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モンスターの移動

 亜人領に魔族軍が現れてから。

 事態は、急速に悪化していた。


 人間軍は遺跡の調査を求め、魔族軍もまた、この地への進軍を続けている。


 亜人たちは双方に撤退を要求したが、どちらの軍も応じなかった。


 そして。

 ついに、最初の衝突が起きた。


     ◇


「敵影確認! 北東より魔族軍が接近!」


 兵士の声が響く。


 亜人領の平原。


 その一角に展開していた人間軍は、すでに戦闘態勢に入っていた。


 遠くには、魔族軍の旗が見える。


 その数は少なくない。


「……本当に来たんだ」


 アイリスが呟く。


 隣では、フェリシアが剣の状態を確認していた。


「ここまで来たら、もう避けられそうにないね」

「……うん」


 アイリスは周囲を見る。


 兵士たちが武器を構え、魔術師たちが詠唱の準備をしている。


 後方には、負傷者を運び込むための天幕も設けられていた。


 その時。


「前衛、進め!」


 レオンハルトの声が響いた。


 人間軍の兵士たちが、一斉に前進する。


 対する魔族軍も隊列を広げた。


 やがて。


 両軍が激突した。


 金属音。

 怒号。

 魔術の爆発。


 静かだった平原は、瞬く間に戦場へと変わっていった。


「アイリス!」


 フェリシアが振り返る。


「私は前へ出る。そっちはお願い!」

「分かった!」


 フェリシアが駆け出す。


 アイリスも、後方の治療拠点へ向かった。


     ◇


「負傷者だ! 道を空けろ!」


 担架が次々と運び込まれてくる。


 肩を斬られた兵士。

 魔術で火傷を負った兵士。

 意識のない者もいた。


「こちらへ!」


 アイリスは一人の兵士を寝台へ寝かせた。


「傷を見せてください」

「……っ、頼む」

「大丈夫です。すぐに治療します」


 傷口へ手をかざす。


 淡い光が広がり、出血が少しずつ収まっていく。


「次の方を!」


 治療が終わると、すぐに別の負傷者が運ばれてきた。


 休む暇もない。


 戦闘が長引くにつれ、負傷者の数は増えていった。


「アイリス殿!」


 衛生兵が駆け込んでくる。


「重傷者が二名! こちらをお願いします!」

「分かりました!」


 アイリスは立ち上がる。


 その時。


 天幕の外から、大きな爆発音が響いた。


「……っ!」


 地面が揺れる。


 遠くから悲鳴が聞こえた。


「何があったの?」

「近くの集落に魔術が着弾したようです!」


「集落に……?」


 アイリスの表情が変わる。


「住民は?」

「避難が間に合っていない者もいるようです!」


「……!」


 アイリスは一瞬、治療中の兵士たちを見る。


 まだ、ここにも負傷者がいる。


「こちらの治療をお願いします!」


 近くの治癒術師に声をかける。


「私は集落を見てきます!」

「分かりました! お気をつけて!」


 アイリスは天幕を飛び出した。


     ◇


 集落の一角では、家屋が崩れていた。


 焼けた木材。

 舞い上がる土埃。

 逃げ惑う住民たち。


「誰か! 誰か助けて!」


 声のする方へ駆け寄る。


 崩れた家の前に、獣の耳を持つ女性が座り込んでいた。


 その腕には、小さな子供が抱えられている。


「どうしました!?」

「この子が……!」


 子供の額から血が流れていた。


 呼吸も浅い。


「見せてください!」


 アイリスが手を伸ばす。


 だが。


 女性は反射的に子供を抱き寄せた。


「……人間?」

「私は治癒術師です。治療させてください!」

「でも、お前たちが……!」


 女性は崩れた家を見る。


 その目には、恐怖と怒りが浮かんでいた。


 アイリスは言葉に詰まる。


 この集落を戦場にしたのは、自分たちの軍も同じだ。


 けれど。


「……お願いします」


 アイリスは女性を見つめた。


「今は、この子を助けさせてください」


 女性はしばらく迷っていた。


 やがて、小さく頷く。


「……頼む」


