厨房は公爵令嬢が全て占拠いたしました。
「ここからはお弁当ね!!」
厨房がコッペパン熱から覚めると、ベアトリーチェは予め避けておいたコッペパンを調理台の上に乗せた。
「ベアトリーチェ様、手伝いますよ。」
「次は何をしましょう。」
先ほどまで見ていただけの料理人たちが、次々に手伝いを申し出る。
(ふふっ……狙い通りだわ……)
料理をするのは楽しい。
だが、バターを作るにしても、パンを作るにしても力仕事が多いのだ。
特にこれから作ろうとしているものは、力だけではなくスピードも重要になってくる。
(電動泡立て器が懐かしいわ……)
ベアトリーチェは、胸の前で両手を合わせて微笑んだ。
(ベアトリーチェ……ここは間が大切よ。)
後方からは別の視線を感じるが、今はそれどころではない。
(リネット……あなたの言いたいこともわかるけど……背に腹はかえられないわ)
「まぁ!皆さんが手伝ってくださるなんて心強いわ。ですが……」
ベアトリーチェはそっと目を伏せた。
(一、二、三……)
それからゆっくり目線だけあげると料理人たちをちらりと見る。
「皆さんの休憩時間が減ってしまうのではございませんか。」
「うっ……」
「か、かわいい……」
なぜか料理人たちは頬を染めて固まった。
コッペパンの時とは違う熱が厨房内に広がっていく。
(……あら……)
誰も言葉を発しない。
ベアトリーチェはリネットに視線を送った。
(効果なかった……かしら。)
しかし、リネットは肩を竦めるだけで動く気配はない。
どうやら助けてくれるつもりはないらしい。
(ヴィクトリーチェの技も大した事無いわね……)
厨房内はパチパチと火の爆ぜる音だけが響いている。
(ディオンが阿呆だっただけだわ……)
ベアトリーチェが諦めて、一人で作業を再開しようと動き出した瞬間――
「「も、問題ございません!!」」
料理人たちの声が、厨房内に響き渡った。
「そ、そんなことございません。ベ、ベアトリーチェ様のためでしたらなんでもします!」
「俺もです!なんでも仰ってください。」
(たまには役に立つじゃない。)
ベアトリーチェはヴィクトリーチェのことを思い出し、生まれて初めて彼女に感謝した。
(まっ、会いたいとは思わないけど……)
「皆さん、ありがとうございます。わたくしとても嬉しいですわ。料理長もよろしいのですか?」
ベアトリーチェは頬に手を置きゆっくり顔を傾ける。
「えぇ、あなたからは学ぶことが沢山ありそうですし。なっ?皆!」
「「はい!!」」
料理長の一声に料理人たちが頷く傍らで、ベアトリーチェは小さく拳を握りしめた。
「ありがとうございます。そう言っていただけてとても嬉しいですわ……では皆さんにはこちらをお願いしてもよろしいでしょうか。」
卵、レモン、酢、塩、オリーブオイルを調理台の上に置いていく。
(本当は……米油とかあればいいけど……お米自体がないのよね)
「こ、これは一体……?」
食材と言うより、調味料に近い物が置かれていくことに、料理人たちは目を見開いた。
「ふふっ……できてからのお楽しみですわ。」
ベアトリーチェは卵の黄身だけを器に入れる。
「おお!!そんなことができるのか。」
卵といえば丸ごと使うが主流なのだろう。
分けて使えばおいしくなるものがたくさんあるというのに……
(教え甲斐がありそうね。)
ベアトリーチェは小さくほくそ笑んだ。
「意外と簡単にできますの。これは皆さん出来るようになっておいた方がよろしいですわ。それだけで料理の幅が広がりますもの。」
その間もベアトリーチェは手を止めることなく、次々に材料を入れていく。
「オリーブオイル以外を入れましたら、これをひたすら混ぜて欲しいのです。そうですね……もったりするくらいまで……」
「もったりとは……?」
「え~っと……もったりは……」
感覚で伝えたものの、料理人たちは首をかしげるだけでこの言葉の意味を理解していなかった。
(もったりってなんて言うのよ~)
ベアトリーチェもまさか通じないとは思ってもいなかったのだ。
「ボテっとしてくるというか……サラッとしていたものがドロっとしてくるの。」
「ボテっと……ドロッとですか……?」
「そう!混ぜていけばわかるわ!!」
余裕が無いのか……ベアトリーチェの口調が戻っていく。
「ベアトリーチェお嬢様。」
「わ、わかったから……」
後ろからリネットの鋭い声が聞こえる。
「と、とにかく皆さんにはこちらを混ぜて欲しいのです。その間……少し抜けますが……ちょっと固まってきたなと思ったらゆーっくりオリーブオイルを入れてくださいませ。いいですか?ゆーっくりですよ。」
「わ、わかりました。」
料理人たちはそれぞれ材料を手に取ると、早速準備に取り掛かった。
***
「ハンス。久しぶりに鍛錬に付き合え。」
ギルバートは書類の山が無くなった机の上を見て一息つくと腰を上げた。
この数週間、セイレート公爵家やレヴィールのせいでなかなか書類の山が片付くことがなかったのだ。
(あの珍獣が来てからろくな事がないな……)
今まで静かで厳かな雰囲気が漂っていたファルクナー城。
従者はおろか、侍女や料理人に至るまでが軍人上がりということもあり、音を立てることをしなかった。
だが――
「美味しくなーれ!!」
「混ぜろぉ~!!」
「うぉぉぉ~!!」
今は男たちの雄叫びで溢れかえっていた。
「なんだか……騒がしいな……」
「あっちの方角は……厨房か……?何をしているんだ。」
ハンスが騒がしい声がする方へ目を向けると、それに続くようにギルバートが視線を移した。
「ふん……どうせ珍獣の仕業だろう?それより……俺たちは二人の時間を楽しまないとな。」
ギルバートは腰につけた剣を手に持つと、ハンスも同じように構える。
「あぁ、そうだな……」
お互い書類仕事よりも体を動かす方が好きなくらいだ。
二人は剣を構えると、ニヤリと笑った。
そして、駆け出そうとした瞬間――
ガシャーン
何かを落とす音が二人の耳に届いた。




