第20話 監査官は、だいたい現場に来る
翌日。
朝から、会議室Bには胃薬が置かれていた。
「早くないですか」
「備え」
「防災用品みたいに言わないでください」
「今日来るんだよ?」
「御堂さんが」
「うん」
「妲己さんの監査に」
「うん」
佐伯さんは胃薬を一本取り出した。
「備え」
「納得しました」
昨日、修正史管理局から正式な連絡が来た。
高危険度妖怪存在に由来する認識拡散について、現地確認を実施する。
担当。
史観監査官。
御堂真白。
「宮田」
「はい」
「その監査官とやらは、強いのか」
妲己が聞いた。
会議室のソファには、白い髪に黒いパーカー姿の妲己。
九本の尾は隠している。
「強いというのは」
「戦えるのか」
「たぶん、その方向では」
「ならば何が怖い」
「書類です」
「書類」
「あと、判断が早いです」
「それは怖いのか」
「かなり」
信長が腕を組む。
「狐。あれは剣を持たぬが、面倒だぞ」
「魔王は会ったことがあるのか」
「ある」
「勝ったか」
「勝ち負けではない」
「負けたのか」
「違う」
光秀が口を挟む。
「信長様。御堂様との監査は、勝敗で表現するものではありません」
「御堂」
妲己が繰り返す。
そこで俺も気づいた。
「あ」
「何じゃ」
「名前、今初めて聞きましたよね」
「そうじゃな」
「御堂真白さんです」
「監査官」
「はい」
「なら、監査官でよい」
「本人の前でも?」
「何が悪い」
「たぶん、何も悪くないです」
御堂さんなら、普通に受けそうだった。
その時、会議室のドアが三回ノックされた。
佐伯さんの背筋が伸びる。
「来た」
「胃薬は?」
「まだ耐える」
「もう戦いみたいになってる」
「どうぞ」
ドアが開く。
黒いスーツ。
整えられた髪。
無駄のない姿勢。
修正史管理局、史観監査官、御堂真白。
「失礼いたします」
御堂さんは会議室へ入り、俺たちを順に見た。
最後に、妲己へ視線が止まる。
そのまま妲己の前まで歩いた。
「初めまして。修正史管理局、史観監査官の御堂真白です」
「そなたが監査官か」
「はい」
「妾を、人間の女へ戻しに来たか」
初手から強い。
佐伯さんが胃のあたりを押さえた。
御堂さんは表情を変えない。
「現時点では、そのような処置を決定しておりません」
「現時点では」
「はい」
「必要ならやる」
「必要であれば」
妲己が少しだけ笑った。
「正直じゃな」
「ありがとうございます、妲己様」
「様?」
「本人確認が成立している顕現体には、原則として敬称を用います」
「妙なところで礼儀正しいの」
「規定ですので」
妲己が光秀を見る。
「細かい女と同じ匂いがする」
「妲己さん」
「何じゃ」
「御堂様に失礼です」
「ほらな」
「何がですか」
御堂さんは何事もなかったように席へ着いた。
「では、確認を始めます」
早い。
もう監査だった。
「昨日、二件の認識拡散を確認しています」
御堂さんが資料を開く。
「駅前での妖力行使。そして、商業施設での無断撮影を契機とした九尾の露出です」
妲己が言う。
「どちらも人間が悪い」
「妲己様」
「何じゃ」
「現代社会では、個人判断による妖力行使は推奨されません」
「推奨されぬだけか」
「状況によっては法的問題になります」
「法」
「はい」
「面倒じゃな」
「必要ですので」
光秀がほんの少し反応した。
信長が笑う。
「仲間が増えたな、光秀」
「増えていません」
御堂さんは続ける。
「映像の大半は現在、コスプレ、演出、加工映像として受け取られています」
「なら問題ないのでは?」
俺が聞く。
「映像そのものは」
御堂さんが俺を見る。
「問題は認識です」
「認識」
「一部で、“妲己は人間の美女ではなく、本当に九尾だったのではないか”という言説が増えています」
会議室が少しだけ静かになった。
妲己は笑った。
「正しいではないか」
「本来史上は」
「なら何が問題じゃ」
「それが、現代社会で事実として定着し始めることです」
御堂さんは、まっすぐ妲己を見る。
「修正史における妲己様は、殷王朝末期の傾国の美女として整理されています」
妲己の目が少し冷えた。
「九尾は?」
「妖狐伝説として残っています。ただし、現実に一国を相手にできるほどの力を持つ九尾であった、という認識ではありません」
「つまり」
俺は言った。
「九尾の話自体は消えてない。でも、実在したものとしては扱われていない」
「概ね、その理解で問題ありません。宮田春樹様」
妲己が鼻を鳴らす。
「九尾より、王を惑わせた女の方が扱いやすいか」
「現代社会の安定という観点では」
「誰のための秩序じゃ」
御堂さんが一瞬だけ黙った。
妲己は赤い目で御堂さんを見る。
「妾にとっては」
一言。
「どちらが安全じゃ?」
会議室が静まり返った。
御堂さんは目を逸らさなかった。
「あなたにとって、とは申し上げられません」
「ほう」
「修正史は、個々の存在の幸福のみを目的として維持されているものではありません」
「では誰のためじゃ」
「現在の人間社会を、安定して存続させるためです」
妲己は、しばらく御堂さんを見た。
そして少しだけ笑った。
「よい」
「何がでしょうか」
「そなたは、妾のためだと言わぬ」
「はい」
「気に入った」
「ありがとうございます」
御堂さんの表情は変わらない。
でも、少しだけ空気が軽くなった。




