眠る竜
魔族領の研究室。
ルークは今日も、机の上に広げた古い本と向き合っていた。
「……やっぱり、ここにもあるな」
ページに並ぶ、見慣れない文字。
その一つを指でなぞり、別の紙へ書き写す。
同じ形の文字が、何度も出てくる。
特に多いのは、巨大なドラゴンの挿絵が描かれたページだった。
「……これが名前なのかな」
解読を始めてから、すでに何日も経っていた。
文字の形を分類し。
繰り返し現れる組み合わせを抜き出す。
似たような文字がないか、ほかの古い資料も調べてみた。
けれど。
まだ文章を読めるほどではない。
「ルーク殿」
声をかけられ、顔を上げる。
助手が、何冊かの資料を抱えて立っていた。
「頼まれていた古い文献を持ってきました」
「あ、ありがとうございます」
ルークは資料を受け取る。
「何か分かりましたか?」
「少しだけですね」
ルークは机の上に並べた紙を見る。
「同じ文字が何度も出てくるので、何か規則はあると思うんです」
「なるほど」
「古い文字に近いものがないか、もう少し探してみます」
「では、倉庫の方にも確認してみます」
「お願いします」
助手は一礼して、部屋を出ていった。
ルークは再び本へ目を落とす。
リゼットからは、この本について口外しないよう頼まれている。
そのため。
助手には古代文字について調べているとしか伝えていなかった。
「さて……」
新しく届いた資料を開く。
魔族領で昔使われていた文字を集めたものらしい。
何気なくページをめくっていると。
「……あれ?」
手が止まった。
見覚えのある文字。
古書を引き寄せる。
「これ……同じだ」
形は少し違う。
けれど、基本的な構造は似ている。
資料に書かれた意味は。
「……守る」
ルークは古書へ目を戻した。
その文字は、ドラゴンの挿絵の周囲に何度も使われている。
「守護……?」
紙へ書き留める。
一つ分かれば。
そこからほかの文字との関係も見えてくる。
◇
さらに数日後。
机の上には、何十枚もの紙が並んでいた。
「……これが、竜」
ルークはドラゴンの挿絵を指差す。
何度も現れる二文字。
別の古い資料に残されていた竜種の呼称とも、一部が共通している。
恐らく。
竜を意味する言葉。
「それで……こっちが眠り」
別のページ。
そこには、横たわるドラゴンが描かれている。
同じ文字が。
目を閉じた別の生き物の絵にも使われていた。
竜。
眠り。
守護。
「……この本」
ルークは挿絵を見つめる。
「このドラゴンについて書かれてるんだ」
単なる絵本ではない。
何か。
実在した生き物について記録したものに近い。
「……本当にいたのかな」
ルークが呟いた、その時。
研究室の扉が開いた。
「ルーク」
「あ、リゼットさん」
「少し時間ある?」
「はい。ちょうど文字も少し分かってきたところです」
「そうなの?」
ルークは解読した単語を見せる。
「竜、眠り、それから守護。この三つはかなり可能性が高いと思います」
「……守護」
リゼットの表情が変わる。
「ちょうどいいわ」
「何がです?」
「見せたいものがあるの」
リゼットが扉へ向かって声をかける。
「入りなさい」
一人の魔族兵が入ってきた。
手には、何枚もの紙を抱えている。
「リゼット様。調査したものをまとめて参りました」
「ありがとう。そこへ」
机の上に紙が広げられる。
「……これは?」
「亜人領で見つかったものよ」
「亜人領?」
「前に言ったでしょう。アースドラゴンが移動してきた方向を調べさせてるって」
「ああ……」
兵士が一枚の紙を指差した。
「亜人領では、古くから一つの遺跡が信仰されています。その周囲にある石碑を写してきました」
ルークは紙を見る。
見慣れない文字。
だが。
「……これ」
手が止まる。
古書を開く。
そして。
石碑の写しと並べた。
「同じだ」
「何が?」
リゼットが覗き込む。
「この文字。さっき言った『守護』です」
さらに別の場所を指差す。
「こっちは『竜』」
兵士が驚く。
「読めるのですか?」
「全部じゃありません。でも、一部なら」
ルークは次の紙へ手を伸ばす。
そこには。
大きな翼を広げた生き物の姿が描かれていた。
「……え?」
ルークは古書の挿絵と見比べる。
巨大な翼。
長い尾。
特徴的な角。
「同じドラゴンだ」
「やっぱり?」
リゼットが呟く。
「細かい部分は違います。でも、同じ種類を描いてると思います」
兵士が口を開く。
「現地の亜人たちは、その存在を守護神と呼んでいるそうです」
「守護神……」
「遥か昔、彼らの祖先を守った存在だと」
