第29話 妾がそうしたかった。それでは不満か
そこで、佐伯さんが手を挙げた。
「妲己さん。一つだけいい?」
「何じゃ、責任者」
「もし」
佐伯さんは少し慎重に言った。
「同じことが、またあったら?」
「同じこと」
「迷子でも、誰にも助けてもらえない人でも」
「うむ」
「ゲームとか、監修とか、そういうのは全部関係なく」
一度、言葉を切る。
「また目の前で見たら、どうする?」
妲己は答えなかった。
九本の尾だけが静かに揺れている。
しばらくして、
「責任者」
「はい」
「愚問じゃな」
佐伯さんが少しだけ目を見開く。
「妾が気に入らなければ動く」
「はい」
「腹が立てば噛む」
「はい」
「邪魔なら壊す」
「はい」
「そして」
妲己は赤い目で俺たちを見る。
「見捨てたくなければ」
一拍。
「見捨てぬ」
俺の手が止まった。
誰も何も言わない。
妲己が露骨に嫌そうな顔をした。
「何じゃ」
「何も」
「その顔をやめよ」
「はい」
「優しいと言うな」
「言いません」
「善人とも」
「言いません」
「本当は人間が好きとも」
「絶対言いません」
「ならよい」
俺はホワイトボードへ書いた。
――見捨てたくなければ、見捨てぬ。
妲己は、それを見ても消せとは言わなかった。
「これ、残していいんです?」
「妾が言った」
「はい」
「なら、消すな」
「ゲームにも?」
妲己が俺を見る。
「勝手に善い話へ変えぬなら」
一言。
「消すな」
「わかりました」
昨日と同じ言葉だった。
でも今度は、妲己自身が選んだ言葉だった。
俺はホワイトボードを見る。
気まぐれ。
気に入らぬ。
後味が悪い。
見てしまったものを、なかったことにするのは気に入らぬ。
見捨てたくなければ、見捨てぬ。
少しだけ、言葉が見えた気がした。
「妲己さん」
「何じゃ」
「これならどうです」
俺は一行、書いた。
――妾がそうしたかった。それでは不満か。
妲己の目が止まった。
「……」
長い沈黙。
「宮田」
「はい」
「それは」
一度、言葉を切る。
「妾が言ったか?」
「まだ言ってません」
「なら捏造ではないか」
「はい」
「消せ」
「すみません」
即座に消した。
佐伯さんが小声で言う。
「惜しかった気がする」
「俺もです」
「聞こえておるぞ」
「すみません」
消えた文字を、妲己が見ている。
「……」
誰も次の言葉を出さなかった。
俺も待つ。
しばらくして、妲己が深く息を吐いた。
「宮田」
「はい」
「もう一度書け」
「え?」
「今のものじゃ」
「でも、妲己さんが言ってないので」
「今から言う」
妲己は、腹立たしそうに俺を見る。
「妾がそうしたかった」
一言。
「それでは不満か」
俺は何も足さなかった。
「不満ありません」
もう一度、そのまま書く。
――妾がそうしたかった。それでは不満か。
今度は、妲己は消せと言わなかった。
黒川さんがタブレットを開く。
「描けます」
短かった。
「もう?」
「中心が決まりましたので」
信長が笑う。
「ようやく決めたか、狐」
「黙れ、魔王」
それだけ。
でも、白紙だった画面には初めて妲己本人が選んだ言葉が残った。
俺はその一文を見る。
そして、別の欄を開いた。
「妲己さん」
「何じゃ」
「タイトル案があります」
「見せよ」
俺はエンターキーを押す前に、画面を妲己へ向けた。
そこには、一行。
《九尾は、弱きものを忘れない》




