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第10話 信長は消さない

 「私は、もう記録の中だけには戻らぬ」

 

 その声は、静かだった。


 だが、会議室Bで聞いた時よりも、確かだった。


 俺はその声を、シナリオに書き留めた。


 まだ、物語は始まったばかりだ。


 管理局は見ている。


 修正史は戻そうとしてくる。


 でも、こちらにも武器はある。


 言葉。


 絵。


 ゲーム。


 ユーザーの声。


 そして、本人監修の猫耳半妖の第六天魔王。


 冷静に考えるとだいぶ無茶な布陣だった。


 でも、ヒスガルらしいと言えば、かなりヒスガルらしかった。


 それから七日間、俺たちはほとんど眠らなかった。


 いや、正確には、眠る時間はあった。

 ただ、眠ろうとすると社内チャットが鳴った。

 眠ろうとすると信長が監修に来た。

 眠ろうとするとジャンヌが「こちらの表現について確認を」とやって来た。


 そして眠ろうとすると、管理局が何かをしてきた。


 まず、シナリオファイルが三回巻き戻った。


 信長が本能寺の先へ進む場面を書くと、翌朝には「織田信長は本能寺でその生涯を終えた」という文に戻っていた。


 バックアップから復旧した。


 次に、信長の立ち絵から猫耳が消えた。


 黒川さんが、無言で再描画した。


 再描画というより、戦闘だった。


「耳は情報量です」


 黒川さんはそれだけ言って、ペンタブを握り直した。


 さらに、SNS告知文が何度も無難な文言に置き換えられた。


 ――歴史上の人物をモチーフにした新キャラクターです。


 ――史実とは異なる演出が含まれます。


 ――本イベントはフィクションです。


 そのたびに高橋さんが泣きそうな顔で戻した。


「フィクションって書くのは間違ってないんですが、今は違うんです!」


 何が違うのか、たぶん本人にも説明できなかったと思う。


 佐伯さんは上層部への説明に追われた。


「三周年イベントに本人監修が入りまして」


 と言いかけて、


「いや、本人監修というのは比喩で」


 と言い直し、


「比喩というか、クリエイティブ上の熱量の話で」


 とさらに言い直していた。


 その横で信長が、


「本人監修であろう」


 と口を挟み、佐伯さんは胃薬を三錠飲んだ。


 ジャンヌは、管理局への対処を淡々と教えてくれた。


「彼らは正面から否定するより、貴方たち自身に“無難な方がいい”と思わせることを得意とします」


「怖いですね」


「ええ。多くの歴史は、暴力よりも無難さで削られます」


 その言葉は、妙に現場に刺さった。


 無難。


 安全。


 炎上しない。


 審査に通る。


 説明できる。


 誰にも怒られない。


 開発現場では、どれも大事な言葉だ。

 だが、その言葉だけで作ったものは、たぶん誰の心にも届かない。


 少なくとも、今ここにいる信長には届かない。


 俺は書き直した。


 何度も書き直した。


 本能寺で終わった信長ではなく、本能寺で終わったことにされた信長。


 男の武将として記録に閉じ込められた信長ではなく、その記録の中から現代へ手を伸ばす信長。


 猫耳半妖の第六天魔王。


 売れると思って盛ったその設定を、俺はもう一度書き直した。


 売れるためだけではなく。


 彼女が、自分として立つために。


 そして、三周年イベント当日が来た。


    ◇


 午前十一時五十八分。


 リリース二分前。


 開発フロアは、戦場だった。


「サーバー負荷監視、問題なし!」


「SNS告知、予約待機中!」


「ストア反映、確認済み!」


「お知らせ掲載、十二時ちょうど!」


「ガチャバナー、差し替えなし!」


「差し替えなしって言葉がこんなにありがたい日、初めてです!」


 高橋さんが叫ぶ。


 佐伯さんは腕時計を見ていた。顔色は悪い。いつも通りだ。


 黒川さんは最終イラストを表示している。


 炎の向こう側を見つめる信長。


 黒い猫耳は、誇りのように立っている。

 炎に照らされた赤い瞳は、過去を見ていない。

 画面のこちら側、現代のプレイヤーを見ている。


 信長本人は、そのイラストを見ながら腕を組んでいた。


「悪くない」


「ありがとうございます」


 黒川さんがうなずく。


「ただ、腰の装飾が三寸ほど足りぬ」


「三寸」


「貴様らの単位では九センチほどだ」


「修正は次回霊衣で検討します」


「次回があるのか」


「あります」


 黒川さんは断言した。


 信長はそれを聞いて、少しだけ機嫌が良さそうだった。


 ジャンヌはフロアの端で静かに祈っていた。


 ただし、その横のモニターには、彼女が赤字で修正した自分のバレンタインシナリオが表示されている。


 祈りと監修は両立するらしい。


