者は私を裏切り者として読み始めます。その後でどれだけ事情を説明しても、第一印象を覆すには大きな負荷がかかります」
「わかります。大事な視点ですね」
プロデューサーも笑顔でうなずく。
しかし、その目は資料の数字を見ていた。
事前反応。
検索ボリューム。
競合比較。
SNSで燃えやすいワード。
裏切り。
真実。
本能寺。
魔王。
忠義。
どれも強い。
外す理由がなかった。
「では、タイトルから“裏切り”を外していただけますか」
光秀が言う。
企画担当は、ほんの一瞬だけ面倒そうな顔をした。
すぐに笑顔へ戻る。
「もちろん検討します」
「検討ではなく、修正を」
「はい。持ち帰って確認します」
「今、確認できませんか」
「関係部署との調整が必要ですので」
嘘だった。
関係部署などない。
その場で変える気がないだけだった。
光秀は納得していない顔をしたが、それ以上は強く言わなかった。
彼女は、まだ現代の会議を知らなかった。
「検討します」が、しばしば「やりません」を丁寧に言い換えた言葉だということも。
会議は進む。
光秀は何度も口を挟んだ。
「信長様を単純な暴君として描くのは避けてください」
「はい、もちろんです」
「ここで私が信長様を憎んでいたように読めます。修正を求めます」
「意図は理解しました」
「“討つしかなかった”ではなく、“止めるしかなかった”です」
「いいですね。参考になります」
「参考ではなく、そこは重要です」
「はい。反映できる範囲で」
反映できる範囲で。
光秀は、その言葉にわずかに眉を寄せた。
けれど、プロデューサーはもう次のページをめくっていた。
社員たちは光秀の言葉を聞いているふりをした。
うなずき、相づちを打ち、時々「解像度高いですね」と褒める。
だが、本気で彼女の救いに関心を向ける者はいなかった。
彼らが見ていたのは、明智光秀ではない。
“明智光秀っぽいもの”の商品価値だった。
裏切り者と呼ばれた少女。
魔王を最も近くで支えた忠臣。
本能寺の真実を知る女。
信長に刃を向けた悲劇のヒロイン。
売れる。
それだけだった。
「このキャッチコピーですが」
光秀が、バナー案を指差した。
――魔王を討ったのは、裏切りか、忠義か。
「これでは、信長様が討たれるべき魔王であったように見えます」
「でも、問いの形ですから」
「問いの形でも、印象は残ります」
「そこはユーザーに考えてもらう余地ということで」
「考えてもらうためには、前提を歪めないでください」
「わかります。とても大事ですね」
プロデューサーはそう言って、資料を閉じた。
「では、今日いただいた内容をもとに、こちらで調整します」
「確認はいつできますか」
「次回共有します」
「次回とは」
「スケジュールを見て、またご連絡します」
光秀は小さく息を吐いた。
「私は、ただの裏切り者として扱われたくないのです」
「もちろんです」
プロデューサーは、迷いなく答えた。
「そこは一番大事にします」
光秀は、その言葉を信じようとした。
信じたかった。
信長様の誤解を解きたい。
自分が信長を終わらせた女として固定されるのを変えたい。
そのためには、現代の仕組みを借りるしかない。
だから、彼女はうなずいた。
「よろしくお願いいたします」
光秀が会議室を出ると、扉が閉まるのを待ってから、企画担当が椅子にもたれた。
「……めちゃくちゃ細かいですね、あの人」
プロデューサーは鼻で笑った。
「まあ、オタク監修なんてあんなもんだろ」
「タイトル、変えます?」
「変えるわけないだろ。裏切りは強い。真実も強い。本能寺も強い。全部残す」
「でも、本人……じゃなくて、あの人、かなり嫌がってましたよ」
「あの女が嫌がるかどうかは関係ない」
プロデューサーは、ヒスガルの売上推移を映したモニターを見る。
「必要なのは、ヒスガルの信長にぶつけられる弾だ。あの女は、その弾にそれっぽい重みを足すための素材だ。持っている知識はおもしろい。小うるさい歴史オタク系のユーザーはその辺に食いつくし、何よりそれが一番、金を落とす」
「監修者として名前出します?」
「出さない。本名も怪しいし、揉めたら面倒だ」
「では、どう扱います?」
「“歴史解釈協力”くらいでいい。社外協力者A」
企画担当は苦笑した。
「雑ですね」
「雑でもなんでもいい。数字が出れば」
プロデューサーはバナー案を見た。
銀髪の明智光秀。
燃える本能寺。
白い刃。
涙をこらえるような横顔。
悪くない。
いや、かなりいい。
「もっと悲劇感を強めろ」
彼は言った。
「信長を止めるしかなかった、って方向は使える。だが、最終的にはユーザーに“この子は悪くない”と思わせればいい。信長側と対立構造を作れ」
「信長は暴君寄りに?」
「直接そうは書くな。炎上する。だが、明智が止めたくなるだけの圧は出せ」
「了解です」
「あと、あの女がうるさく言ってた部分は?」
「本文で少しフォローしておきます」
「バナーとPVは強く行け。ユーザーはまず絵とコピーで釣る」
会議室のモニターに、新しいキャッチコピーが映る。
――私は裏切ったのではありません。
――魔王を止めるため、刃を取ったのです。
プロデューサーは満足そうにうなずいた。
「これでいい」
誰も、光秀のことを考えていなかった。
彼女が何を変えたかったのか。
どこに置かれたくなかったのか。
信長をどう見ていたのか。
本能寺で何を背負わされたのか。
そんなものは、売上資料のどこにも載っていない。
彼らにとって明智光秀は、人ではなかった。
救うべき誰かでもなかった。
競合にぶつけるための、よくできた商品だった。
彼らにとって明智光秀は、人ではなかった。
救うべき誰かでもなかった。
競合にぶつけるための、よくできた商品だった。