ルークは古書へ目を落とす。
竜。
守護。
そして、亜人たちの伝承。
「……つながってる」
◇
兵士が退室した後。
ルークは石碑の写しを使って、さらに解読を進めた。
短い文章。
同じ文字。
挿絵。
これまで分からなかった部分が、一気につながっていく。
「……これ」
ルークの手が止まる。
「どうしたの?」
「この文字です」
以前から何度も出てきていた文字。
古い用例と照らし合わせる。
「……封じる」
「封じる?」
「多分」
ルークは本を開く。
そこには、横たわるドラゴン。
その周囲を囲むように、複雑な模様が描かれていた。
「最初は、眠ってるだけだと思ってました」
「違うの?」
「眠ってはいると思います。でも」
石碑の写しを並べる。
「この模様。こっちにもあります」
リゼットの目が細くなる。
「封印……」
「その可能性があります」
さらに。
古書と石碑の文章を比べていく。
「……場所まで分かりそう?」
「完全には。でも」
ルークは紙の上を指で追う。
「亜人たちの守護神だったドラゴンが、何らかの理由で眠りについた。その眠りに、封印が関係している」
「そして遺跡に祀られている」
「はい」
ルークは顔を上げる。
「もしかしたら、そのドラゴンは今も亜人領の遺跡にいるのかもしれません」
リゼットは何も答えなかった。
古書のドラゴンを見つめている。
「リゼットさん?」
「……やっと見つけた」
「え?」
「これよ」
「これ?」
「私が探してたもの」
ルークは目を瞬いた。
「前に言ってた……ドラゴン?」
「ええ」
「でも、まだ本当にこのドラゴンだとは」
「確証はないわ」
リゼットは頷く。
「でも、可能性は高い」
王都近郊で見つかった巨大な痕跡。
亜人領から離れるように移動していた大型モンスター。
そして。
亜人領で守護神として祀られていた、伝説のドラゴン。
「……探してたって」
ルークが尋ねる。
「どうして、そこまでこのドラゴンを?」
リゼットはしばらく黙っていた。
やがて。
「戦争を終わらせたいの」
「……え?」
「人間と魔族の戦争を」
「それと、このドラゴンがどう関係するんです?」
「このドラゴンを、どちらの側にもつけない」
「……?」
「人間にも。魔族にも」
リゼットは古書に描かれたドラゴンを見る。
「両方にとって、無視できない存在にするの」
ルークは眉をひそめた。
「どういう意味です?」
「今の人間と魔族は、互いしか見てない」
リゼットは静かに言う。
「相手を倒せば戦争が終わる。だから、もっと強い武器を。もっと強い兵を。ずっとそれを繰り返してる」
「……」
「でも」
リゼットは地図へ目を落とす。
「もし、その両方をまとめて相手にできるほど強い存在が現れたら?」
ルークは少し考える。
「……共通の敵?」
「そう」
リゼットは頷いた。
「人間だけじゃ勝てない。魔族だけでも勝てない。互いに争っている余裕なんてなくなるような存在」
「それを、このドラゴンに?」
「ええ」
「でも……」
ルークは古書を見る。
「ドラゴンを人間や魔族に襲わせるってことですか?」
「国を滅ぼさせるつもりはないわ」
リゼットは即座に答えた。
「必要なのは、圧倒的な力が存在すると分からせること」
「……」
「このまま戦争を続ければ、両方が危険になる。そう思わせればいい」
「それで、人間と魔族を同じ側に立たせる?」
「少なくとも、今までみたいに互いだけを敵だと思って戦い続けることはできなくなる」
ルークは黙る。
「私は、その状況を作りたい」
リゼットは続ける。
「人間と魔族に、戦争を続ける以外の選択肢を持たせるために」
「……だから、ドラゴンを探してたんですか」
「そうよ」
「魔王軍を強くするためじゃなくて」
「違う」
「……魔王の娘なのに?」
「魔王の娘だからこそ、見てきたものがあるのよ」
リゼットは少しだけ目を伏せた。
「勝てると言い続けて、何年経っても終わらない戦争をね」
◇
その日の夜。
ルークは一人、研究室に残っていた。
机の上には、古書。
亜人領の石碑の写し。
そして、戦況が記された地図。
「……共通の敵、か」
あまりにも話が大きい。
自分はただ。
魔物の研究がしたかった。
それだけだった。
戦争を終わらせる。
人間と魔族の関係を変える。
そんなことを考えたことなど、一度もない。
けれど。
ルークは、自分が研究院を追い出された日のことを思い出す。
魔物の生態を研究して何になる。
そんなものは戦争の役に立たない。
もっと実用的な研究をしろ。
結局。
研究そのものを続けることすらできなくなった。
