噂の侯爵令息に珍獣扱いされたんですけど……ただの公爵令嬢ですわ。
(これは今日の紅茶がよく進むわ)
ベアトリーチェは目の前のカップを持ちながら一人妄想を膨らませていた。
見目麗しいカップルに自然と頬が緩む。
(眼福眼福!!)
カップを口につけて一口紅茶を飲もうとした。
その時──
ふわりと紅茶の香りが鼻をくすぐると同時に、
「ククッ」
近くから男の笑い声が聞こえた。
従者だけでなく周りに控えていた侍女たちが目を見開いた。
どうやらこの男が笑うのが珍しいらしい。
(なんとも言えない空気ね。)
そんな空気を遮るように、アリスターが声を発した。
「えっと……すまない。妹がなにか失礼なことを……?」
「失礼って……ひどいじゃないですか。わたくしは何もしておりませんわ。ねぇ……えっと……」
ベアトリーチェは目の前に座る主人と、後ろに控える従者を見据えると、小さく首を傾げた。
(……名前……分からないのよね……)
すると──
目の前の男は口元を隠しながら、首を横に振った。
「いや、なんでもない。」
(……何よこの空気……)
重いわけでもないが軽いわけでもない……
何とも言えない空気の中、目の前の男は気にすることなくもう一度「ククッ」と声を漏らした。
「な、何がおかしいのですか……?」
「くっ……すまない。君はまるで……珍獣だな。」
「ち、ちんじゅう!?」
「あぁ……どこからともなく現れて、花瓶の陰でコソコソ呟いていたと思ったら、今は目の前で高貴な女を演じてる。それに……」
「「花瓶の陰!?」」
アリスターたちは男の声を遮ると、勢いよくベアトリーチェを見た。
(やば……御手洗に行ってなかったのがバレちゃうじゃない……)
「えっ、えっと……お兄様。これには深い深~いわけがあってですね……」
「深いわけ……?」
ベアトリーチェは手の平をアリスターに向けると落ち着かせるように揺らす。
(アリスターお兄様が怒るの怖いのよね……)
「そ、そうなんです。色々と事情が……御手洗が遠くてですね。たまたまお会いしたんです。そう……たまたま……」
(お願いだから、これ以上何も言わないでよ……)
ベアトリーチェは目の前の男をきっと睨むと、一瞬目を見開いたあと、もう一度声を殺して笑った。
そんな二人のやり取りを見て、アリオンが呆れたようにため息をつく。
「事情って……どうせ、道に迷ってたんだろ?それか、冒険にでも出てたのか……まぁ、こいつが普通に座ってられるのなんて、お茶やお菓子食べてる時くらいだ。」
「アリオンお兄様。その言い方は失礼じゃないですか。私はただ、お散歩に行っていただけなんですよ?」
「散歩って……御手洗じゃないのか!?」
「あっ、お、御手洗です。」
「うそつけ……もう遅いぞ。今散歩って言ったじゃないか。」
ベアトリーチェは分かりやすく視線を逸らした。
目の前に座っている男と目が合うが、笑っているばかりで使えそうにない。
これ以上口を開けば墓穴を掘ると思ったベアトリーチェは小さく微笑むとそのまま口を閉ざした。
「まぁ、ベルは落ち着きがないからね……今回は本人が何もしてないというし……このくらいにしておいてやろう。」
(……普段から何もしてないわ……)
アリスターの言葉に、ベアトリーチェは小さく肩を撫で下ろした。
そして、男は背もたれに身体を預けると、ベアトリーチェたちを交互に見る。
「ククッ……表情がコロコロ変わるな。今だって……すごい顔になっているぞ。」
すごい顔!?
それに、先ほど男に言われた言葉を思い出す。
高貴な女を演じてる……
(……そんなこと初めて言われたわ。)
確かに、ベアトリーチェの中で“高貴な女”は舞台の中の一人という感じが消えなかった。
(前世の記憶があるから余計ね……)
でも、ベアトリーチェ自体を演じているつもりはない。
外と内の顔が違うと言うだけだ。
ベアトリーチェは目を細めて、目の前にいる男を見据えた。
「別に演じているつもりはないんですけど……それよりも、そろそろお名前を教えてくださってもいいのではないですか?」
「本当に俺のことを知らないのか?」
男は探るようにベアトリーチェを見つめていた。
俺のことを知らない?
(どこかで会ったことあるってこと?)
男の顔をじっくり見るが、思い出せそうにない……
(まぁ、イケメンであることは分かるけど……それだけね。)
ベアトリーチェは小さく首を振ってから、眉尻を少し下げた。
「申し訳ございません。以前どこかでお会いしたことがありましたでしょうか?わたくし……その……婚約者以外眼中になかったものですから……」
「嘘つけ……婚約者すら眼中にはなかっただろうが……」
アリオンの呆れた声に、ベアトリーチェの口元がぴくりと引きつる。
ベアトリーチェは思わず、アリオンの脇腹をきゅっと摘んだ。
「ゔっ……」
アリオンのうめき声に今度は男たちが首を傾げる。
「ほほほっ……なんでもございませんわ。それでお名前を教えていただいても……?」
「あぁ、そうだったな。俺はファルクナー侯爵家次期当主。ギルバート・ファルクナーだ。」
「ギルバート・ファルクナー……」
名前だけは聞いたことがある。
「見目麗しいだけの冷酷な男……」
一時期、お茶会の話題にもなっていた。
夜会に顔を出すことはほとんどないが、たまに現れれば令嬢たちが一目で恋に落ちるという。
そして、何人もの令嬢が求婚したが、追い返したり、泣かせたりしたと──
ただの令嬢の妄想かと思っていたがどうやら本当だったらしい。
「実在したのね……てっきり彼女達の妄想かと思ったわ……」
ベアトリーチェがポツリと呟くと、思いのほか自分の声が響き渡った。
(しまった……声にでてたわ……)
口に出ていたことに気づき、ベアトリーチェは目を細めると口元を手のひらで隠した。
「ほほほほほ……なんでもございませんわ。」
その瞬間、部屋の空気がピタリと止まる。
そして――
「「「クッ……ククッ……フハハハハ!!」」」
どっと笑いが湧き起こった。




