第10話 支配者は歌う
「こちらへ」
透き通るような男の声だ。若者は足早に光に向かって歩き出す。たどり着いた先にある光は、煙草の火で辺りを小さく照らしている。煙草を持つ指は黒い皮手袋をしている。体には上等なスーツを着て、その上には初老くらいの男の頭が乗っている。
「こんにちは」
初老の男は小さく会釈すると若者に微笑みかけた。なんと立派な紳士だろうと若者は思った。けれど、何故この森に、この暗い森の中にいるのだと訝しがった。
「もう夜なのですか?」
森は暗い。木々が天井を作るように葉を伸ばしあっているから光などありはしない。昼も夜も、時間すらも分かるものか。
「ああ、そうですね」
紳士は胸元から懐中時計を取り出してカチリと蓋を開く。
「九時二分……、こんにちは、いいえ、こんばんは」
奇妙な紳士だ。若者は暗闇で独りでいるよりはましかと紳士の持つ煙草の火を見つめる。ジジッと音を立てるそれが熱く感じられて、手を伸ばしたくなった。
「それより、うまく逃げられましたね?」
紳士はぷかりと煙を吐く。煙は白く光り、暗闇であるはずの場所を明るく照らした。
「え?」
「殺人の容疑は晴れなかった、しかしあなたは逃げられた」
「っ…」若者は口を噤む。紳士の言葉は嘘ではない。間違ってはいないのだ。
「あの場には十人の容疑者がいた、あなたは無実です。しかしでは他の九人は有罪でしょうか?」
煙草を反芻して煙を吐く。辺りはより白く明るくなっていく。
「女は酷く暴行されて死にました。さて、果たして誰が犯人なのでしょうか?」
若者の視界が明るくなっていく。紳士が煙を吐くたびに、辺りの様子がくっきりと浮かび上がった。四方は壁に囲まれて、それぞれには絵画がかかっている。紳士は椅子に座り、その前には小さな机。陶器のティーセットが置かれ、カップからは湯気が上がっている。
「……俺では……ない」
若者は自分が何故部屋の中にいるのか分からず、後ろを振り返る。後ろは暗闇だ。紳士も、この部屋も不可思議だ。しかし、逃げ出したいのに若者の足は動かない。
「それも真実。ではあの九人は?何故殺されたのでしょうか?」
「え?」
紳士はまた一つ煙を吐く。辺りはまた白く光り輝く。太陽に照らされたように眩しく若者は片手で目を覆った。
「私は夜の支配者、裁定者でもあります。答えを言いましょう、あの場にいた者たちは皆、女を殺しました。一人目は女を犯し殺しました。二人目も女を犯し殺しました。三人目も同じく……」
それが真実?若者はごくりと唾を飲む。
「四人目も同じ、五人目も同じ……皆同じ理由で殺しました」
「あの……いや、それはおかしい!だって彼女は一人しかいないのだから!」
「はい。一人ですよ?あなたも理解しているのでは?」
紳士の言葉に若者の喉が鳴る。いや、そんな……まさか。
煙草の火が燃えて煙がまた白く光る。白に全てが包まれて再び暗闇が戻ると、スーツを着た一匹の梟が煙草を吹かしていた。




