発酵中も甘いひとときを楽しみます。
「お嬢様……もうそろそろ……」
「ん~……あともうちょっと頑張ってちょうだい。」
ベアトリーチェは、リネットの様子を見ながら、パンを焼く準備をしていく。
「ふふっ。ついに柔らかいパンにありつけそうね。」
小麦粉に砂糖、塩、お湯、牛乳。
そして、つい先日出来上がったばかりの酵母菌を入れてざっくりと混ぜる。
(これこれ……これが大事なのよね~)
ベアトリーチェはある程度混ざったことを確認してから、リネットに視線を送った。
(いい感じね……)
瓶の中には、コロコロと転がるバターの姿が見える。
「リネット、そろそろいい頃合だからその瓶をくれるかしら。」
「や、やっとですか……。」
涙目になっているリネットを見て、ベアトリーチェはくすりと笑った。
どうやら相当大変だったらしい。
「どうして、そんな笑うんですか。」
「ふふっ……なんだか、あなたも人間だったんだなと思って。」
「何言ってるんですか。ちゃんと血の通った人間ですよ。」
「冗談よ。さぁ、パンを作るわよ~。」
混ぜ合わせた材料の中にバターを入れると手で捏ねていく。
サンドイッチと言えば食パンがいいかと思ったが、今回はコッペパンを選んだ。
理由は一つ。
食パンだと型が必要だが、コッペパンは型が必要ないからだ。
「ふぅ……結構力が必要なのよね。」
「て、手伝いましょうか……?」
そんな時、厨房で別の作業をしていた料理人が声をかけてきた。
「えっ!?いいの?」
「は、はい……やり方さえ教えてもらえれば……」
ちょうど手が空いたのだろう。
その後ろからもわらわらと他の料理人たちが近づいてきた。
「我々も手伝いましょう。何をすればよろしいですかな?」
「まぁ、それはとてもありがたいですわ。これからお菓子を作ろうと思っていましたの。手伝っていただけるかしら?」
ベアトリーチェは、慌てて公爵令嬢らしい表情を作ると、テキパキと料理人に指示を出していく。
「料理長はこれを混ぜてくださる?副料理長はこちらをお願いしますわ。」
「生地がまとまってきましたがどうしますか?焼きますか?」
「焼くのはちょっと待ってちょうだい。」
「……えっ!?焼かないのですか……?」
「焼くって……発酵しないとダメじゃない。」
「……」
ベアトリーチェの言葉に、料理人たちの手が止まる。
「発酵とは……?」
パンを柔らかくする上で大切な工程が発酵だ。
最低でも生地を一時間置いておかないと、いくら料理人の腕がよくても美味しいパンは出来上がらない。
今までパンを焼く工程を見たことがなかったが、あの硬いパンの原因は作る工程にあったようだ。
「発酵……については後でお伝えしますわ。この工程が美味しいパンを作る上で、とても大切なことなのです。生地を丸めたら濡れた布を生地ちゃんに被せていただけますか?最後に『おやすみなさい、美味しくなってね』と一声掛けてあげてくださいませ。」
料理人たちはベアトリーチェの言葉を信じ、濡れた布をかけると「おやすみなさい、美味しくなってね」と声をかけた。
(ふふっ。屈強な大男さんたちが……可愛らしい言葉を使うなんて……尊いわ。このままだと箱推しになってしまいそうね。)
そんな姿を見て、リネットはさらに涙を流していた。
「うっ……あと少し……あと少し早く来てくれれば、こんな辛い思いをしなくて良かったのに。」
「まぁまぁ、発酵するまで時間がかかるし、これでも食べながらお茶でもしない?」
ベアトリーチェは落ち込むリネットの肩に手を置いてから、調理台の上にコトリとソーサーとカップを置いた。
「こ、これは、ただの食器ではございませんか。」
リネットの位置からでは器に入った物が見えていないようだ。
ベアトリーチェはカップの上にソーサーを置くと、ゆっくりひっくり返した。
「お嬢様。ティーカップの使い方間違えておりますよ?もう少し丁寧に扱ってくださいませ。」
(いつもの調子が戻ってきたわね……)
「まぁ、見ててちょうだい。これを食べるにはとても大事な儀式なのよ。」
「は、はぁ……」
(あれは……信じてないわね……)
リネットの相槌を適当に流すと、ベアトリーチェはゆっくりとカップを持ち上げる。
すると――
ぷるん
カップの形をした柔らかい何かが顔を出した。
「こ、これは……?」
リネットは初めて見る目の前の物体を不思議そうに見つめる。
「プリンよ。」
(プリンは簡単なのよね。牛乳と砂糖、卵があればできるし……)
今まで存在していなかったことの方が驚きだ。
「これ、本当に美味しいのですか……?」
「ふふっ……騙されたと思って食べてみてちょうだい。」
ベアトリーチェはリネットの手にスプーンを乗せた。
***
ぷるんっ
リネットは目の前に置かれたぷるぷる揺れる物体をスプーンで掬うと、そのまま口元に持っていく。
ぱくり
「柔らかい……甘い……それに苦い……?」
色々な感覚が脳の中を支配する。
(こんな感覚……初めてかも……)
「ふふっ……驚いた?苦いのはこの上のカラメルソースね。プリンだけでも甘くて美味しいんだけど……」
ベアトリーチェは上に乗っている茶色い液体を指差した。
「この上のカラメルソースがある事で味わいや食感が変わるの。不思議でしょ?」
リネットが食べる様子を、ベアトリーチェは調理台に頬杖をつきながら楽しそうに眺めている。
「ええ……不思議ですね。」
「でしょ?さっき作ってもらったバターもそうよ。なんで液体が固まるのかって考えたら不思議じゃない?」
確かにそうだ。
初めに渡された時はただの白い液体だったものが、振っていくにつれて固まっていった。
(もうやりたくはないけど……)
「あんなに時間がかかるとは思いませんでしたが……?」
「ふふっ……何事も経験よ経験!!」
ベアトリーチェは、自分の前にちゃっかりと置かれたプリンと紅茶に視線を送る。
そして、スプーンでプリンを掬うと口の中へと消えていった。
「ん~!やっぱり一仕事終えたあとのプリンは格別ねぇ~!」
頬を綻ばせながら美味しそうに食べる姿を見て、リネットもプリンを口へと運んだ。
「そうですね。美味しいです……お嬢様。」
その言葉はプリンとともにお腹の中へと消えていった。
「ん?なんか言った?」
「いえ、なんでも……」
「ふふっ。ならいいのだけど」
ベアトリーチェはくすりと笑うと、そのまま料理人たちがいる方へ歩いて行き、一人一人にプリンを配るのだった。
(全く……お人好しですね。)