「宮田くん」


 佐伯さんが俺を呼んだ。


「はい」


「最終確認。行く?」


 その問いは、ただのリリース確認ではなかった。


 このイベントを公開すれば、管理局はさらに動く。

 信長は現代に強く接続される。

 ヒスガルは、もうただの偉人美少女ソシャゲではなくなる。


 それでも行くか。


 そういう問いだった。


 俺は信長を見た。


 信長も俺を見ている。


 尊大で、強気で、猫耳で、半妖で、第六天魔王で、三周年限定SSR。


 そして、記録の中だけでは終われなかった人。


「行きます」


 俺は言った。


 佐伯さんは頷いた。


「了解。三周年イベント、公開」


 十二時。


 ヒスガル三周年イベント

 《獣血天魔・織田信長 ――本能寺の先へ》

 が公開された。


 最初の数秒は、何も起こらなかった。


 サーバーは落ちない。


 画面も暗転しない。


 管理局の警告も出ない。


 俺たちは、ほとんど息を止めていた。


 十秒。


 二十秒。


 三十秒。


 高橋さんが画面を見る。


「ログイン増えてます」


「サーバーは?」


「耐えてます」


「SNSは?」


「告知出ました。正常です」


 佐伯さんが小さく息を吐いた。


「よし……」


 その瞬間だった。


 フロアの全モニターが、赤く染まった。


 警告音が鳴る。


 サーバー監視画面に、見たことのないログが流れ始めた。


 ――史観逸脱値、上昇。


 ――本来史接続を検出。


 ――対象キャラクター《織田信長》の顕現強度、上昇。


 ――修正処理を開始します。


「来た!」


 高橋さんが叫んだ。


 画面上のイベントバナーが歪む。


 信長の猫耳が消え、炎が消え、タイトルが塗り替わる。


 《獣血天魔・織田信長 ――本能寺の先へ》


 その文字が崩れ、


 《織田信長 史実再現イベント 本能寺の変》


 へ変わろうとしていた。


「やっぱり本能寺に戻してきた!」


 俺はPCに飛びついた。


 シナリオファイルを開く。


 だが、ファイルはロックされていた。


 画面に表示される。


 ――当該テキストは現行史観に反するため、編集できません。


「編集ロック!」


「こっちも画像差し替え不可!」


「SNS告知、削除されました!」


「レビュー欄、低評価が急増してます!」


 高橋さんの声が震える。


 佐伯さんが叫んだ。


「サーバーを守って! 告知は再投稿! レビューはモニタリング! 慌てて謝罪文は出さない!」


「出さないんですか!?」


「何に謝るかわからない謝罪文は出さない!」


 佐伯さん、今までで一番プロデューサーだった。


 信長は、赤く染まったモニターを見ていた。


 その顔が、静かに険しくなる。


「本能寺に戻すか」


 彼女の声は低かった。


「また、私をあそこで終わらせるか」


 ジャンヌが目を開けた。


「宮田さん」


「はい」


「編集ロックを力で破ることはできません。彼らは修正史そのものを盾にしています」


「じゃあどうすれば」


「外からではなく、中からです」


「中?」


 ジャンヌはユーザーコメントの画面を指差した。


 公開からまだ数分。


 だが、SNSにはもう反応が流れ始めていた。


 ――信長イベント始めた。タイトルかっこよすぎ。

 ――本能寺の先へ、って何だよ。泣く予感しかしない。

 ――猫耳ネタかと思ったら、雰囲気ガチじゃん。

 ――この信長、ちゃんと見たい。

 ――消さないで。

 ――今、バナー変になってない?

 ――あれ、タイトル変わった?

 ――いや元の方が絶対いい。戻して。

 ――本能寺の先へ、でしょ? そのまま見せてくれ。


 俺は画面を見た。


 ユーザーは、異変に気づいている。


 もちろん、修正史だの管理局だのは知らない。

 でも、何かがおかしいと感じている。


 元のタイトルを覚えている。


 信長を消さないでほしいと言っている。


「ユーザーの認識……」


 ジャンヌがうなずく。


「貴方が書いた物語を、受け取った人がいます。その人たちの声は、まだ小さい。けれど、管理局の校閲に対抗する重みになります」


「でも、俺はファイルを編集できません」


「では、ファイルではなく、今届いている言葉に返してください」


「返す?」


「運営からの告知でも、ゲーム内テキストでも、SNSでも構いません。貴方の言葉を、今、外へ出すのです」


 高橋さんが叫んだ。


「SNSなら投稿できます! ただ、予約投稿は消されました。手動投稿ならまだ通ります!」


 佐伯さんが俺を見る。


「宮田くん、書ける?」


「何をですか」


「ユーザーに向けて。信長を消さないって」


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