第12話 裏切り者では、終わりたくない
「当然、ーー明智光秀だ」
企画担当が少し身構える。
「かなり露骨では?」
プロデューサーは画面を指差す。
「向こうが“本能寺の先”なら、こっちは“本能寺の真実”だ。信長を美化するヒスガルに対して、こっちは明智側から真相を突きつける」
「悲劇の忠臣ヒロイン、ですか」
「そうだ。裏切り者にされた女。信長を討つしかなかった理由。いくらでも引きがある」
「炎上しませんか」
「炎上したら話題になる」
その言葉に、企画担当は少しだけ顔を曇らせた。
だが、反論はしなかった。
数字が必要だった。
次のイベントで結果を出さなければならない。
ヒスガルが三周年で話題をさらった以上、こちらも強い弾を用意する必要がある。
「タイトル案は?」
「 《信長終焉》とか《本能寺終幕》あたりをキラーワードにして組むのでどうだ?」
「……強いですね」
「だろ?」
プロデューサーが笑った、その時だった。
隣の席から、静かな声がした。
「その題では、また間違えます」
二人は同時に顔を上げた。
隣のテーブルに、一人の女が座っていた。
長い銀髪。
整った姿勢。
眼鏡の奥の冷静な瞳。
服装は現代のものだった。白いブラウスに、紺のロングスカート。派手ではない。だが、妙に目を引く。
テーブルの上には、湯気の立つ紅茶と、きれいに揃えられたメモ帳。
女は、こちらを見ていた。
プロデューサーが怪訝な顔をする。
「……失礼ですが、どちら様ですか」
女は丁寧に一礼した。
「明智光秀と申します」
沈黙。
企画担当が、ゆっくりプロデューサーを見る。
プロデューサーも、ゆっくり企画担当を見る。
そして二人は、同じ結論に達した。
変な人だ。
かなり濃いタイプの、歴史オタクか、コスプレイヤーか、なりきりアカウントの実体化みたいな人だ。
「……あー」
プロデューサーは営業用の笑顔を作った。
「明智光秀さん、ですか」
「はい」
「その、明智光秀がお好きなんですね」
「好き嫌いで申し上げるなら、評価に困ります」
「評価に困る」
「はい。私自身ですので」
企画担当が小さく咳き込んだ。
やはり変な人だった。
だが、女は構わず続けた。
「先ほどの企画ですが、“信長を討つしかなかった理由”という方向は危険です」
「危険?」
「はい。それでは、光秀を再び“信長様を終わらせた女”として固定することになります」
プロデューサーの表情が、少し変わった。
変な人だ。
でも、言葉の解像度が高い。
「では、あなたならどうするんですか」
企画担当が試すように聞いた。
女は少し考え、メモ帳を開いた。
そこには、細かい文字で何かがびっしり書かれていた。
「まず、“裏切り”という語を前面に出しすぎない方がよろしいかと。ユーザーの興味を引く効果はありますが、それだけでは既存の明智像を強化します」
「既存の明智像」
「はい。問題は、光秀が信長様を討ったか否かではありません。なぜ、止める役目を光秀だけが背負うことになったのかです」
企画担当の指が止まった。
「……止める役目」
「信長様は、常に前へ進む方でした。その進軍は多くを救い、多くを焼きます。誰かが道を整え、反発を抑え、兵站を計算し、外部へ説明し、失敗時の責任を処理しなければならなかった」
女は淡々と続ける。
「止めなければ、現場が壊れる。止めれば、忠義を疑われる。進言すれば、謀反の芽と見なされる。黙れば、責任を放棄したことになる」
プロデューサーは、アイスコーヒーのグラスを持ったまま固まっていた。
企画担当が、小さく言う。
「それ、かなりいいですね」
「よくはありません」
女は即答した。
「つらい立場です」
「あ、いえ、企画として」
「企画としても、扱いを誤ればまた同じです」
プロデューサーは、女をじっと見た。
明智光秀本人という主張は、もちろん信じていない。
だが、彼女の言葉には使えるものがあった。
ただのオタク知識ではない。
既存の歴史解釈を、キャラクターの感情に落とし込む力がある。
この女を監修につければ、イベントの厚みが出る。
しかも、見た目もいい。
銀髪、眼鏡、冷静、実務系。
そのままキャラ化できる。
「明智さん」
プロデューサーは声の調子を変えた。
「少し、詳しく話を聞かせてもらえませんか」
女は警戒するように目を細めた。
「何のためにですか」
「あなたの言う“間違えない明智光秀”を、うちのイベントで描くためです」
「……私の位置付けを、変えられるのですか」
その言葉に、プロデューサーは内心で笑った。
食いついた。
「もちろんです」
嘘ではない。
少なくとも、そういう企画にすることはできる。
「ヒスガルは信長を本能寺の先へ進ませました。なら、こちらは明智光秀の側から、本能寺を描ける。あなたの視点を入れれば、ただの裏切り者ではない明智像にできます」
女は、モニターに映るヒスガルの信長を見た。
その視線は、妙に静かだった。
「信長様は、また進まれるのですね」
「ええ。かなり話題になっています」
「ならば」
女はメモ帳を閉じた。
「私は、あの方の誤解を解かなければなりません」
プロデューサーはうなずいた。
「協力していただけますね」
「条件があります」
「何でしょう」
「私を、ただの裏切り者として扱わないでください」
「もちろんです」
「信長様を、ただの暴君として扱わないでください」
「もちろん」
「本能寺を、安易な悲劇として消費しないでください」
「……もちろんです」
三つ目だけ、返事がほんの少し遅れた。
だが、女は気づかなかったのか、気づいても飲み込んだのか、それ以上は追及しなかった。
彼女は、修正史管理局のことを詳しく知っているわけではなかった。
本来史という言葉も、まだうまく説明できない。
自分がなぜここにいるのかも、完全にはわかっていない。
ただ一つだけ、わかっていることがあった。
自分は、裏切り者として置かれている。
信長を終わらせた女として、固定されている。
その位置を、変えたい。
その願いだけが、彼女をここへ連れてきていた。
プロデューサーは名刺を差し出した。
「では、改めまして。レーヴァテイン・スタジオの――」
女は名刺を両手で受け取った。
その所作は、やけに丁寧だった。
「よろしくお願いいたします」
明智光秀と名乗る女は、そう言って頭を下げた。
その姿を見ながら、プロデューサーはもう次のバナー文言を考えていた。
――魔王を討ったのは、裏切りか、忠義か。
悪くない。
いや、かなり売れる。
彼はまだ知らなかった。
その言葉が、目の前の女をまた別の形で閉じ込めることを。
そして、彼女自身もまだ知らなかった。
自分の位置付けを変えるために差し出した言葉が、信長を再び本能寺へ引き戻す刃になることを。




