第3話 現代は、妖より規約が強い
俺は固まった。
会議室の空気も固まった。
信長が、ゆっくりこちらを見る。
ジャンヌが紅茶を置く。
黒川さんがそっと目を伏せる。
光秀のペンが止まる。
佐伯さんの胃が、たぶん悲鳴を上げた。
「妲己さん」
佐伯さんが、非常に慎重な声で言った。
「その案は、最初から却下です」
「なぜじゃ」
「絵面です」
「また絵面か」
「はい。また絵面です」
妲己は不満そうに俺を見る。
「宮田」
「はい」
「そなたの家は狭いのか」
「広さ以前の問題です」
「ならば、妾は狐になればよい」
「より駄目です」
「なぜじゃ」
「いろんな意味で駄目です」
信長が、にやりと笑った。
「狐。貴様、ずいぶん宮田の近くを好むな」
「妾の書き手じゃ。雑に扱われては困る」
「ほう」
「何じゃ、その顔は」
「いや。愉快だと思ってな」
妲己は、ふんと鼻を鳴らした。
何を考えているのかは知らない。
ただ、宮田の近く、と言ったのは本人である。
そこだけ覚えておくことにした。
佐伯さんは、何事もなかったことにして資料を次へ進める。
「妲己さんには、レジデンス三号室へ仮滞在してもらいます」
「部屋を与えるのか」
「はい」
「供物置き場はあるか」
「冷蔵庫があります」
「供物蔵か」
「冷蔵庫です」
光秀がすぐに資料をめくった。
「三号室については、追加規則があります」
「追加規則」
妲己の声が低くなる。
「妾に規則を課すか」
「はい」
光秀は一切怯まなかった。
「第一に、この物件はペット不可です」
会議室が静かになった。
妲己の目が、すっと細くなる。
「光秀」
「はい」
「妾を何と言った」
「ペットとは言っていません。物件規約上、狐形態で共用部を移動すると、ペットと誤認されるという説明です」
「誤認ではない。侮辱じゃ」
「承知しています。ですが、管理会社への説明は不可能です」
佐伯さんが小声で言った。
「一国を相手にできる九尾が狐形態で廊下を歩きます、は本当に説明できない」
「一国を相手にできる九尾だからこそ、なおさら説明できません」
俺も同意した。
妲己は、心底不満そうに椅子の背へもたれた。
「現代は、妖より規約が強いのう」
「かなり強いぞ」
信長が頷いた。
「私も学んだ」
「魔王が規約に負ける時代か」
「そうだ」
「つまらぬ」
「だが、慣れると便利な面もある」
「飼いならされておるな、魔王」
「飼いならされてはおらぬ」
光秀が淡々と読み上げる。
「妲己さんは、室内では狐形態可。ただし共用部、エントランス、廊下、エレベーター、ゴミ捨て場、自動販売機前、建物外では原則として人の姿とします」
「面倒じゃ」
「必要です」
「人がいない深夜ならよかろう」
「防犯カメラがあります」
「かめらは人ではなかろう」
「人より厄介です」
「厄介な箱じゃな」
「はい」
妲己は、露骨に納得していない顔だった。
これは絶対に守らない。
俺はそう思った。
佐伯さんも同じことを思ったらしく、胃のあたりを押さえている。
「それから、狐形態での外出は禁止です」
「なぜじゃ」
「保健所に通報されます」
「されぬように歩けばよい」
「歩く時点で駄目です」
「空を行けば」
「もっと駄目です」
「影を通れば」
「御堂さんが来ます」
妲己は、そこで黙った。
管理局は狐にも効くらしい。
「供物という表現は、社内およびレジデンス内では食料に統一してください」
「嫌じゃ」
「冷蔵庫の指定棚を占拠しないでください」
「供物蔵に棚を分けるな」
「冷蔵庫です」
「妾のきつねまんは」
「名前を書いて保管してください」
「名を書けばよいのか」
「はい」
「ならば宮田に書かせる」
「自分で書いてください」
妲己が俺を見る。
「宮田」
「はい」
「書け」
「光秀さんに怒られるので嫌です」
「妾より細かい女が怖いのか」
「かなり」
光秀が眼鏡を直す。
「規則は守るためにあります」
「ほら怖い」
信長が笑い、ジャンヌが静かに微笑み、黒川さんがこっそりメモを取っていた。
たぶん、この会話は後でマイルーム台詞に使われる。
いや。
使うのは俺だ。
仕事が増えた。




