最初で最後のお願いを聞いていただけますか。
「なるほど……ディオン第二王子殿下は、わたくしではなくそちらにいるリーチェをご所望ということですね?」
「そうだ!」
フェレシアは、ベアトリーチェが小さく微笑んだことを見逃さなかった。
わざとらしくリーチェと呼ぶのは悟らせないためだろう。
ヴィクトリーチェの方を見れば、ディオンと同じように勝ち誇った笑みを浮かべている。
(……ベアトリーチェのペースね……)
「かしこまりました。ディオン第二王子殿下の王族としてのお言葉ですもの。嘘、偽りはございませんわよね?」
笑みを絶やさない、ベアトリーチェにフェレシアは心の中でため息を吐いた。
ベアトリーチェは昔からこうだ。
多くは語らないくせに、目と微笑みだけでほとんどを乗り切る。
相手が自爆するまで何も言わない。
(何を言われても平然としてるのよね。)
(まぁ、全てを知っているからこそできるのだろうけれど……)
敵に回したくない一人だ。
「も、もちろんだ。」
ディオンは、考えることもなく返事をした。
「承知いたしました。では、わたくしも金輪際この王城には近寄らないと約束しましょう。念のため、セイレート公爵にも伝えておきますわ。」
「な、なぜ公爵に伝える必要がある。」
「ふふっ……だって、わたくしとリーチェ様は似ていますもの。それで間違えられたりしたら……ねぇ……」
ベアトリーチェは閉じた扇子を開きながら、ヴィクトリーチェへ視線を送ると、首を傾げた。
「リーチェ様が勘違いされては困るではございませんか。」
そこで一旦区切ると、少し間を置いてから話を続ける。
「……でしたら、先に似ていることを伝えておいた方が良いとは思いませんか?」
(……私は何も見ていないわ……)
ガゼボに座っている母たちに視線を送ると、手を振りながらにこやかな笑みを浮かべていた。
(……あれは……わかってて放置したのね……)
「うむ、そうだな!!」
「そうだな……じゃねぇーよ……ゔっ……」
目の前のやり取りを見ていると、肘が脇腹に突き刺さった。
フェレシアはため息を吐いただけのつもりだったが、どうやら口から出ていたらしい……
フェレシアの言葉遣いに、ディオンたちは目を大きく見開いた。
「ほほほ……なんでもございませんわ……どうぞ……お話を続けてくださいませ……」
フェレシアは口元を押さえて、ゆっくり後ろに下がると母たちのいるガゼボへと向かった。
***
「ふふっ……では話の続きをしましょうか。」
ベアトリーチェはフェレシアがいないことを確認すると、ディオンを見た。
「そうですね、今日のことをきちんと書き記していただきたいのですが、ディオン第二王子殿下の側近の方にお願いしてもよろしいですか?」
ベアトリーチェの後ろに侍女も控えていたが、敢えてディオンの側近に書かせる。
下手にこちらが書けば難癖をつけられる可能性があるからだ。
(この件に関して、こちらが不利になることは無いものね……)
「いいだろう。」
ディオンはそれに気を良くしたのか、一番近くにいた側近に書くよう命じる。
「それと……わたくしからひとつだけお願いがございますの。」
「なんだ。」
「わたくしも……一度だけでもベアトリーチェと呼ばれたいのです。」
ディオンと婚約してから二人の間にほとんど会話はなかった。
一緒に受けなければならない授業も、ディオンは一度として顔を見せず……
社交界でも一緒に参加はするが、すぐに別の場所に行ってしまい、挨拶回りするのはベアトリーチェのみ。
ベアトリーチェは頬を赤らめ、目に涙を浮かべながら上目遣いでディオンを見る。
「……書類の中だけで構いませんので……呼んではいただけないでしょうか。どうか……お願いいたします。」
胸元で両手を組んでお願いすると、ディオンは頬を赤らめた。
「うっ……」
どうやらこの顔に弱いらしい。
ディオンは少し考えてから「いいだろう……」と返事をした。
「よ、よいのですか!?」
書類を書くよう言われた側近が目を見開いた。
それもそのはずだ。
書類上といえども、名前にはベアトリーチェと書かれるのだから……
「構わん。それに血縁上はリーチェがベアトリーチェだと証明されているのだからな。」
側近はそれ以上言い返すことができないのか、グッと唇を噛み締めて一歩後ろに下がった。
(……バカで助かるわ)
「ディオン第二王子殿下……ありがとうございます。」
ベアトリーチェは頭を少し下げると、口元だけで微笑んだ。
しかし――
その笑顔に気づくものはいない。
顔を元に戻すと、扇子で口元を隠す。
「では、先程の続きですね。わたくしは金輪際、アルキューネ城並びにディオン第二王子殿下には近づきません。もちろん、そちらにいらっしゃるリーチェ様にもです。」
「うむ……いいだろう。」
「それと、今書いている書類を書き直すことは一切やめてくださいませ。」
その言葉の意図に気づいたのは何人いたのか……
だが、ディオンは気づくことなくうなずくだけだった。
「また、本日の件につきまして、後日わたくしへ異議申し立てを行わないこともお約束いただけますか?」
「構わない。それも記録しておこう。」
「ありがとうございます。こちらの書類、わたくしからセイレート公爵様にお渡しいたしますので、一部いただけますか。」
「大切な書類ですので、ディオン第二王子殿下の署名もお願いいたしますね。」
「わかった。」
ディオンは内容を確認すると、何も考えることなくそのまま書類に署名をした。
―――――――
誓約書
アルキューネ王国第二王子ディオン・アルキューネ殿下と、セイレート公爵令嬢ベアトリーチェ・セイレートは、本日王妃主催のお茶会において、以下の内容を誓約する。
一、
ベアトリーチェ・セイレートは、今後アルキューネ城並びにディオン第二王子殿下へ接触しないこと。
二、
ディオン第二王子殿下は、本件に関する異議申し立てを後日行わないこと。
三、
本書類の書き換え、修正、破棄を行わないこと。
以上。
アルキューネ歴 XX年 XX月 XX日
署名:ディオン・アルキューネ
署名:ベアトリーチェ・セイレート
―――――――
「これで良いか。」
「はい、感謝いたしますわ。ディオン第二王子殿下。それでは……」
ベアトリーチェは扇子を閉じると、もう片方の手で、ドレスを摘んだ。
そしてゆっくりと広げながら、左足を後ろに下げる。
春らしい黄色のドレスの裾がふわりと広がった。
「わたくしはこれで失礼させていただきます。リーチェ様。ディオン第二王子殿下と幸せになってくださいませ。」
「ええ、もちろんよ!!」
ヴィクトリーチェの言葉に優雅に微笑むと、ベアトリーチェはそのまま踵を返して歩き出した。
そして、それに続くようにこの場にいた令嬢たちも踵を返す。
ディオンたちは急に動き出した令嬢たちを見ても気にすることはなかった。
「リーチェ……これで君は私の婚約者に戻れるな。」
「えぇ……ディーのおかげよ。ありがとう。大好きよ。」
少なくともこの時のディオンは、自分が全てを失ったことにまだ気づいていなかった。




