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第11話 本能寺の先へ

「ユーザーに向けて。信長を消さないって」


 俺は一瞬、言葉を失った。


 そんな告知文、普通は出さない。


 運営アカウントで「信長を消しません」とか書いたら、意味がわからない。

 炎上するかもしれない。

 社内確認も通していない。


 でも、時間がなかった。


 バナーが塗り替わっていく。


 イベントタイトルが奪われていく。


 信長が、また本能寺に戻されようとしている。


 俺はキーボードに指を置いた。


 運営アカウントの投稿画面。


 高橋さんが隣で震えながらログイン権限を渡す。


「炎上したらすみません」


「今さらです」


 俺は書いた。


 ――三周年イベント《獣血天魔・織田信長 ――本能寺の先へ》について。


 指が止まる。


 これは告知文ではない。


 謝罪文でもない。


 シナリオだ。


 今、外に出すべき物語の一文。


 俺は続ける。


 ――このイベントは、織田信長の史実を否定するものではありません。


 ――本能寺で終わったと記録された彼女が、それでも現代で何を選ぶのかを描く物語です。


 ――記録の中だけで眠らせないために。


 ――彼女がもう一度、自分の名で立つために。


 ――どうか、見届けてください。


 投稿ボタンの前で、俺は佐伯さんを見た。


「出します」


 佐伯さんは一秒だけ迷った。


 プロデューサーとして、当然の迷いだったと思う。


 だが、彼は頷いた。


「出して」


 俺は投稿した。


 すぐに画面が赤く揺れる。


 ――現行史観に反する投稿を検出。


 ――削除処理を開始。


 投稿が消えかける。


 文字が白く薄れる。


 その瞬間、コメントがついた。


 ――見届けます。


 次のコメント。


 ――この信長、消さないで。


 次。


 ――本能寺の先へ、読ませて。


 次。


 ――運営、がんばれ。


 次。


 ――三周年でこんな熱いこと言うの反則。


 次。


 ――信長を終わらせるな。


 投稿は消えなかった。


 薄れていた文字が、戻る。


 画面の赤い警告が揺らぐ。


 サーバーログに別の文字が流れる。


 ――対象キャラクターへの認識増加。


 ――修正処理、遅延。


 ――史観固定、抵抗を検出。


「押し返してる!」


 高橋さんが叫んだ。


 イベントバナーが戻り始める。


 《織田信長 史実再現イベント 本能寺の変》


 という無難なタイトルが崩れていく。


 炎が戻る。


 猫耳が戻る。


 赤い瞳が戻る。


 タイトルが戻る。


 《獣血天魔・織田信長 ――本能寺の先へ》


 信長が、息を呑んだ。


 モニターの中の自分を見ている。


 そして、その下に流れるユーザーの声を見ている。


 ――この信長を消さないで。


 ――本能寺の先を見たい。


 ――彼女の物語を続けて。


 信長は、しばらく何も言わなかった。


 その手が、ほんのわずかに震えていた。


「……私を知らぬ者たちが」


 信長はつぶやく。


「私を、ここに置こうとするのか」


「はい」


 俺は言った。


「あなたを知らないけど、あなたの物語を受け取った人たちです」


「奇妙な世だ」


「そうですね」


「だが」


 信長は笑った。


 泣きそうにも見える笑いだった。


「悪くない」


 その瞬間、信長の身体が淡く光った。


 フードも、パーカーも、現代の仮装も消える。


 黒と赤の軍装が戻る。


 獣毛のマントが広がる。


 猫耳が、誇り高く立つ。


 腰の刀が、炎を帯びた。


 ゲーム内の立ち絵ではない。


 目の前の信長が、ヒスガル三周年限定SSR《獣血天魔・織田信長》として、現代に定着しようとしていた。


 ジャンヌが、小さく息を吐く。


「認識が、彼女を支えています」


「これが……」


「はい」


 ジャンヌは言った。


「新たな修正史の始まりです」


 モニターに、管理局の警告が表示される。


 ――対象存在の現代定着を確認。


 ――史観監査レベルを引き上げます。


