ルークを探して
ルークが魔族領へ辿り着いた頃。
王立研究院の院長室には、重い空気が流れていた。
「つまり」
院長が机の上で指を組む。
「グリフォンが暴れていた原因は、床材に使われていた赤樫だったと?」
「はい」
飼育担当の研究員が答えた。
「床を外して換気したところ、三頭ともすぐに落ち着きました」
「鎮静薬ではなく?」
「効果はありませんでした」
「拘束も?」
「むしろ悪化しました」
その言葉に、部屋の端に立っていたレオンハルトの眉がわずかに動いた。
院長は気づかなかったふりをして、さらに尋ねる。
「そして、その対処法を知っていたのがアイリス君だった」
「正確には違います」
アイリスが口を開く。
「私は、昔聞いたことを思い出しただけです」
「誰から?」
「ルークです」
院長の指が止まった。
「……ルーク?」
「学院にいた頃、彼がグリフォンに話しかけているのを聞いたことがありました。赤樫の匂いを嫌う、と」
少しだけ沈黙が落ちる。
院長は椅子へ深く座り直した。
「なるほど」
それだけだった。
アイリスは、院長を見た。
「それで」
「何だね?」
「ルークの処分は、どうするんですか?」
院長の目が細くなる。
「どうする、とは?」
「今回、彼の知識がなければグリフォンはどうなっていたか分かりませんでした」
「だから?」
アイリスは少しだけ言葉に詰まる。
院長は淡々と続けた。
「一件、役に立った。それは認めよう」
「だったら――」
「だが」
言葉を遮られる。
「それだけで、研究院としての判断そのものが間違いだったことにはならない」
アイリスは黙った。
「研究というものは、限られた予算の中で行われる。戦争中ならなおさらだ」
「でも、ルークの研究は――」
「今回役に立った」
「……」
「それ以上でも、それ以下でもない」
院長は机の上に置かれた書類へ目を落とす。
「現時点で、解雇処分を撤回するつもりはない」
やはり。
アイリスはそう思った。
昨日の時点で、なんとなく分かっていた。
一度切り捨てた相手を、たった一度の出来事で呼び戻す。
そんな判断を、この人はしない。
「ほら見ろ」
レオンハルトが鼻で笑った。
アイリスはそれ以上言わなかった。
院長室を出たあと。
アイリスは、一人で廊下を歩いていた。
院長は、すぐに判断を変えるつもりはない。
なら、待っていてもルークは戻らない。
昨日のグリフォンを思い出す。
誰にも分からなかった原因を、ルークはずっと前から知っていた。
戦争が何年も停滞している今。
あの知識は、きっと役に立つ。
それに。
学院にいた頃から、ルークのことは何となく気になっていた。
もう一度、会って話したい。
アイリスは足を止めた。
「……探そう」
今度は、自分から会いに行く。
◇
「ルークを探す?」
その日の夜。
勇者軍の詰所。
アイリスの前に立っていた女性騎士が、怪訝そうに眉をひそめた。
明るい金髪を後ろで束ねた、長身の女性。
腰には長剣。
軽装鎧には、前線でついた細かな傷がいくつも残っている。
フェリシア。
勇者軍でも実戦経験の多い騎士の一人だった。
「そう」
「研究員でしょ?」
「元研究員」
「それを、わざわざ王都の外まで探しに行くの?」
「うん」
フェリシアは腕を組んだ。
「なんで?」
「必要だと思うから」
「勇者軍に?」
「もっと大きく言えば、人間側に」
「……随分買ってるね」
アイリスは、グリフォンの件を簡単に説明した。
暴れて餌も食べなくなった三頭。
鎮静薬も拘束も効果がなかったこと。
原因が、張り替えた床に使われていた赤樫だったこと。
そして。
それに気づけたのは、昔ルークが話していたことを思い出したからだということ。
話を聞き終えたフェリシアは、少し考え込んだ。
「なるほどね」
「分かってくれた?」
「必要かもしれないって話はね」
「じゃあ――」
「でも」
フェリシアがアイリスを見る。
「本当に、それだけ?」
「……何が?」
「わざわざ自分で探しに行く理由」
アイリスは少し考えた。
「昔から仲が良かったの?」
「別に。学院でも、そんなに話したことはないよ」
アイリスは少しだけ視線を落とした。
「でも、頑張ってたことは知ってる」
いつも本を読んでいた。
誰も気にしないようなことを、一人で調べていた。
魔物の前では、普段よりずっと楽しそうに話していた。
「ずっと研究してたのに、役に立たないって一言で終わるのは……なんか嫌で」
「……」
「頑張ってる人には、ちゃんと報われてほしいでしょ?」
フェリシアは少し黙ったあと。
「はぁ……それで、一人で探しに行くつもり?」
「そのつもりだったけど」
「駄目」
即答だった。
「え?」
「王都近郊だからって、安全とは限らない」
「でも、この辺りなら強いモンスターはほとんど――」
「ほとんど、でしょ」
フェリシアは壁に立てかけていた剣を取った。
「一人で行かれる方が心配」
「フェリシアも来てくれるの?」
「三日だけ」
「三日?」
「私たちは前線から一時的に戻ってきてるだけ。四日後には、また部隊に合流しないといけない」
「あ……」
「だから、付き合えるのは三日」
フェリシアは剣を腰へ差す。
「その間に見つからなかったら、その時は別の方法を考えて」
「十分だよ。ありがとう」
「それと」
「?」
「せっかく外に出るなら、王都近郊のモンスターも少し狩っておきたい」
アイリスが瞬きをする。
「ルークを探しながら?」
「街道沿いに危険な個体がいたら、放っておく理由もない」
フェリシアにとっては当然のことらしい。
「一頭でも減らしておけば、その分だけ旅人や商人が安全になる」
「相変わらず真面目ね」
「あんたが無計画なだけ」
フェリシアは呆れたように息を吐く。
「とにかく。三日間だけ付き合う」
「うん」
「ただし、危険だと思ったら私の言うことを聞くこと」
「ええ」
アイリスは小さく笑った。
「じゃあ、お願い。フェリシア」
「仕方ないね」
そう言いながら。
フェリシアはすでに、出発するための装備を確認し始めていた。
――その頃。
アイリスたちが自分を探しに来るとは露ほども知らないルークは。
魔族領で、早くも新しい仕事を任されようとしていた。
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