役立たず研究者、魔王軍に拾われる
目を開けた瞬間。
ルークは、自分がとんでもない場所に来てしまったことを悟った。
「……え?」
目の前にあるのは、巨大な石造りの建物。
その周囲を囲む高い城壁。
遠くには、黒い尖塔が何本も空へ伸びている。
頭上をワイバーンが横切り。
道には、角や翼を持つ魔族たちが普通に行き交っていた。
ついさっきまで。
自分は王都近郊の森にいたはずだ。
「……どこですか、ここ」
「魔族領よ」
「……」
「正確には魔王軍本部の外郭区画」
「魔族領?」
「そう」
「今、一瞬でしたよね?」
「転移魔術だから」
「転移……」
ルークはゆっくりリゼットを見る。
転移魔術。
それは誰にでも使えるような魔術ではない。
膨大な魔力。
高度な空間認識。
そして正確な座標指定。
少なくとも王都では、使える人間など数えられるほどしかいない。
しかも。
王都近郊から魔族領まで。
一瞬で。
「……あの」
「何?」
「リゼットさんって」
「リゼットでいいわ」
「もしかして、ものすごく強い人ですか?」
「は?」
「いや……」
ルークの顔が引きつる。
ブラックホーンを観察していた時よりも、今の方がよほど怖くなってきた。
そして同時に。
別の疑問が浮かぶ。
「なんでそんな人が王都の近くにいたんですか?」
リゼットの足が一瞬だけ止まった。
「それ以上は聞かない方がいいわ」
「はい」
即座に引いた。
明らかに聞いてはいけない類の仕事だった。
「行くわよ」
「あ、はい」
リゼットの後を追う。
城壁を抜け、大きな施設へ入る。
その瞬間。
ルークの恐怖が少しだけ吹き飛んだ。
「……すごい」
広大な飼育場。
王国では見たこともないモンスターたち。
二つの頭を持つ狼。
青白い羽根の巨大な鳥。
透明な身体の大型スライム。
何種類ものワイバーン。
そして壁一面に並ぶ飼育器具。
ルークの視線が忙しく動く。
「これ全部、魔王軍で飼育してるんですか?」
「そうだけど」
「ワイバーンだけで三種類……いや、四種類?」
「五種類よ」
「五種類!?」
リゼットはため息をつき、そのまま施設の奥へ進んだ。
「こっち」
「まだ何かいるんですか?」
「あなたに見せたいのはこっちよ」
案内されたのは、他より少し離れた飼育区画だった。
厚い石壁。
頑丈な鉄格子。
その奥。
黒い鱗を持った、小さなモンスターが丸まっている。
ルークの足が止まった。
「……バジリスク?」
「ええ。幼体よ」
ルークは格子の前まで行き、しばらく中を覗き込んだ。
「三日前からほとんど餌を食べないの」
リゼットが言う。
「診せたけど、病気は見つからなかった」
「これ、病気じゃないですよ」
「……分かるの?」
「はい」
ルークは檻の天井を指差した。
「灯りが明るすぎます。幼体のバジリスクは暗い場所を好むので、ずっとこの環境だと落ち着けません」
「それだけ?」
「あと、隠れる場所がないですね」
檻の中は見通しがよく、身を隠せる場所が一つもない。
「灯りを半分以下にして、身体が全部入る岩陰か箱を置いてあげてください。多分、それだけで餌も食べるようになりますよ」
「……」
リゼットはしばらくルークを見つめていた。
「何ですか?」
「あなた」
「はい」
「しばらくここで働きなさい。私ならあなたをうまく使えるわ」
「…………」
ルークは黙った。
「返事は?」
「働きます」
「断る理由も特にないので」
ルークはもう一度、檻の中のバジリスクを見る。
その向こうには、何種類ものワイバーン。
見たことのない魔獣。
王国では手に入らないであろう資料や飼育設備。
ルークの視線が、再びバジリスクへ向かう。
「ここなら、こういうモンスターを研究してもいいんですよね?」
「好きにすればいいわ」
リゼットは小さく笑った。
そこへ二人の魔族兵が近づいてくる。
「リゼット様。その人間は……捕虜ですか?」
「違うわ」
「では?」
リゼットはルークを指した。
「今日からここで働く」
「……はい?」
「部屋を用意して」
兵士たちが固まった。
「リゼット様、本気ですか?」
「二度言わせる?」
「い、いえ!」
兵士たちは慌てて姿勢を正した。
ルークはその様子を見ながら、改めて思う。
研究院を追い出されてから、まだ一日も経っていない。
それなのに。
もう次の仕事と寝床が決まってしまった。
しかも。
目の前には、今まで図鑑でしか見たことのなかったモンスターがいる。
悪くない。
むしろ――かなりいい。
こうして。
人間の研究院を「役に立たない」と追い出されたルークは。
その日のうちに、魔王軍へ雇われることになった。
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