 ――警告。本来史への接続の拡大は、現代社会に重大な影響を与える可能性があります。


 信長はモニターを見上げた。


「聞け、修正史管理局」


 その声は、開発フロア全体に響いた。


「私は、貴様らの記録の中で終わった信長ではない」


 炎が揺れる。


「尾張に生まれ、獣の血を宿し、第六天魔王と呼ばれ、炎の中で終わったことにされた者」


 彼女は刀を抜いた。


「そして今、ヒスガル三周年限定SSRとして、この時代に立つ織田信長である」


 佐伯さんが小声で言った。


「そこも名乗るんだ」


 俺は小声で返す。


「大事らしいです」


 信長は続けた。


「私を眠らせたければ、また来るがよい。だが、今度は記録だけでは足りぬぞ」


 モニターの警告文が激しく乱れる。


 それでも、信長の姿は消えなかった。


 やがて警告は消え、最後に一文だけが残る。



 ――監視を継続します。



 フロアに静寂が戻った。


 誰もすぐには動けなかった。


 そして数秒後。


 高橋さんが叫んだ。


「サーバー、耐えてます!」


 別のスタッフが叫ぶ。


「イベント、正常公開中!」


「ガチャ、回ってます!」


「SNS、トレンド入りそうです!」


 佐伯さんが、椅子に崩れ落ちた。


「勝った……?」


 ジャンヌが首を横に振る。


「一度、押し返しただけです」


「ですよね」


「ですが、大きな一度です」


 信長は刀を納め、俺の方へ歩いてきた。


 その姿は、もう隠せない。


 開発フロア中の社員が見ている。


 だが、不思議と誰も騒がなかった。


 あまりに堂々としていて、逆に現実が追いついていないのだと思う。


 信長は俺の前で立ち止まった。


「宮田」


「はい」


「貴様の書く私は、私の知らぬ私だ」


 それは、前にも聞いた言葉だった。


 けれど、今は響きが違った。


「腹立たしい。勝手で、不敬で、ところどころ妙に軽い」


「すみません」


「だが」


 信長は、俺をまっすぐ見た。


「その私は、本能寺の先を見ている」


 俺は黙っていた。


「ならば書け」


 信長は言った。


「私がこの時代で戦える歴史を。私が、私のまま、まだ進める物語を」


「はい」


「そして覚えておけ」


 彼女は少しだけ笑った。


「貴様が私を守ろうとしたことは、覚えておいてやる」


 その言い方が、やけに信長らしくて。


 俺は、少しだけ笑ってしまった。


「ありがとうございます」


「礼を言うのはまだ早い」


「そうですか」


「当然だ。三周年イベントは始まったばかりだろう」


 佐伯さんが遠くで呻いた。


「そうなんだよなあ……まだ初日なんだよなあ……」


 その言葉で、フロアの緊張が少しだけ解けた。


 笑いが起きる。


 誰かが拍手した。


 それが広がる。


 信長は少しだけ不思議そうに周囲を見た。


「これは何だ」


「拍手です」


「勝利の後にするものか」


「現代では、リリースが無事に通った時にもします」


「妙な戦だ」


「はい」


 俺はPC画面を見た。


 イベントページには、信長のバナーが表示されている。


 その下に、ユーザーコメントが流れ続けている。


 ――三周年おめでとう。

 ――信長、かっこいい。

 ――本能寺の先へ、最後まで読む。

 ――この物語、消えないでほしい。


 消えないでほしい。


 その言葉が、信長を支えている。


 ゲームの向こう側の、顔も知らない誰かの感情が、歴史の校閲を押し返した。


 俺はようやく理解し始めていた。


 ヒスガルは、ただのゲームではない。


 いや、ただのゲームであることは間違いない。


 ガチャがあり、スタミナがあり、イベント周回があり、売上目標があり、メンテがある。


 でも、その“ただのゲーム”に、人は感情を預ける。


 好きだと言う。


 消えないでほしいと言う。


 続きが見たいと言う。


 その声が、消された歴史にほんの少しだけ足場を作る。


 なら、俺の仕事はたぶん。


 その足場に、物語を置くことだ。


 信長が、もう一度自分の名で立てるように。


 彼女が、本能寺の先へ進めるように。


 俺はシナリオファイルを開いた。


 エピローグ部分に、まだ空白が残っている。


 そこに、最後の一文を打つ。


