ファルクナー城は今日も珍獣令嬢に振り回されているようです。
「ベアトリーチェ様ぁぁぁ!!それは私共の仕事ですぅぅ!それに、その格好……やめてくださいませ。」
「あら、いいじゃない。ドレスよりも似合っていると思うのだけど。」
「そ、そういう問題ではございませぇぇぇん!!」
ベアトリーチェがファルクナー城に来てから数日――
静まり返っていたはずの城内は一変していた。
「ベアトリーチェ様が来てから賑やかだな。」
「ふん……うるさいくらいだ……」
ギルバートは書類から顔をあげることなく答える。
だが、その口元は僅かに緩んでいた。
(そんなこと言って、口元緩んでるぞ……)
ハンスが書斎の窓から外を見ると、そこには侍女の制服に身を包んだベアトリーチェが洗濯をしていた。
「せ、洗濯……?」
ハンスは思わず二度見した。
「今日はな?昨日は、掃除をしていた。その前は庭仕事をするし、挙句の果てに壊れた外壁を直そうと工具を取り出す始末だ。」
「本当に……あれは公爵令嬢なのか……?」
(いや、でもあの双子の妹だ……)
ハンスもアリオン達のことはよく知っていた。
味方としては心強いが、絶対敵に回したくないと思うほどには……。
ギルバートは肩を竦めるだけで、それ以上何も言おうとはしなかった。
まるで、それが肯定とでも言うかのように……
「さすが……と言うべきか……」
ハンスは窓の外で楽しそうに走り回っているベアトリーチェを見て、ポツリと呟いた。
「……退屈しなさそうだな。」
「……ん?なんか言ったか……?」
「いや、なんでもない。」
ファルクナー城の日常は――
確実にベアトリーチェ色へ染まり始めていた。
***
「さて、と、洗濯も終わったし……次は厨房に行かないと!」
洗濯籠を抱え直しながら、ベアトリーチェは満足そうに頷いた。
その言葉に、周囲にいた侍女たちの肩がびくりと揺れる。
「ちゅ、……厨房ですか!?」
「そうよ?何か変?」
ベアトリーチェが首を傾げると、侍女たちは慌てて首を横に振る。
「い、いえ……ただ、ご令嬢が厨房に行くと聞いて、少し驚いただけと言いますか……」
「そう?家では日常茶飯事だから全然気づかなかったわ。母もよく、厨房でつまみ食いしたり、庭先で剣を振るったりしていたから。」
「は、はぁ……(これが……普通なのかしら……)」
侍女がきょとんとした顔でベアトリーチェを見ていると、その後ろから肩をぽんと叩かれる。
「あなた……これで驚いていたら身が持たないわ……少し落ち着いた方がいいわよ。」
「身が持たない……って。わたくし、普通のことしかしていないと思うのだけど……」
「お嬢様。セイレート公爵家で働く者は驚きませんが、ここはファルクナー侯爵家なのです。もう少し弁えることを覚えてはいかがでしょう。皆さん、お嬢様の行動についていけず、驚かれていますよ?」
「そ、そんな……」
リネットはベアトリーチェに周囲を見渡すよう声をかけると、侍女たちはすっと視線を逸らした。
(どうやら本当みたいね……)
今までセイレート公爵家で普通だったことも、ここでは普通とは言えない。
王城にいた時もそうだった。
自由にできたことといえば、お茶会くらいなものだ。
「ご、ごめんなさい。つい楽しくなってしまったの。悪気はなかったのよ。」
ベアトリーチェが申し訳なさそうに頭を下げると、公爵令嬢が頭を下げると思っていなかったのか、侍女たちは目を見開いてから、慌てたように首を横に振った。
「ベアトリーチェ様。お気になさらないでくださいませ。初めての事がいっぱいで驚いてしまいましたが……私共もベアトリーチェ様が来てくださって嬉しいのですよ。」
「城内も賑やかになりましたし……」
「ほ、ほんと?」
ベアトリーチェがパッと顔をあげると、侍女たちは笑顔でうなずいた。
「ええ、本当です。ですからベアトリーチェ様のお好きなようにしてくださいませ。」
ベアトリーチェは、ファルクナー侯爵家に来てから悠々自適な生活を満喫していた。
(いつもなら今ごろ書類に埋もれている頃ね……)
書類仕事と王妃教育の合間に、少しだけ紅茶を楽しむ――
そんな日々も、今ではまるでおとぎ話だったのではないかと思うくらい、頭の中から薄れつつあった。
(私ってもしかして……悪役令嬢だったのかしら。)
「今更考えても仕方がないわね……それよりも……急いで厨房に向かいましょう。そろそろ“あれ”が出来上がる頃なの!」
ベアトリーチェは胸元で手を合わせると、そのまま踵を返す。
「ベアトリーチェ様……その格好で行かれるのですか?せめて着替えられては……?」
「嫌よ……だって動きやすいんですもの。それにドレスだってお金かかるのです。これだったらほつれても直せますし、汚れても洗えば問題ないのですから。」
ベアトリーチェは鼻歌交じりに、そのまま厨房へ向かっていく。
「普通は汚れないんですよぉぉ~!!」
遠くから侍女の叫び声が聞こえたが、ベアトリーチェの意識はすでに厨房へ向かっていた。
(やっと硬いパンからおさらばできるわね。)
「あっ、ついでにジャムも作りましょう。それに、紅茶も……ふふっ楽しみね、リネット。」
リネットは申し訳なさそうに眉をひそめると、ベアトリーチェの後ろへと続いた。
「そうですね……(言葉遣いだけは公爵令嬢ね……)」
背後では、洗濯物が風に揺れてぱたぱたと音を立てていた。




