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役に立たない研究

 ルークが研究院を出てから、少し経った頃。


 王立研究院の飼育棟では、軍への引き渡しを控えた三頭のグリフォンが突然暴れ始めていた。


 鉄柵が激しく揺れ、翼が壁へ叩きつけられる。

 餌にも一切口をつけない。


「押さえろ!」

「無理です! さらに暴れています!」

「今朝までは問題なかったんだぞ!」


 飼育責任者の男が叫ぶ。


「鎮静薬は?」

「もう使いました! ですが効きません!」

「三日後には勇者軍へ引き渡す予定なんだ! この状態では――」


「どけ」


 低い声が飛んだ。

 レオンハルトだった。


 勇者軍の兵士たちを従え、檻の前へ出る。


「俺が押さえる」

「レオンハルト様?」

「暴れるなら、動けなくすればいいだけだ」


 右手を掲げる。

 魔力で編まれた拘束帯が、一頭のグリフォンへ巻きついた。


 胴。

 脚。

 翼。


 次々と締め上げていく。


「ギャアアッ!」


 グリフォンが甲高い声を上げた。

 さらに激しく暴れる。


「もっと締めろ!」

「ですが、このままでは翼を痛めます!」

「構わん! まず動きを止めろ!」


 拘束を強める。

 翼が檻へぶつかった。

 大きな羽根が何枚も舞う。


 少し離れた場所で見ていたアイリスは、眉を寄せた。


 何かがおかしい。


 病気。

 怪我。

 恐怖。


 治癒術師として動物を診る機会は多い。

 けれど、どれとも少し違う。


 一頭が床を何度も引っ掻いている。

 別の一頭は、しきりに首を振っていた。


 翼を広げる。

 閉じる。

 また広げる。


 そして、餌にはまったく触れない。


「……」


 どこかで。

 似た話を聞いた気がする。


 ずっと前。

 学院にいた頃。


 中庭の木陰。

 飼育実習で使われていた若いグリフォンのそばに、ルークがしゃがみ込んでいた。


 誰かと話していたわけではない。

 ただ、目の前のグリフォンへ向かって、いつものように独り言のように話しかけていた。


『お前たち、ほんとに匂いに敏感だよな』


 アイリスは少し離れた場所を通りながら、その声を聞いた。


『赤樫なんて近くに置かれたら嫌だよな。樹液の匂い、かなり強いし』


 グリフォンが小さく首を振る。

 ルークはそれを見て、楽しそうに続けていた。


『落ち着かなくなるし、餌も食べたくなくなる。分かるよ』


 その時のアイリスは。

 またモンスターに話しかけてる。


 そう思って、少しだけ笑った。


 どうしてそんなことまで知っているんだろう。

 そんな疑問も浮かんだ。


 けれど。

 声をかけることはなく、そのまま通り過ぎた。


 今になって。

 あの時の言葉だけが、妙にはっきりと蘇った。


「……赤樫」


 アイリスが呟く。


「アイリス?」


 近くの兵士が振り返る。


 アイリスは床を見る。

 新しい。

 まだ木の色も鮮やかだった。


「この床、最近張り替えました?」


 飼育担当の男へ尋ねる。


「え? あ、ああ。昨日だ」

「何の木を使ったんですか?」

「確か……赤樫だったはずだが」


 その言葉で確信した。


「床材を外してください」

「……何?」

「全部です」

「全部!?」

「早く!」


 珍しく強い声を出したアイリスに、周囲の兵士たちが目を丸くする。

 レオンハルトが振り向いた。


「アイリス」

「何?」

「余計なことをするな」

「余計かどうかは、やってみれば分かるわ」

「俺が抑えている」

「悪化してるじゃない」

「何だと?」


 レオンハルトの顔が険しくなる。


「仕方ない……やれ!」


 職員たちが動き出す。

 赤樫の床板を剥がす。


 一枚。

 二枚。

 三枚。


 窓も開け、風を通す。


 しばらくして。

 一頭のグリフォンが、ぴたりと動きを止めた。


「……え?」


 別の一頭が水へ嘴を伸ばす。

 拘束を解かれた最後の一頭も、徐々に翼を畳んだ。


 さらに少しすると。

