大型犬な料理人たちと粘土遊びを楽しみます。
「そろそろいい頃合いね。」
厨房での甘いひとときを終えた頃、ベアトリーチェは立ち上がると、布を被せておいたパンの生地の元へ向かった。
その後を料理長と副料理長が追っていく。
(やっぱり……料理人としては気になるわよね。)
辺境侯爵家に来てからというもの、ベアトリーチェが好き勝手しているのをここに住む全員が知っていた。
そしていつの間にか……巻き込まれることも……
(たった数日しか経っていないというのに……我が主ながら凄いわ……)
リネットがベアトリーチェのあまりの行動力に感心していると、料理長が後ろから声をかけた。
「若奥様。次は何をされるのですか?」
ここで働くものの間では、ベアトリーチェは若奥様で統一されつつあるようだ。
そんな言葉を聞いて、ベアトリーチェは頬を膨らませた。
「まぁ、若奥様なんてやめてくださらない?あのお二人に悪いですわ……それにまだ婚約すらしていないのですから……」
「「あの二人……?」」
料理長と副料理長の声が重なった。
「ギルバート様と、ハンスよ。あんなに仲睦まじいお二人を切り裂くなんて……わたくしにはできませんわ。」
(……また始まったわ……お嬢様の勘違い……)
料理長と副料理長も、ハンスの名前が出てくるとは思っていなかったのだろう……
ガタイのいい二人が首を傾げる。
(まるで……大型犬みたいだわ……)
「は、はぁ……」
料理長たちがベアトリーチェの言葉の意味を理解できずにいると、彼女はピタリと動きを止めた。
「それよりもこの生地……見てくださらない?」
目の前には先ほど包んだはずの濡れた布。
それを見た瞬間、
料理長たちの動きが止まった。
***
「えっ……と先ほどより大きくなっているような。」
(ふふっ……どうやら驚いているようね……)
ベアトリーチェが布を綺麗に取ると、
そこには――
先ほどの生地より一回り成長した生地があった。
(大成功のようね。)
料理長たちは目の前にある生地をマジマジと見つめる。
「どうなっているんだ……?」
「これはさっきと同じものなのか……?」
二人の反応を見て、今まで発酵というもの自体が存在していなかったということがよくわかる。
(それじゃいくら作っても柔らかくならないわね……)
この世界で、柔らかいパンなんて……
ココナッツミルクと、小麦粉、卵を混ぜて焼いたものくらいだ。
(あれも柔らかかったと言えるかは分からないけど……)
それ以外はフランスパンよりも硬いパンばかりで、スープに浸してようやく食べられるほどだった。
(これで……スープパンから離脱できるわね。)
「いいですか?なんでもかんでも早く作れば良いという訳ではないのです。愛もそうですが、こうやって時間をかければかけるほど、美味しくなりますのよ。」
ベアトリーチェはそこで二人のことを思い出す。
「ギルバート様とハンス様のように……」
「そ、そうなのか……?」
「確かに……あの二人は小さい頃から一緒にいるからな……時間が二人の関係を深めた……そういうことか……」
料理長と副料理長はボソリと呟くと、ベアトリーチェはズイっと二人に顔を近付ける。
「そう、そういうことですわ!料理も同じなのです。」
(やっぱり二人の関係は公認なのね!)
ベアトリーチェは膨らんだ生地を軽く押し、空気を抜いてから丸め直した。
「これはガス抜きといいますの。パンを柔らかくするためにはとても大切な工程なのですわ。」
「ガス抜き……ですか?」
「そうですわ。試しに……料理長たちも、やってみますか?」
ベアトリーチェは料理長たちの前に、布で包まれた生地を置いた。
ぷるぷると揺れる生地。
料理長たちはベアトリーチェの真似をして、恐る恐る生地に指を刺した。
プシュー……
「うぉぉぉ~!!」
風船に穴が空いたように、生地が萎んでいく。
(ふふっ……可愛いわね。大型犬が……はしゃいでいるようだわ)
ベアトリーチェはクスッと笑うと、生地を小分けにして、丸めていく。
「はしゃいでいるところ悪いのですが、手を動かしていただいてもよろしいですか?生地にはあまり時間が無いのです。このように小分けにして丸めてくださいませ。」
料理長たちは顔を見合わせると、生地に手を伸ばした。
「おぉぉー、柔らかいぞ!!」
「き、気持ちいい~!」
初めて粘土遊びをする子供のようなはしゃぎぷりに、ベアトリーチェも昔の自分を思い出した。
(私も……あんなことあったわね……)
ふと、前世の母の顔が浮かんだ。
パンやお菓子を作るのが好きで、いつも家の中は甘い匂いに包まれていた。
生地を捏ねるのが楽しくて、よく隣で手伝ったものだ。
「さっ、丸め終わったらもう少し生地ちゃんを寝かしましょう。」
「えっ!?終わり?」
おじさんたちの残念そうな声が厨房内に響く。
「そんな……残念そうな顔しないでくださいませ。生地を捏ねたいのでしたら、いつでもできますから……ねっ?」
ベアトリーチェは首を傾けて、料理長を覗き込んだ。
「そ、そうですな……作り方も覚えましたし、明日から早速、この作り方にしましょう。」
(やった!これで明日から柔らかいパンが食べ放題だわっ!)
ベアトリーチェは周りから見えない位置で小さくガッツポーズをした。
「さっ、あと少しで完成ですわ!」
二次発酵を終えると、天板の上に生地を並べていく。
今回は楕円形のパンだ。
「今回はこの形でお願いいたします。明日からどのようなパンが食べられるのか……今から楽しみですわ。」
成型した生地を天板の上に乗せ終えると、温まったオーブンに入れていく。
パチパチパチ
火の音が静かな厨房に響く。
(お願いだから成功してちょうだい。)
パチパチパチ
(あの硬いパンは……もう懲り懲りなのよ。)
ベアトリーチェはオーブンの中で膨らんで行くパンを想像しながら祈りを込めた。
それからしばらくして――
ふわぁ~
バターと、発酵に使ったリンゴの甘い香りが厨房いっぱいに広がっていく。
「いい匂い……」
誰かの声が厨房内に木霊した。
気づけば、厨房にいた全員の視線がオーブンへと向いていた。




