第8話 どうかしばしご歓談を
「敬虔な方だと信じていましたよ」
両の大きな羽根を羽ばたかせて鶫は嘴を大きく開く。鋭い足の爪にはまだ暖かい熱のある肉が突き刺さっている。教会の床は血に濡れて甘美な匂いに鶫はカカカと笑う。
町は再び大雨により人々が死に、使いの者が教会に飛び込んで来た頃には牧師の姿はなく、ただ小さな白い骨が転がっているだけ。
弔う者すらなく棺は橋を渡っていく。しかし棺を担ぐ者すらいなくなり、また増水した川に溺れる者が出ても、もう助ける者もなく。陰鬱とした人々の目には生気はなく、やがて滅びを待つことになるだろう。
鶫はまだ空を飛んでいた。もう町へは降りることはなく、ただ街灯の上に止まっては死に行く者を硝子玉の瞳で見つめている。
ふと誰かが「この町も終わりか?」と呟いた気がして鶫はそちらを見た。町の入り口には黒いマントが立っている。その姿を見た鶫の肌が粟立ち羽根が立ち上がっていく。
黒いマントはゆるりと動き、足音を鳴らし両腕を広げた。黄金の羽毛に包まれた淡い桃色の腕には金の腕輪が光っている。長い爪でフードを外し、鬣のような金髪を揺らすと鶫を見上げた。鶫の背中に針が打たれたように腹から順に伸び上がっていく。嘴が上がると、閉じていたはずのそれがカチカチ音を立てた。黒いマントは唇をほんの少し動かした。声は聞こえなかった、しかし鶫には聞こえていた。
「活ける者よ」
体は硬直し、声には逆らえず鶫は地面へ落下した。ぐしゃりと潰れた足を引き摺って、黒いマントの前へとへりくだる。黒いマントは随分と大きかった。いや、畏怖で大きく見えるのだ。
鶫は頭を垂れたまま地面に嘴を擦り付けた。
「御使い人様、御使い人様、何故降りてこられたのですか?」
黒いマントは鶫に眼を向けることはなく遠く家々を見つめている。
「ここもまた死に行く者の集い。導きは必要である」
石と木で出来た家々の火は消され、暖かな煙が上がることもない。死は平等であり、生は勝ち取るものである。黒いマントは唇に歌を乗せる。鶫は目を大きく開き、両の羽根を羽ばたかせた。
「御使い人様、どうぞお待ちください、確かにここには死が溢れております。明日にもまた死が人々に降りては悲しみに包まれましょう。しかし、しかし。どうかお待ちください。まだ死に贖う者がおります。生に喰らいつく者がおります」
鶫はガタガタ震える体を起こし、若い紳士の姿に変わると背を伸ばして黒いマントに深々とお辞儀をした。
「どうかしばしご歓談を」
若い紳士は持っていた杖をこつりと鳴らして顔を上げた。黒いマントは視線を遠くから足元へと下ろし、若い紳士の目を覗き込む。若い紳士の美しい長い睫毛が揺れて、人の目から鳥の目へと変化し、また戻る。美しい顔は歪み、形状を保てないのか歪に蠢き続けている。
「活ける者よ、死を望むのではないのか?」
若い紳士は眉根を寄せる。しかし今ではない。死は喜びの上に無くてはならない。尊き死は甘き憂いに包まれていなければならない。
「……まだ、ま……」
考えを巡らせて若い紳士は言葉を紡ぐ。しかし黒いマントの美しい宝石の瞳に魅入られて、口を噤んだ。




