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第6話 明日も、妾を書け

 思ったより軽かった。


 そして、温かい。


 腕の中へ収まると、妲己は当然のように丸くなった。


 耳がぴくりと動く。


 赤い目が満足そうに細められた。


「妲己さん」


「何じゃ」


「これ、最初から狙っていました?」


「知らぬ」


「知らぬと言う時は、だいたい図星なんですよ」


「噛むぞ」


「抱かれている状態で噛むのはやめてください」


 白狐は、俺の腕の中でさらにくつろいだ。


 光秀がエレベーターのボタンを押しながら言う。


「妲己さん。次回からは、室内で人の姿になってから共用部へ出てください」


「面倒じゃ」


「守ってください」


「宮田が供物を持ってくればよい」


「住まい問題ではなく、俺の労働問題になってきましたね」


 エレベーターが静かに上がる。


 三号室の前に着いても、妲己は俺の腕から降りようとしなかった。


「着きましたよ」


「知っておる」


「降りてください」


「もう少し運んでもよいぞ」


「許可制にしないでください」


 光秀が、ほんの少しだけ目を細めた。


「妲己さん」


「何じゃ、細かい女」


「宮田さんを私用で呼び出す場合、今後は事前申請制とします」


「なぜじゃ」


「乱用されるためです」


「乱用ではない。供物管理じゃ」


「乱用です」


 妲己は不満そうに、ようやく床へ降りた。


 三号室の扉の前で、白狐の姿のままこちらを見上げる。


「宮田」


「はい」


「明日は、きつねまんを持ってこい」


「予定次第です」


「持ってこい」


「努力します」


「努力では足りぬ」


「妲己さん、それ好きですね」


 妲己は、ふんと鼻を鳴らした。


 そして、部屋へ入る直前に振り返る。


「宮田」


「はい」


「明日も書け」


「何をですか」


「妾をじゃ」


 俺は少しだけ笑った。


「通常業務が終わったら」


「遅い」


「サービスは走っているので」


 佐伯さんの口癖が移っていた。


 妲己は、不満そうに耳を動かす。


「人間は面倒じゃな」


「はい」


「だが、少しは待ってやる」


 それだけ言って、妲己は三号室へ入っていった。


 扉が閉まる。


 レジデンスの廊下に静けさが戻った。


 光秀が横で、深く息をつく。


「規則を追加します」


「ですよね」


「第三十一条。深夜帯に宮田さんを供物係として呼び出さないこと」


「俺、規則に名前が載るんですか」


「すでに載っています」


「いつの間に」


「必要でしたので」


 俺は少しだけ遠い目をした。


 世界を救っても、告知文は減らない。


 九尾が現代に残っても、深夜に呼び出される。


 魔王は一号室で、たぶんまだ起きている。


 光秀は規則を増やす。


 ジャンヌは明日、差し入れを持ってくるかもしれない。


 妲己は三号室で、狐の姿になって丸まっているのだろう。


 そして俺は、明日も普通に出社して、普通にシナリオを書く。


 復刻告知。


 マイルーム台詞。


 住居ルールネタのミニ会話。


 きつねまん第二弾の紹介文。


 世界の根幹を揺らすような文章ではない。


 歴史を救う言葉でもない。


 それでも。


 部屋があり、食事があり、名前を書いた棚があり、明日も書かれる物語がある。


 そういう小さなものの積み重ねが、彼女たちを物語の中だけではなく、この現代へ住まわせていく。


 俺はスマホを開き、明日のタスクに一行追加した。


 ――妲己の深夜自販機ボイス案。


 保存。


 すぐに、三号室の中から声がした。


「宮田」


「はい」


「今、妾のことを書いたじゃろう」


「書いてません」


「嘘が下手じゃ」


 扉越しでもバレていた。


 光秀が、小さく笑った。


 珍しいものを見た気がした。


「帰ります」


「お気をつけて、宮田さん」


「光秀さんも寝てください」


「規則を一本追加してから寝ます」


「一本で済みます?」


「努力します」


「それは済まないやつですね」


 レジデンスを出ると、夜風が少し冷たかった。


 現代のビルの明かり。


 自動販売機の光。


 コンビニの看板。


 どれも神話とは程遠い。


 けれど、その中に信長と光秀と妲己が住んでいる。


 少し離れた宿舎には、ジャンヌもいる。


 普通の人間とまったく同じ身分ではない。


 規約違反は多い。


 オフの日にも騒がしい。


 それでも、彼女たちはここで暮らし始めている。


 それは、たぶん。


 物語になる前の、いちばん普通で、いちばん大事な時間だった。

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