第3話
「言ったわね、朴念仁」
私が椅子を蹴るように立ち上がると、ユーリシスも音もなく立ち上がった。
三年間、「お代わりはいかがですか」「ああ、いただこう」なんて型通りのやりとりしかしてこなかった食卓に、割れた小手と推薦状だけが置き去りにされる。
夜の中庭には、初秋のひんやりした風が吹いていた。
私はスカートの裾をたくし上げて帯に挟み、物置から引っぱり出してきた樫の木槍を右手に提げて敷石を踏んだ。ユーリシスは上着を脱ぎ捨てて、白いシャツの袖を肘までまくり上げ、木剣を構えている。
「防具なしだ。手加減はしないぞ、エレノア」
「どの口が言うのよ。昨夜、鳩尾に一発もらって目を回しかけてたくせに」
言い捨てると同時に、私は間合いを詰めた。
足音なんて消さない。敷石を蹴りつけて、樫の穂先をユーリシスの喉元へまっすぐ突き出す。
カンッ、と乾いた音が中庭に響いた。
ユーリシスが木剣の鍔元で槍を受け流す。昨夜と同じ軌道。でも今度は、右肩が引けていなかった。私に指摘された癖を、たった半刻で無理やり直してきたのだ。
「飲みこみが早いじゃない!」
「看板を立てて教えてもらったからな!」
ユーリシスが剣を滑らせて、私の懐へ踏みこんでくる。
穂先の届かない近い間合い。私はとっさに柄の真ん中を左手で握り直し、石突側を跳ね上げて彼の顎を狙った。風を切る音が、ユーリシスの前髪を散らす。彼は紙一重で身を反らし、横なぎに木剣を払ってきた。
私は後ろへ跳んで、間合いを取り直した。
息が上がる。なのにユーリシスの呼吸はちっとも乱れていなくて、思わず舌を巻いた。
強い。昨夜は仮面の不気味さに呑まれていたんだろう。正体を知った上でこうして向き合うと、近衛の筆頭格と呼ばれる腕が本物だと、嫌でも思い知らされる。
「エレノア」
中段に構えたまま、ユーリシスが低く言った。
「あの推薦状の裏、見たか」
「見るわけないでしょ。あなたが得意げな顔で出してきたばっかりなんだから」
「なら、打ち合いながら聞け」
ユーリシスが踏みこんできた。
左、右、そして真上からの唐竹割り。鋭い三連撃。
私は柄を両手で支えて、受けて、払って、いなす。衝撃が手首から骨まで響いてくる。重い。まともに受け続けたら、力負けして押し切られる。
「あの推薦枠は、仕組まれた罠だ!」
「知ってるわよ! 裏試合の胴元が貴族の道楽だってことくらい、最初から織りこみ済みだわ!」
「そうじゃない! 仕組んだのは、うちの親父だ!」
足が、一瞬止まりかけた。
その隙を逃さず、木剣が私の右肩をかすめる。布が裂ける音がして、冷たい夜気が肌を走った。
「お義父様が?」
「親父は近衛の会計役の官印を使って、裏試合の賭け金と本戦の推薦枠を売り買いしていたんだ。推薦状の裏に押してあるのが、その官印だ。公の場でぶちまければ親父は終わる。だが、裏試合に出た君も無傷じゃ済まない。審理官の前に引きずり出されるぞ」
「上等じゃない。最初からタダで逃げ切れるなんて思ってないわ」
私は木槍を低く構え直した。
「でも、だからってあなたが代わりに戦って、『守ってやった』とでも言うつもり!?」
「言わない!」
ユーリシスが木剣を両手で振り抜き、私の槍を力任せに弾き上げた。
手の中で、樫の柄がきしむ。それでも離さない。弾かれた勢いのままくるりと一回転して、遠心力を乗せた石突を彼のこめかみへ叩きこみにいく。
ユーリシスはそれを、木剣の柄で受け止めた。
お互いの顔が、息がかかるほど近づく。
月明かりの下で、青い瞳が炎みたいに揺れていた。
「俺が君の代わりに戦うなんて、そんな侮辱をすると思うか!」
「え?」
「君の槍は、俺なんかに守られるような安いものじゃない! 昨夜、俺の魂を根こそぎ持っていったあの槍を、誰かの踏み台になんかさせるものか!」
怒鳴るような声だった。
ユーリシスの額から、汗がぽたりと落ちる。
「本戦の形式は、推薦人と闘士が二人一組で戦う『主従演武』だ。本当なら俺は、親父の息のかかった騎士を連れて出るはずだった。親父は俺を思い通りに動く跡継ぎに仕立てたい。君は道場を守るために認可がほしい。なら、答えはひとつだろう」
「何よ」
「俺が推薦人として、君と組む。二人で勝って、二人で親父の不正を暴く。罰を受けるなら、二人で受ける」
ユーリシスがぐっと木剣を押し返してきた。
私はその力に逆らわずに半歩引いて、受け流す。二人の間合いがまた開いて、切っ先を向け合ったまま息を整えた。
「いいわ。でも約束は約束よ。一本勝負、先に参ったと言ったほうが負け」
木槍の先を下げた瞬間、ユーリシスが地を蹴った。
狙いは右足。わざと右肩を引く癖を見せてきたから、外へかわそうと敷石を踏んだ。その瞬間、木剣の平が私の胸元を浅くかすめた。誘いだったのだ。
でも、踏みこみが浅い。
私は退がらずに軸足を滑らせて、なりふり構わず懐へもぐりこみ、樫の石突を彼の喉へ突き上げた。
喉元一寸で、ぴたりと止める。
「参った。俺の負けだ」
息を切らしたユーリシスが、木剣を下ろした。
食堂に戻ると、推薦状はテーブルに置かれたままだった。ユーリシスがそれを差し出して、私はペンを取る。観客に公開される闘士の欄には『銀鴉』と書き、書記官だけが開く封つきの控えには、本名で『エレノア・ヴェルデ』と署名した。
「推薦人はユーリシス・アレン。舞台で恥をかかせたら承知しないわよ」
「ああ。負けたら、君の道場に転がりこむさ」
「勝っても転がりこませてあげないわよ」