 ――炎の中で終わったと記された魔王は、現代の声に呼ばれ、再び目を開く。


 ――これは、歴史を否定する物語ではない。


 ――記録の中で眠らされた彼女が、もう一度、自分の名を選ぶ物語である。


 保存。


 今度は、何も起こらなかった。


 警告も出ない。


 文字も消えない。


 ただ、信長が隣で画面を見ていた。


「宮田」


「はい」


「次は、私の勝利イベントも書け」


「今回も勝利イベントのつもりですが」


「まだ足りぬ」


「具体的には?」


「私がもっと格好よく、もっと強く、もっと多くの者を従える話だ」


「だいぶ通常営業に戻りましたね」


「当然だ。私は信長だぞ」


 俺は笑った。


「では、次回イベントで検討します」


「水着はなしだ」


「そこはユーザー需要が」


「なしだ」


「布面積多めなら」


「宮田」


「はい」


「斬るぞ」


「検討から外します」


 信長は満足そうにうなずいた。


 その横でジャンヌが微笑む。


「では、私のバレンタイン復刻修正もお願いします」


「ジャンヌさんも通常営業に戻らないでください」


「大切なことです」


 佐伯さんが、遠くから弱々しく言った。


「宮田くん、全部タスクに積まれてるからね……」


 俺は目を閉じた。


 世界史と戦うより先に、スケジュールと戦わなければならない。


 やはり現代は、なかなか手強い。


 こうして、ヒスガル三周年イベントは公開された。


 修正史管理局は、信長を消せなかった。


 信長は、記録の中だけには戻らなかった。


 そして俺たちは、ほんの少しだけ理解した。


 歴史は、思っていたよりもずっと面倒だ。


 でも物語は、思っていたよりも少しだけ、遠くまで届くらしい。


 その日の夜。


 ヒスガル三周年イベント初日の数字は、予想を大きく超えていた。


 佐伯さんは売上グラフを見て、しばらく黙ったあと、静かに胃薬を机に置いた。


「宮田くん」


「はい」


「信長さん、回ってる」


「ガチャが?」


「ガチャが」


 信長は当然のように腕を組んだ。


「当たり前だ。私だぞ」


「その自信、ちょっと分けてほしいです」


「貴様も私を書いた男だろう。もう少し胸を張れ」


「書いた結果、昨日は世界史から警告が来ました」


「それも含めて戦果だ」


「含めたくないなあ」


 開発フロアに、少しだけ笑いが起きた。


 修正史管理局は、信長を消せなかった。

 イベントは公開された。

 ユーザーの反応も良い。

 信長は、記録の中だけには戻らなかった。


 もちろん、これで終わりではない。


 モニターの隅には、今も時折、不自然なノイズが走る。

 SNS告知文は、油断すると「史実とは異なる演出が含まれます」という無難な文へ戻ろうとする。

 管理局の監視は続いている。


 それでも、この夜だけは。


 ほんの少しだけ、勝ったと思ってもよかった。


 俺はそう思っていた。


    ◇

 

 同じ頃。


 都内のオフィス街にあるチェーンカフェの隅で、レーヴァテイン・スタジオの企画チームは、ノートPCを開いていた。


 レーヴァテイン・スタジオ。


 アルカディアゲームスと同じく、偉人美少女系タイトルを運営する競合会社である。


 昼休みの時間帯を外した店内は空いていた。

 打ち合わせスペース代わりに使うには、ちょうどいい。


 テーブルの上には、ヒスガル三周年イベントのページが表示されていた。


 《獣血天魔・織田信長 ――本能寺の先へ》


 猫耳の信長が、炎の向こう側を見ている。


 レーヴァテインのプロデューサーは、画面を見ながら舌打ちした。


「やられたな」


 向かいの企画担当が、苦い顔でうなずく。


「数字、かなり出てるみたいです。SNSの反応も強いです」


「落ち目だと思ってたんだがな、ヒスガル」


「三周年で戻してきましたね」


「信長で、しかも本能寺の先へ、か。ユーザーが好きそうな言葉を置いてきた」


 プロデューサーはアイスコーヒーを乱暴にかき混ぜた。


「うちもぶつけるぞ」


「ぶつける、というと」


「当然、ーー明智光秀だ」

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