第30話 九尾は、弱きものを忘れない
「見せよ」
妲己が言った。
「はい」
俺は、まだ確定していないタイトル案をそのままモニターへ映した。
白い背景。
中央。
一行だけ。
《九尾は、弱きものを忘れない》
会議室が静かになる。
妲己は、しばらく文字を見ていた。
「……忘れない」
「はい」
「誰がじゃ」
「妲己さんが」
赤い目が俺を見る。
「また、そなたが意味をつけたのではないか」
「なので、まだ案です」
「妾が嫌だと言えば?」
「消します」
「ほう」
妲己は、もう一度タイトルを見る。
「弱きもの」
「はい」
「迷子も」
「はい」
「腹を空かせる者も」
「はい」
「勝手に使われる者も」
「そうです」
「それを、まとめて弱きものと呼ぶか」
「今まで妲己さんが動いた相手を、一番短く言うなら」
妲己は少しだけ目を細めた。
「優しいとは書かぬ」
「書いてません」
「守るとも」
「書いてません」
「正義も」
「ないです」
「愛も」
「ないです」
「そこまで即答されると腹が立つな」
「どうしろと」
信長が笑う。
「難しい狐だな」
「黙れ、魔王」
妲己は、また画面へ戻った。
「忘れない、か」
声が少しだけ低くなる。
「宮田」
「はい」
「妾は」
一度、言葉を止める。
「忘れぬと決めたことなどない」
「はい」
「覚えていたいと思ったものばかりでもない」
九本の尾がゆっくりと現れた。
「むしろ」
一本が身体の近くへ寄る。
「忘れた方が楽なものもある」
誰も口を挟まない。
「それでも」
妲己は自分の尾を見る。
「残るものは残る」
白い尾が静かに揺れる。
「見てしまったものも」
一拍。
「拾ってしまったものも」
もう一拍。
「噛みついてしまったものも」
「そこもなんですね」
「宮田」
「はい」
「黙れ」
「はい」
妲己はタイトルを見る。
「忘れようとしたか」
一拍。
「覚えておこうとしたか」
もう一拍。
「そんなものは関係ない」
一度、鼻を鳴らす。
「残ったのなら」
一言。
「仕方あるまい」
俺は何も足さなかった。
「じゃあ」
「何じゃ」
「このタイトル、残します?」
妲己が俺を見る。
「一つ直せ」
「どこです?」
キーボードへ手を置く。
「そのままでは」
「はい」
「誰の話かわからぬ」
「え?」
「妾の話なのであろう」
「そうですけど」
「なら」
妲己が少しだけ顎を上げた。
「妾の名を入れよ」
一瞬、俺の手が止まった。
「何じゃ」
「いや」
「嫌か」
「逆です」
「なら書け」
「はい」
タイトルの後ろへ名前を入れる。
《九尾は、弱きものを忘れない・妲己》
俺は今度こそ、エンターキーを押した。
確定。
妲己がその文字を見る。
「……よし」
小さく、そう言った。
「妲己さん」
佐伯さんが慎重に聞く。
「これ、正式に使っていい?」
「今、名を入れろと言ったであろう」
「確認です」
「細かいの」
「管理局に鍛えられました」
妲己が鼻を鳴らす。
「よかろう」
佐伯さんが、ようやく笑った。
「タイトル確定」
「では」
黒川さんがタブレットを開く。
「次は絵です」
「もう描くのか」
「中心が決まりましたので」
モニターが切り替わる。
まだ粗いラフ。
中央に妲己。
前方には、何かへ向き合う影。
その後ろには、子ども。
老人。
傷ついた人。
名前も顔もない、何人かの人影。
ただ、誰も妲己へすがってはいない。
妲己も振り返っていない。
「守っておるように見える」
妲己が言った。
「では、そこを外します」
黒川さんは迷わず線を直す。
「妲己さんは、前だけを見ます」
「うむ」
「後ろの人たちも、妲己さんを見ません」
「うむ」
「ただ」
黒川さんがラフを見る。
「間にいます」
妲己の目が少しだけ細くなる。
「それならよい」
「表情は?」
「優しくするな」
「はい」
「笑わせるな」
「はい」
「尾はもっと荒らせ」
「わかりました」
「妾は飾りではない」
「はい」
黒川さんが九本の尾を描き直していく。
大きく。
荒々しく。
前へ。
横へ。
画面からはみ出すほどに。
「絵描き」
「はい」
「後ろへ尾を向けるな」
黒川さんの手が一瞬だけ止まった。
「承知しました」
理由は聞かなかった。
後ろを向いていた尾が前へ移る。
「これで?」
「よい」
それだけで構図は決まった。