「……」
魔族領へ来てから知った。
人間だけではない。
魔族側でも、魔物に関する知識は軍事利用を中心に積み上げられている。
どう倒すか。
どう使うか。
どう戦わせるか。
もちろん。
それが必要な場面もある。
だが。
それだけでは分からないことも多い。
そして今。
亜人領では。
人間と魔族の戦争に関係のなかった者たちまで、戦いに巻き込まれている。
そこで暮らす魔物たちも。
「……研究どころじゃないよな」
戦場になれば、生息環境も変わる。
森は焼かれる。
水場は使えなくなる。
住処を失えば、魔物たちは別の土地へ移動する。
リントドレイク。
アースドラゴン。
あれらも。
戦争そのものではないにしても。
亜人領で起きている何かによって、生息域を離れていた可能性がある。
ルークは古書を見る。
伝説のドラゴン。
もし、本当に存在するのなら。
もっと知りたい。
どんな生き物なのか。
何を食べるのか。
なぜ亜人たちを守ったのか。
どうして封印されたのか。
知りたいことは山ほどある。
だが。
人間か魔族のどちらかが先に手に入れれば。
きっと。
兵器として使おうとする。
「……それは嫌だな」
ルークは小さく呟いた。
ただ。
リゼットの考えにも、一つ引っかかることがある。
共通の敵。
その役目を。
まだ何も知らないドラゴンに押しつけることになる。
「……」
ルークはしばらく考えた。
◇
翌朝。
「リゼットさん」
ルークは、研究室を訪れたリゼットを呼び止めた。
「何?」
「昨日の話なんですけど」
「ドラゴンのこと?」
「はい」
ルークは少し間を置いて。
「僕も協力します」
リゼットの表情が変わる。
「……本当に?」
「はい」
「昨日は、かなり困った顔してたけど」
「それは今もです」
「そう」
「やろうとしてることが大きすぎますから」
ルークは苦笑する。
それから。
真剣な表情に戻った。
「でも、戦争が続く限り、同じことが繰り返されると思うんです」
「……」
「研究だってそうですし。モンスターたちだって、ずっと影響を受ける」
ルークは机の上の古書を見る。
「それに、このドラゴンのこともちゃんと調べたいです」
「やっぱりそこなのね」
「大事ですよ」
「分かってるわ」
リゼットが少し笑う。
「ただ、一つ条件があります」
「条件?」
「このドラゴンを、勝手に敵にしないこと」
リゼットは黙った。
「まだ、どんな生き物なのかも分からないんです」
ルークは続ける。
「本当に生きているなら、意思だってあるはずです」
「……そうね」
「人間と魔族の共通の敵にしたいからって、無理やり暴れさせるのは違うと思います」
「それじゃ、私の計画が成立しないかもしれないわよ?」
「その時は別の方法を考えましょう」
「……」
「まずは、そのドラゴンがどういう生き物なのかを知りたいです」
ルークは古書を見る。
「その上で、協力してもらえるなら協力してもらう」
「敵になってもらうんじゃなくて?」
「人間と魔族から見れば、敵だと思われるかもしれません」
ルークは答える。
「でも、本当に敵になる必要はないでしょう」
リゼットの目がわずかに細くなる。
「……なるほど」
「僕たちが制御できない怪物に見えれば、それだけでも両方にとっては脅威になるかもしれません」
「あなた、意外と悪いこと考えるわね」
「リゼットさんに言われたくないです」
リゼットは小さく笑った。
それから。
「分かったわ」
「いいんですか?」
「ええ」
「ドラゴンの意思を優先するってことですよ?」
「それでいい」
リゼットは古書へ視線を落とす。
「そもそも、力ずくで従わせるつもりなら、あなたを連れてきてないもの」
「……それもそうですね」
「だから」
リゼットはページをめくった。
「まずは、このドラゴンを目覚めさせる方法を探しましょう」
「はい」
ルークも隣へ座る。
まだ。
封印の仕組みも分からない。
ドラゴンが本当に遺跡にいるのかも、確定したわけではない。
それでも。
二人の目的は、ここで初めて同じ方向を向いた。
戦争を終わらせたいリゼット。
誰にも邪魔されず、魔物を研究できる世界を望むルーク。
理由は違う。
けれど。
そのために必要なものは、同じだった。
亜人領に眠る。
伝説のドラゴン。
二人は、その封印を解く方法を探し始めた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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