魔王軍にないもの
研究室をもらってから。
ルークは、ほとんど部屋から出なくなった。
正確には。
出る必要がなくなった。
「これ、全部モンスター関係の資料ですか?」
「そうよ」
リゼットが持ってきた木箱を開ける。
中には、分厚い冊子や古びた記録帳がぎっしり詰まっていた。
「トレント、ワイルドボア、キラービー……マンティコアまである」
ルークは目を輝かせ、一冊ずつ机へ並べていく。
「そんなに珍しい?」
「人間側じゃ見られない資料ばかりですよ」
「研究院にもないの?」
「種類によります。弱点とか素材についてなら、もっと詳しいものもありますけど」
ルークは一冊を開いた。
ページをめくる。
『ワイバーンの翼膜は火属性魔術に比較的強い』
『首の付け根への刺突が有効』
『牙は魔力伝導性に優れ、魔導具の素材として利用可能』
さらに別の本。
『バジリスクの毒腺は解毒薬の原料となる』
『石化能力を使用した直後は魔力が低下する』
『眼球は高値で取引される』
「……やっぱり」
「何?」
「人間側と似てます」
「どこが?」
「知りたいことが」
ルークは本をリゼットへ向けた。
「どう倒すか。何が取れるか。どう使うか」
「重要でしょう?」
「重要ですよ」
ルークは素直に頷いた。
「モンスターは普通の動物と違って、体内に魔力を持っています。危険な種類も多いですし」
だからこそ。
人間も魔族も、モンスターについては昔から研究してきた。
どう倒すか。
どこが弱いか。
何の素材になるか。
どう利用できるか。
そういう知識なら、どちらの側にも十分にある。
「でも」
「例えばこういうのは少ないですね」
「普段、何をしてるか」
「……何をしてるか?」
「何時ごろ活動するのか。何を好んで食べるのか。群れの中でどう動くのか。親が子供をどう育てるのか。季節で行動がどう変わるのか」
リゼットが少し首を傾げる。
「それ、必要?」
「やっぱりそうなりますよね」
「何?」
「研究院でも同じこと言われました」
ルークは苦笑した。
「倒す方法なら役に立つ。素材の使い道も役に立つ。でも、どう暮らしてるかを調べて何になるって」
「……あんた、それをずっと調べてたの?」
「はい」
即答だった。
「面白いので」
リゼットは呆れたように息を吐く。
ルークは構わず、次の資料を開いた。
「ただ、魔族側は人間より飼育記録が多いですね」
「軍用に使ってる種類も多いから」
「これはすごいです」
スカイリザードの飼育記録。
餌の量。
訓練時間。
繁殖期。
騎乗時の注意。
そうした実用的な情報は残っている。
「ちゃんと詳しいじゃない」
「詳しいですよ」
「じゃあ何が足りないの?」
「理由です」
「理由?」
「例えばここ」
ルークが指を差す。
『繁殖期の雄同士は離して飼育すること』
「これ自体は正しいです」
「でしょう?」
「でも、どの距離なら反応しなくなるか。姿が見えなくても匂いだけで反応するのか。年齢によって差があるのか。そこまでは書かれてない」
「……そこまで調べるの?」
「調べたいです」
「即答ね」
「はい」
ルークは嬉しそうだった。
「経験として知ってることは多いんです。でも、生態として整理されてない」
「それが違う?」
「かなり」
ルークは昨日のスカイリザードを思い出す。
「『この鞍なら飛ぶ』だけなら、その鞍が使えなくなった時に困ります。でも、『スカイリザードは装具の小さな変化を強く嫌う』と分かっていれば、別の鞍でも気をつけられる」
「なるほど」
「理由が分かると、応用できるんです」
リゼットは、しばらくルークを見ていた。
本人は気づかず。
「これ、全部読んでいいんですよね?」
「……好きにしなさい」
「ありがとうございます」
すでに次の一冊へ手を伸ばしていた。
◇
その日の夜。
魔王城。
広い応接室には、二人の魔族がいた。
一人はリゼット。
もう一人は、窓際に立つ女性。
長い黒髪。
リゼットより少し長い角。
魔王の長女――イザベラだった。
本来なら、三女のミレーユも呼ばれていた。
けれど。
「ミレーユは?」
「来ない」
「そう」
イザベラは小さく息を吐いた。
それから、すぐに表情を戻す。
「それより」
視線がリゼットへ向く。
「人間を軍施設に置いているそうね」
「ええ」
イザベラが腕を組む。
「わざわざ連れてくるほどの人材なの?」
「さあね、これから分かる」
「スカイリザードとバジリスクを見ただけでしょう」
「それで十分面白いわ」
「面白い?」
「私たちが見ていなかったところを見てる」
イザベラが眉をひそめる。
「モンスターのことなら、こっちにだって専門家はいるわ」
「いるわ」
リゼットは否定しない。
「飼育官も、調教師も、討伐の専門家もいる。人間側にも同じような連中はいるでしょうね」
「なら、必要ないじゃない」
「でも」
リゼットは続ける。
「誰も、あいつみたいな見方はしてない」
「見方?」
「どう倒すかじゃない。どう使うかでもない」
昨日のブラックホーン。
今日のスカイリザード。
バジリスク。
ルークはどれにも。
まず。
なぜそうしているのか。
そこから考えた。
「モンスターを、ただの兵器や素材として見てない」
「だから何?」
「だから、今まで見落としていたことが見える」
イザベラは鼻で笑う。
「そんなもので戦争が変わるとでも?」
「少なくとも」
リゼットの表情が少しだけ硬くなる。
「力だけで何年戦っても、戦争は終わってない」
「またその話?」
「事実でしょう」
「力が足りないからよ」
イザベラは即答した。
「なら、さらに強い軍を作ればいい」
「それをずっと繰り返すの?」
「勝つまでよ」
「私は別の方法を探す」
短い沈黙が落ちる。
イザベラがリゼットを見る。
「その人間が、その答えになると?」
「そこまでは分からない」
リゼットは正直に答えた。
「でも」
少しだけ口元を緩める。
「今の魔王軍にないものを持ってるのは確かよ」
イザベラはしばらく黙っていた。
やがて。
「好きにすれば」
そう言って、イザベラは窓の外へ視線を戻した。
その頃。
当のルークは。
「……足りない」
研究室の中央で、腕を組んでいた。
もらった資料。
借りてきた記録。
書き始めた自分のメモ。
それらを並べた結果、最初からあった棚は、すでに埋まりかけている。
「もう一ついるな」
壁を見る。
「いや、二つか……」
そこへ、リゼットが戻ってきた。
「まだ起きてたの?」
「あ、リゼットさん」
「何してるの?」
「棚を増やそうかと」
「昨日も増やしたでしょう」
「もう足りなくなりました」
「……」
「ここなら二つ置けます」
「好きにしなさい」
「本当ですか?」
ぱっと顔が明るくなる。
「ありがとうございます」
リゼットは、少し呆れたようにルークを見る。
この男は。
自分が誰なのかすら知らない。
少し前まで、国の未来について話していたことも。
もちろん知らない。
「何です?」
「別に」
リゼットは小さく笑った。
魔王の次女が、この国の未来を変えるかもしれないと考え始めている横で。
当の本人は。
研究室の棚を増やすことに夢中になっていた。
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