 餌皿へ顔を近づける。


 食べた。


「落ち着いた……」


 兵士の一人が呆然と呟く。


「本当に?」

「さっきまであれだけ暴れてたのに……」


 空気が一変した。


「アイリス様、すごい!」

「原因を一発で見抜いたぞ!」

「さすが治癒術師だ!」


 勇者軍の兵士たちが口々に言う。


 アイリスは少し戸惑った。


「違う」


「え?」


「私が見つけたわけじゃない」


 周囲が静かになる。


 アイリスは、落ち着きを取り戻したグリフォンを見る。


「昔、聞いたことがあるの」

「誰からです?」

「ルーク」

「……ルーク?」

「さっき研究院を辞めさせられた人」


 何人かが顔を見合わせた。


「あの若い研究員か?」

「はい」

「でも、あいつって……」

「役に立たない研究ばかりしてるって聞いたぞ」


 アイリスは静かに首を振った。


「学院にいた頃、ルークがグリフォンに話しかけているのを聞いたことがあるの。赤樫の匂いを嫌うって」

「そんなことまで知ってたのか……」

「俺たちは誰も知らなかったぞ」

「じゃあ、今のも」

「ルークの知識ってことか?」


 兵士たちの間に、ざわめきが広がる。


 飼育担当の研究員も、落ち着きを取り戻したグリフォンとアイリスを交互に見た。


「……院長に報告しないと」

「そうですね」

「今回の件と、ルークの研究についても全部」


 数人の職員が動き始める。


 その時だった。


「大げさなんだよ」


 レオンハルトが吐き捨てた。


 足を止めた職員たちが振り返る。


「……何がです?」

「こんなことで、わざわざ院長に報告する必要があるのかと言っている」


 レオンハルトは苛立ちを隠そうともしていなかった。


「ですが、実際に助かりました」

「だから何だ?」


 レオンハルトの声が強くなる。

 空気が変わった。


 別の兵士も口を開く。


「報告くらいした方がいいでしょう」

「そうだな」

「判断は院長がすればいい」


「待て!」


 レオンハルトの声を無視して、職員たちは飼育棟を出ていった。

 兵士たちもそれに続く。


 誰も振り返らない。


「おい!」


 レオンハルトだけが、その場に取り残される。


 アイリスは黙ってその様子を見ていた。

 けれど、頭にあったのは別のことだった。


 院長は、おそらく判断を撤回しない。

 一度役に立たないと切り捨てた人間を、たった一度の出来事で呼び戻すような人ではない。


 それに。

 仮に呼び戻したとしても。


 また以前と同じ場所に置くだけなら、何も変わらない。


 アイリスは、静かになったグリフォンを見る。


 戦争は長く続いていた。

 勇者軍は何度も魔王軍とぶつかっている。


 勝つこともある。

 負けることもある。


 けれど。

 戦況そのものは、ほとんど動いていない。


 皆が。

 どう倒すか。

 どう殺すか。

 どう押し返すか。


 そればかり考えている。


 でも。

 ルークは違った。


 モンスターがなぜそう動くのか。

 何を嫌うのか。

 何を求めているのか。


 そこを見ていた。


 今日だって。

 誰も分からなかった原因を、昔のルークの一言が解決した。


 ――もし。


 あの知識を。

 もっと大きなところで使えたら。


 停滞しているこの戦争を。

 何か変えられるのではないか。


 アイリスは、そう思った。


 まずは、院長の判断を待とう。

 今回の件を知れば、考えを変えるかもしれない。


 それでも駄目なら。


 その時は――。


 自分でルークを探しに行けばいい。


 アイリスは、そう決めた。


 ――その頃。

 当のルークは。


 アイリスが想像もしない場所へ、すでに足を踏み入れようとしていた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

楽しんでいただけましたら、★★★★★で評価していただけると、今後の執筆の大きな励みになります。

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