第28話 見てしまったものを、なかったことにしない
その翌日。
白紙は、まだ白紙だった。
「……」
俺はモニターを見る。
真っ白。
昨日のまま。
黒川さんも描いていない。
俺も書いていない。
その横で、光秀だけが御堂さんへ提出する資料を増やしていた。
「光秀さん」
「はい」
「白紙なのに、資料だけ増えてません?」
「決定している事項はありますので」
「例えば?」
「本人の拒否事項です」
「多そう」
「十二項目です」
「増えてる」
「九尾を装飾として扱わない。本人の行動を善意や正義へ変換しない。白狐マシュマロを浮かべない、などです」
「最後だけ商品監修じゃないですか」
「本人の明確な拒否事項です」
その時、ソファから声がした。
「必要じゃ」
妲己だった。
「起きてたんですか」
「今起きた」
「聞いてないじゃないですか」
「狐を浮かべるな、というところだけ聞こえた」
「そこだけ反応するんですね」
テーブルには、コンビニの肉まんが二つ。
「それ、自分で買ったんです?」
「責任者に買わせた」
俺は佐伯さんを見る。
「一人で行くなって言ったの、宮田くんでしょ」
「あ」
「だから俺が行った」
「正しい」
「正しいけど釈然としない」
妲己は肉まんを一口食べた。
「それで」
佐伯さんが聞く。
「妲己さん。何か決まりました?」
「決まらぬ」
「即答」
「そもそも」
妲己が身体を起こす。
「なぜ妾が、自分を説明せねばならぬ」
「商品になるからです」
「嫌なら?」
「出しません」
佐伯さんは迷わなかった。
妲己が見る。
「絵も、話も?」
「本人監修としては出しません」
黒川さんも頷く。
「ラフは社内資料として保存しますが、公開しません」
「せっかく、ここまで作ったのにか」
「はい」
「売上が落ちても?」
「困りますけど」
佐伯さんは苦笑した。
「本人が嫌がってるものを、本人監修とは言えないので」
妲己は、しばらく佐伯さんを見る。
「馬鹿じゃな」
「会社としては、たぶん」
「責任者なのに?」
「責任者だからです」
妲己は鼻を鳴らした。
それから、モニターへ視線を向ける。
白紙。
「宮田」
「はい」
「昨日のものを出せ」
「昨日の?」
「そなたらが見たものじゃ」
俺はホワイトボードを表示した。
駅前。
無断撮影。
食べ物。
そして、
――それで、弱いものだけが最後に困る。
――妾は、それが気に入らぬ。
妲己は黙ってそれを見る。
「宮田」
「はい」
「そなたは」
赤い目が俺を見る。
「何を書きたい」
「俺ですか」
「そうじゃ」
「昨日は俺に決めるなって」
「決めるなとは言った」
「はい」
「思うなとは言っておらぬ」
「難しいな」
「物書きであろう」
俺はホワイトボードを見た。
少し考える。
「……弱いものを」
一度、言葉を切る。
「見捨てない」
妲己の目がわずかに細くなった。
「優しい、と言わぬのか」
「言いません」
「正しいとも」
「言いません」
「守るとも」
「そこまでは」
「なぜじゃ」
「妲己さん、自分でそう言ってないので」
「うむ」
「でも」
俺は並んだ言葉を見る。
「見捨ててはいない」
沈黙。
「たまたまじゃ」
妲己が言った。
「はい」
「気まぐれじゃ」
「はい」
「気に入らぬものを見ただけじゃ」
「はい」
「なら、そう書きます」
妲己の眉が動く。
「それでよいのか」
「何がです?」
「そなたらは、理由を欲しがるのであろう」
「欲しいです」
「正直じゃな」
「シナリオ書きなので」
「では作れ」
「作りません」
「なぜじゃ」
「本人がいるので」
「本当に面倒な男じゃな」
「よく言われます」
妲己は肉まんの紙袋を置いた。
「妾が動くのは」
一拍。
「気まぐれの時もある」
「はい」
「気に入らぬ時もある」
「はい」
「それに」
少しだけ言葉が止まる。
「後味が悪い」
「後味?」
「放っておいて」
妲己が嫌そうに顔をしかめる。
「あとで思い出すのが気に入らぬ」
会議室が静かになった。
「泣いておる子を見た。
腹を空かせておる者を見た。
誰かが、使われようとしておるのを見た。
それを放っておいて、あとで思い出す」
一度、息を吐く。
「面倒じゃ」
俺は何も書かずに聞いた。
「だから動く?」
「そういうこともある」
「全部ではない?」
「当然じゃ」
妲己は俺を見る。
「妾は善いことをしたいわけではない」
「はい」
「褒められたいわけでもない」
「はい」
「人間を救いたいわけでもない」
「はい」
「むしろ嫌いじゃ」
「知ってます」
「そこは即答するのか」
「ずっと言ってますから」
「よい」
ふっと空気が揺れた。
妲己の背後へ九本の白い尾が現れる。
静かに、ゆっくりと揺れる。
「ただ」
妲己は言った。
「見てしまったものを」
一本の尾が身体の近くへ寄る。
「なかったことにするのは」
一拍。
「気に入らぬ」
誰も口を挟まなかった。
「それだけじゃ」
俺は今度は書いた。
――見てしまったものを、なかったことにするのは気に入らぬ。
「宮田」
「はい」
「余計なものを足すな」
「足してません」
「ならよい」




