珍獣令嬢、辺境要塞の硬いパンは許せません。
「ギル、俺たちは今日帰る。ベルを頼むな。」
ギルバートたちと話した翌朝――
カチャリ、と食器の触れ合う音が響いた。
皆で朝食を囲んでいると、突然アリオンがそんなことを言い出したのだ。
「……は?」
ギルバートの間の抜けた声と、
「……アリオンお兄様!?」
ベアトリーチェの声が重なる。
どうやらベアトリーチェも何も聞いていなかったらしい。
「正気か?まだ、婚約もしていないんだぞ?」
ギルバートは持っていたフォークとナイフを置くと、アリオンを見た。
「……これ美味いな……」
アリオンはギルバートの言葉を聞き流すように、呑気にスープへ手を伸ばした。
「……確かに美味しいですわね。この辺の名産なのかしら。コーンスープに近いわ……」
「コーンスープ?」
初めて聞くスープの名前に首を傾げると、ベアトリーチェはキョトンとした顔でギルバートを見つめる。
「あ、いえ……何でもないのです。ただ、どこか懐かしい味がしたものですから……」
(危ない……コーンスープってこの世界にないんだったわ……)
「そうか……それより、本当にこの珍獣を置いていくのか?」
「わたくしが珍獣なら、あなたは堅物地蔵ね。」
ベアトリーチェがボソリとつぶやくと、皆の手がぴたりと止まる。
そして、次の瞬間――
「プッ……」
ギルバートの後ろに控えていたハンスの笑い声が聞こえてきた。
「ハンス……」
ギルバートは無言で後ろを振り向く。
(見つめあってるわ……やっぱり絵になるわね。)
「ふっ……すみま……せん……ふははっ……ただ、“堅物地蔵”と“珍獣”……あまりにもお似合いでしたので……」
「……ゴホンッ」
ギルバートは一度咳払いすると、アリオンに視線を戻した。
「とにかく、本当にべ、べ、べ……」
「ベアトリーチェですわ。長くて大変だと思いますし、ベルで構いません。」
ギルバートは僅かに眉を寄せた。
(ふふっ……いい気味ね。珍獣と呼んだ罰よ。)
ベアトリーチェは、少し微笑むとそのままオムレツに手を伸ばす。
(……美味しいけど……ケチャップ欲しいわね。)
ベアトリーチェがそんなことを考えている間にも、食卓の空気はゆっくりと真面目なものに変わっていく。
ギルバートはナプキンをテーブルへ置くと、話を戻した。
***
「それで……ベルを置いて行くというのは本当か?」
アリオンはギルバートの空気に気づいたのか、朝食を食べる手を止めるとギルバートを見た。
「あぁ。正式な話は父上たちが進める。書類も近いうちに届くはずだ。」
(書類が届くって……本気だったのか)
冗談半分だと思っていた話が、少しずつ現実味を帯び始める。
「それに、ここにいた方が安全だと思うからな……(色々な意味で……)」
「安全って……ここは一応最前線だぞ?今はケルベリオン帝国も落ち着いているが……いつ何が起きるか分からない。お前たちだってわかっているだろ?」
アリスターたちと出会ったのは戦場だった。
ファルクナー領がケルベリオン帝国から攻められた時、力を貸してくれたのがセイレート公爵家とアイトス公爵家だったのだ。
(こいつらがセイレート公爵家だと知ったのは、落ち着いた後だったがな……)
「あぁ、わかっている。でも大丈夫だ。」
「何が、大丈夫なんだ……」
「俺たちの妹だからな。」
「僕たちの妹だからさ。」
双子の声が綺麗に重なる。
「……ったく、ベル。お前からも何か言ってやったらどうなんだ?って……」
ベアトリーチェに視線を向けると、口をもごもご動かしながらパンを食べている。
「このパン……硬いですわね。わたくし……もっと柔らかいパンが好きなのですけど……」
「……は?」
ギルバートが口をぽかんと開けると、ベアトリーチェはその中にパンを入れた。
「……ほら、硬いでしょう?顎は強くなりそうですけど、その前に痛くなりそうだわ。あなたが堅物地蔵になったのもうなずけるわね。」
「ふっ……」
ベアトリーチェの“堅物地蔵”がツボに入ったのか、ハンスの笑い声が背中から聞こえる。
しかし、ベアトリーチェは気にせずそのまま話を続けた。
「これは早めに改良しないと、皆堅物地蔵になってしまうわ……!果物と……なにか瓶はないかしら。」
「堅物地蔵っていうのはやめてくれ。」
「それならあなたもわたくしのことを珍獣っていうのは止めてくださいませ。」
ベアトリーチェはむっと頬を膨らませながら、ギルバートを睨みつける。
(……根に持っていたのか……)
「……はぁ……お前、本当にこのままでいいのか?」
「このまま……ってどのままでしょうか?」
ベアトリーチェは侍女から果物と瓶を貰うと、きょとんとした目でギルバートを見た。
「いや、ここに残ることだ。ここは……そのこんな見た目の城だぞ?」
「それは昨夜話して解決したではありませんか。」
ベアトリーチェは肩を竦める。
「それに、お兄様たちがこうと決めたらテコでも動きませんし、ここは退屈しなさそうですもの。」
ベアトリーチェはギルバートと、ハンスを交互に見るとニヤリと笑う。
(あの目……絶対何か勘違いしているな……)
ギルバートは一度小さく息を吐くと、そのまま話を続けた。
「はぁ……そうか。まぁ、お前がいいと言うならいいが……」
「えぇ、大丈夫ですわ。安心してくださいませ。お二人の邪魔は絶対いたしません。むしろわたくしのことは家政婦くらいに思ってくださると嬉しいですわ!」
(いや、公爵令嬢をどうやって家政婦だなんて思えないだろ。)
アリスターは一度肩を竦めてから、
「ベルもこう言っているし大丈夫さ。それに、ギルにも悪いことではないはずだ。」
それだけ言うと、立ち上がった。
「アル、そろそろ帰ろうか。」
「そうだな、アス。」
アリオンも当然のように立ち上がると、そのまま部屋の出口へ向かって歩き出した。
「……えっ?」
ベアトリーチェはぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「お、お兄様……?」
「ん?どうした、ベル。」
「どうした……ではありませんわ!本当に帰るんですの!?」
「さっきから帰ると言ってるだろ?また近いうちに顔出すから……」
アリスターはベアトリーチェの肩を抱き寄せると、ベアトリーチェも、その腕にそっと手を添えた。
「そうですか……」
そして、ほんの一瞬だけ寂しそうに目を伏せた──
ように見えたが、
次の瞬間にはいつもの調子で微笑んでいた。
「まっ、わたくしはこちらで自由に生活させていただきますし、安心してくださいませ。」
そう言って笑うベアトリーチェを見て、ギルバートは何も言うことができなかった。
(思ってる以上に落ち着いてるな……)
強がってるだけなのかも──
(……そんなことは無さそうだな……)
「じゃあ、ベル。元気でな。」
「困ったことがあったら手紙を書くんだよ。」
双子はそれだけ言うと、そのままセイレート領へ帰って行った。
「さっ、まずはパンを美味しくしないとね!それから紅茶に合うケーキも作りましょ。」
ギルバートはそんなベアトリーチェを見ながら、小さく頭を抱えた。
(……やっぱり珍獣だな。)




