魔族領での初仕事
翌朝。
ルークは、見慣れない天井を眺めながら目を覚ました。
「……そうか」
昨日。
研究院を追い出され。
森でブラックホーンを見つけ。
魔族に連れられて。
そのまま魔族領まで来たのだった。
改めて考えると、とんでもない一日である。
身体を起こす。
部屋は思っていたより普通だった。
簡素なベッド。
机と椅子。
小さな棚。
窓の外には、黒い石造りの建物がいくつも並んでいる。
遠くを、翼のある何かが横切った。
「……スカイリザード?」
思わず窓へ近づく。
もう一度見ようと身を乗り出したところで。
「おい」
背後から声がした。
「うわっ」
振り向く。
扉の前に、魔族兵が立っていた。
昨日、リゼットと一緒にいた兵士とは別人だ。
頭から短い角。
腰には剣。
そして。
ものすごく警戒した目で、こちらを見ている。
「何をしている」
「え?」
「リゼット様から指示があるまで待て」
「あ、はい」
扉が閉まる。
ルークは少しだけ黙った。
「……やっぱり警戒されてるよな」
当然と言えば当然だった。
人間と魔族は戦争中だ。
その敵国の人間が突然本拠地らしき場所に現れたのだから。
むしろ部屋を与えられているだけ、相当に扱いはいい。
そう考えて。
ルークはもう一度窓の外を見た。
「でも、あのスカイリザード……」
さっきの個体。
飛び方が少しおかしかった気がする。
「起きてる?」
しばらくして。
ノックもなく扉が開いた。
リゼットだった。
「起きてます」
「なら来て」
「どこへ?」
「仕事」
ルークは立ち上がった。
◇
連れてこられたのは、大きな飼育場だった。
柵の向こう。
三頭のスカイリザードがいる。
灰色がかった鱗。
大きな翼。
鋭い爪。
人間側でも軍用として使われることのある種類だ。
「おお……」
ルークの目が輝く。
「近くで見るの初めてだ」
「怖くないの?」
「別に」
周囲には数人の魔族兵と、飼育担当らしい男たちがいた。
その全員が。
ルークを見ている。
かなり露骨に。
「本当に人間に見せるんですか?」
一人の兵士が言う。
「ええ」
「ですが――」
「昨日の件が偶然じゃないか、確かめたいの」
リゼットがルークを見る。
「というわけ」
「なるほど」
ルークは柵の中へ視線を戻した。
「で、何がおかしいんです?」
飼育担当の魔族が答える。
「飛べる。走れる。餌も食う。怪我もない」
「はい」
「だが最近、飛行訓練の途中ですぐ降りようとする」
「途中で?」
「ああ。以前は問題なかった」
「三頭とも?」
「三頭ともだ」
ルークは少し考えた。
「訓練内容は変えました?」
「変えていない」
「餌は?」
「同じだ」
「飼育場所は?」
「同じ」
なるほど。
ルークは柵の中へ近づく。
スカイリザードの一頭がこちらを見た。
低く喉を鳴らす。
ルークは気にせず観察を続ける。
翼。
脚。
呼吸。
鱗。
歩き方。
そして。
「あ」
「何?」
「鞍、最近替えました?」
飼育担当が眉をひそめた。
「……よく分かったな」
「やっぱり」
「先月、新型に替えた。軽くて丈夫だ」
ルークは鞍を見る。
黒い金属製の留め具。
以前使われていたものより、表面が滑らかで光を吸いやすそうだった。
「少し飛ばしてもらえます?」
「今は訓練前だぞ」
飼育担当がリゼットを見る。
リゼットは頷いた。
「やって」
数分後。
一頭のスカイリザードが空へ上がった。
最初は問題なく飛ぶ。
けれど。
しばらくすると高度を落とし始める。
飼育兵が指示を出す。
スカイリザードは一度上昇する。
また降りる。
「……確かに」
ルークはじっと見ていた。
「飛べないんじゃないですね」
「何?」
「降りたがってる」
スカイリザードが地面へ戻る。
ルークは許可を取って近づき。
鞍の金具へ指先を触れた。
「あつい……」
すぐに手を離す。
周囲の魔族たちが顔を見合わせた。
「かなり熱くなってます」
「魔族って、人間より熱や痛みに強いんですか?」
「まあ」
「だから気づかなかったんですね」
ルークはもう一度、スカイリザードの背を見る。
「この金具、前のより熱を持ちやすい素材じゃないですか?」
「新しい合金だ。軽量化のために変えた」
「たぶん、それです」
「これが?」
ルークはスカイリザードの背へ目を向ける。
「スカイリザードの皮膚も厚いので、この程度の熱で傷ついたり火傷したりはしません」
「なら、問題ないだろう」
「ですが、意外とこういう変化に敏感なんです」
「変化?」
「鞍の締め具合とか、触れている場所とか。いつもと少し違うだけでも気にします」
ルークは金具を指さした。
「なるほど」
飼育担当がスカイリザードを見る。
「つまり、飛べないわけじゃないのか」
「はい」
ルークは頷く。
「飛びたくなくなってるだけです」
少し間を置いて。
「鞍を前のものに戻せば、多分元に戻ります」
飼育担当はしばらくスカイリザードを見つめたあと。
「……試してみる」
そう言って、指示を出した。
魔族たちがルークを見る目が、少しだけ変わっていた。
最初のような露骨な敵意ではない。
警戒はしている。
けれど。
それだけではなくなっている。
リゼットが隣へ来る。
「合格ね」
「ついてきて」
「また何かあるんですか?」
「黙って来なさい」
連れてこられたのは、昨日泊まった部屋とは別の場所だった。
扉を開ける。
中には。
大きな机。
棚。
採光用の窓。
そして。
まだ何も置かれていない広い空間。
「ここ」
「……ここ?」
「好きに使っていいわ」
「何に?」
「研究」
ルークは黙った。
「……本当に?」
「本当に」
「資料とか置いても?」
「いいわよ」
「飼育は?」
「内容による」
「棚、増やしても?」
「好きにしなさい」
ルークの顔が、今までで一番明るくなった。
「ありがとうございます!」
「……そんなに嬉しいの?」
「研究室なんて、前のところでもこんな広くなかったですから」
「そう」
リゼットは少しだけ目を細めた。
その時。
廊下から魔族兵が駆けてくる。
「リゼット様」
「何?」
「報告書をお持ちしました」
「そこに置いて」
「はっ」
兵士は深く頭を下げて去っていった。
ルークは、その背中を見送る。
昨日から何度か気になっていた。
兵士たちは皆、リゼットに対して妙に丁寧だ。
名前を呼ぶ時も、必ず「様」がつく。
命令にも、ほとんど迷わず従っている。
もしかして。
この人、思っているよりずっと偉い人なんじゃないだろうか。
ルークはちらりとリゼットを見る。
「何?」
「いえ、何でもないです」
「そう」
今のところ。
聞かない方がよさそうだった。
それより。
目の前には研究室がある。
「じゃあ、とりあえず棚の位置を――」
「もう始めるの?」
「はい」
「……好きにしなさい」
こうして。
人間の研究院を追い出された翌日。
ルークは魔族領で、自分の研究室を手に入れた。
――その頃。
そんなこととは知らないアイリスとフェリシアは。
王都を出て、ルークの足取りを追い始めていた。
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