ベアトリーチェ条約。
「ふふっ。ベアトリーチェ条約。いい名前ですわね。」
「いや、それで本当にいいのか!?」
ギルバートはくすくすと笑うベアトリーチェをみて、頭を抱えた。
「ダメですの?とてもいい名前だと思いますけれど……」
(本気で言ってるのか……?)
ベアトリーチェを止めてくれるものは誰一人としていない。セイレート、アイトス公爵家はベアトリーチェの突飛な言葉に慣れているのか、ただただ彼女を見つめている。
そして、言い出したグラハルトに至ってはただ笑うだけ。
「ハハハ。やはり面白いな。ベアトリーチェよ。俺はお前が気に入ったぞ。だがな……」
次の瞬間、この場の空気が一変した。
グラハルトは無邪気な笑みを消し、皇帝陛下の顔になる。
「これは子供の遊びではないんだぞ。国と国の問題だ。一つ間違えれば民が死ぬ。国が滅びることもあるだろう。お前はそれでも我々と組むというのか。」
「もちろんですわ。」
ベアトリーチェは机をバンッと叩くと立ち上がった。
「そもそも既にこの国も、ケルベリオン帝国も一度間違えております。国が二つに割れたことで、数百、数千、数万の民達が犠牲になって来ました。女性の取り合いから始まった喧嘩はここまで広がっているのです。」
「いいですか。この数百年で、本来であればもっと美味しいお菓子ができたことでしょう。紅茶だって色々な種類が……娯楽だって増やすことができたはずです。ですが……」
ベアトリーチェは一歩ずつ大股で歩きながら、指を突きつけた。
「あなた方の!」
「先祖の!」
「はた迷惑な!」
「兄弟喧嘩のせいで!」
側近たちがグラハルトを守ろうと、前に立ちはだかろうとするが、皇帝が一掃した。
「す・べ・て!!あなた達の責任です。レヴィール。あなたもですわ。ですから、わたくし考えたのです。ここからは喧嘩をするのではなく、手を取りあって発展していくのがいいのではないかと……」
「だが……」
レヴィールが話そうとするとベアトリーチェは手で制した。
「言いたいことは分かります。今更仲良くしろと言われて簡単に仲良くできるわけが無いでしょう。これが綺麗ごとだということも……ですが、綺麗ごとから始めなければ、何も始まらないんですわ。」
「別に毎日一緒に紅茶を飲もうと言っているわけではありませんわ。たまに会ってこうやってお茶会を開くだけです。」
「お茶会って……」
(ここまで来てそれか……)
ギルバートは小さくため息を吐くと、ベアトリーチェを見た。
(こいつが……俺の婚約者か……)
少しばかり婚約を受け入れたことに後悔する。
「わたくしは戦にお金をかけるよりも、皆が幸せになる紅茶やお菓子にお金をかけるほうが幸せだと思うんです。」
ベアトリーチェはそれだけ言うとリネットに指示を出した。
グラハルトの前に別の紙が一枚置かれる。
「手始めに……わたくしが知っている土壌改良法をお伝えします。」
「ケルベリオン帝国では、干ばつや害虫、そして厳しい寒さのせいで民たちが苦しい暮らしをしているんですよね?これは初めの一歩ですわ。どうか受け取ってくださいませ。」
グラハルトは、紙を手に取ると無言で文字を追った。
先ほどまで余裕を崩さなかった皇帝の顔が、わずかばかり険しくなる。
だが、ベアトリーチェは気にもとめていないのか、目の前にあるケーキに手を伸ばした。
「あっ、皆さんも是非お食べになってくださいませ。今回はリンゴを使った薔薇のタルトですの。」
近くに控えていた侍女たちがそれぞれの皿に切り分けたタルトを乗せていく。
「薔薇はどうしても香りが強くなってしまいますから……今回はリンゴで薔薇の形を作ってみましたの。」
ベアトリーチェはフォークで一口サイズに切ると、そのまま口へと運ぶ。
「ふふっ……美味しい……」
ベアトリーチェは小さく微笑んだ。
「さっ、皆さんもお食べになって?」
ギルバートたちはチラリと皇帝陛下をみるが、グラハルトは読むのに夢中なのかこちらの様子には気づいていなかった。
「うまいな……」
アリオンがボソッと呟く。
「ふふっ。ですわよね?本日は薔薇風アップルタルトに合わせてアップルティーと、アールグレイを用意させていただきました。リンゴのお菓子にはアップルティーが意外と合うんですのよ?」
ギルバートはベアトリーチェの仕草を真似するようにアップルティーを口に持っていく。
こくり
一口飲んだ瞬間、
口の中に、紅茶の渋みとリンゴの爽やかな酸味が広がった。
「これは……飲みやすいな……」
お茶が嫌いというわけではない。
だが、後味に残る渋みがどうも好きにはなれなかった。
「ふふっ。気に入っていただけたようで良かったですわ。」
ベアトリーチェは微笑むと、グラハルト皇帝の後ろに立つと、ナイフを手に取った。
「な、なにをするつもりだ!?」
「やはり、これは罠だったか!?」
「グラハルト!危ないぞ!!」
グラハルトの側近たちは帯剣に手をかける。
しかし、ベアトリーチェは側近たちに目もくれずナイフを振り下ろした。
「「「危ない!!」」」
シュッ――
ナイフの音と側近たちの声が重なる。
しかし、次の瞬間――
「……へ!?」
呆けた声に変わった。
「せっかくのお茶会です。グラハルト皇帝陛下も是非こちらを食べてみてはいただけませんか。」
「あぁ……そうだな。」
グラハルトは一通り読み終わった書類から顔をあげると、ケーキに目を向けた。
「きっと、食べたら、眉間のシワを消えるはずです。」
ベアトリーチェは目頭を寄せ、わざと眉間にシワを作り指さした。
「ふっ。お前と話していると、難しい話のはずがそのように感じないな。」
グラハルトは肩の力を抜くと、ケーキに手をつけた。
「せっかくのお茶会ですもの。わたくしは険しいお顔よりも、皆さんの笑顔が見たいですわ。さっ、側近の皆さんもどうぞ?できればアップルティーも一緒に……ね?」
ベアトリーチェの言葉と同時に控えていた侍女たちが椅子を引いた。
まるで、前もって動きを決めていたのではないかと思うほどの、一糸乱れぬ動きに、ギルバートは驚く。
「すごいな……」
「ははっ……ベルだからな。お茶会には余念が無いんだ……というよりは、自分の関わる楽しいことには……と言った方がいいかな。」
ギルバートがコソッと呟くと、隣に座っていたアリオンが耳元でささやく。
「うまいな……」
「えぇ、初めて食べる味です。ケルベリオンではお菓子を食べる文化がありませんからね。」
「生きるのに必死だからな……」
グラハルトの言葉に続くように側近たちが声を出した。
「不思議でしょう。リンゴひとつでこんなに食べ方が変わるのです。皮も上手く使えば美味しいお茶になります。因みにこのお茶は……ケルベリオン帝国の端にある村から分けてもらったものです。」
「なんだと!?」
(いつの間に……そんなことを!?)
ギルバートはベアトリーチェが何をしているか全く気が付かなかった。
「あの苦いお茶が!?」
「グラハルト皇帝陛下。お茶は淹れ方一つで味わいが全く変わりますの。渋くなったり、甘くなったり……不思議ですわよね。ケルベリオン帝国のお茶はよくもわるくも、渋みが強かったのです。ですが初めの一口はとても飲みやすかった。そこで……今回は我が国のりんごと合わせてみたのです。」
「見てください。手を取り合えばこんなに美味しいお茶が飲めるのです。」
ベアトリーチェはバッと手を広げると、ケルベリオン帝国を見た。
「ケルベリオン帝国とアルキューネ国は繋がっています。ここからケルベリオン帝国が見えるのがその事実。是非この条約に賛成していただけませんか?」
ベアトリーチェが頭を下げると、公爵たちも立ち上がり頭を下げた。
レヴィールも同じように頭を下げる。
グラハルトは深呼吸をすると、もう一口ケーキを食べた。
「はぁ……いいだろう。ベアトリーチェ。この条約の名はベアトリーチェ条約だ。お互い条約を違えぬ以上、手を取り合うことを約束する。だが……」
グラハルトはレヴィールを見据えた。
「今の王族は好かん。こっちまで話が来ているぞ。それに、お前たちのせいで、こちらの秩序を崩そうとしている輩が入り込んでいる。薬になると称して毒物をばらまいているんだ。まずは、そこをどうにかしてからだ。」
「ふふっ……その言葉お待ちしていました!では……これからそちらの問題を解決しに行きましょうか。」
ベアトリーチェが手を上げるとどこからともなくドラゴンが顔を出す。
(いつの間に……)
ハンスが消えていたと思っていたらどうやら駆り出されていたらしい。
「さっ、皆さんこちらに乗ってください。やはり……」
「こういう時は派手に登場しないといけませんわ。」
ベアトリーチェの言葉にドラゴンの置いた客室へ人が乗っていく。
「やったぁ!やっとドラゴンに乗れるわ!」
これから何が起きるのか……皆が不思議そうにしている中、ベアトリーチェだけが全く違うことで舞い上がっていた。