 アイリスは子供の額へ手をかざした。


 治癒の光が広がる。


 傷口がゆっくりと塞がり、浅かった呼吸も落ち着いていく。


「……もう大丈夫です」


 アイリスが言う。


 子供が小さく身じろぎした。


 女性はその身体を強く抱きしめる。


「……ありがとう」


 震える声だった。

 アイリスは静かに頷いた。


 周囲には、まだ助けを求める声が聞こえている。


「ほかにも怪我をした人はいますか?」

「あ、ああ……向こうに……」

「分かりました」


 アイリスは立ち上がった。


 その日。


 彼女は日が暮れるまで、集落の負傷者を治療し続けた。


     ◇


 夕方。


 戦闘は一旦収まった。


 人間軍と魔族軍はそれぞれ陣地へ引き、負傷者の収容を始めている。


 アイリスが治療拠点へ戻ると、フェリシアが待っていた。


「アイリス」

「フェリシア……」


「集落に行ってたんだって?」

「うん」

「怪我は?」

「私は大丈夫」


 フェリシアは安心したように息を吐いた。


「そう。よかった」


 アイリスは椅子に腰を下ろす。


 身体が重かった。


 けれど、それ以上に。


 昼間の光景が頭から離れなかった。


「……子供がいたの」


 アイリスが呟く。


「集落に?」

「うん。家が壊れて、怪我をしてた」

「……そう」


「治療はできた。でも」


 アイリスは俯く。


「あの人たちは、戦争なんて望んでなかったはずなのに」


 フェリシアは黙って聞いていた。


「人間と魔族が争って、それで亜人たちの家まで壊して……」


「……うん」


「何のために戦ってるんだろうね」


 その問いに、フェリシアはすぐには答えられなかった。


 自分たちは王国を守るために戦っている。


 それは今も変わらない。


 けれど、今日の戦いは違った。


 誰かの土地へ入り込み、そこに暮らす人々を巻き込んでいる。


「……明日も戦闘になると思う」


 フェリシアが言った。


「うん」


「私も、できるだけ住民を巻き込まないようにする」

「……ありがとう」


 アイリスは小さく頷いた。


     ◇


 一方。


 魔族領。


 魔王城の一室で、リゼットは一枚の報告書を読んでいた。


「……亜人領で交戦?」


 向かいに立つ魔族の兵士が頷く。


「はい。人間軍と我が軍が衝突しました」

「被害は?」

「双方に負傷者が出ています。亜人側にも被害が及んでいる模様です」


「……そう」


 リゼットは報告書を机へ置いた。


「誰が進軍を決めたの?」

「軍上層部の決定と聞いております」

「理由は?」

「古代遺跡の確保です。貴重な魔導技術が眠っている可能性があるとのことで」


 リゼットは眉をひそめた。


「……遺跡?」

「はい」

「亜人領の?」

「そのようです」


 リゼットは考え込む。


 人間と魔族の戦争は、長い間膠着している。


 だからこそ、軍が戦況を変える手段を求めること自体は理解できる。


 だが。


 亜人領は、どちらの領土でもない。


 今までの前線とも離れている。


「……ずいぶん強引ね」


 リゼットが呟く。


「人間側も同じ遺跡を狙っているようですので」

「だからといって、関係のない土地を戦場にしていいわけじゃないでしょう」


 兵士は答えなかった。


 リゼットはもう一度、報告書を見る。


「……それに」

「はい?」

「何が眠っているかも分からない遺跡のために、随分と大きな部隊を動かしてるのね」

「……」


「この情報、どこから来たの?」

「そこまでは、私には……」

「そう」


 リゼットは少し考えた。


「調べてちょうだい」

「何をでしょうか」

「遺跡の情報源。それから、誰が最初に進軍を提案したのか」

「承知しました」

「亜人たちが何を祀っているのかも、分かれば調べて」

「はっ!」


 兵士は一礼し、部屋を出ていった。


 リゼットは椅子に背を預ける。


「……何か引っかかるわね」


 単に古代の魔導技術があるというだけで、ここまで急ぐものだろうか。


 もちろん、戦況を変える技術なら価値はある。


 けれど。


 何か、まだ知らされていない事情があるように思えた。


     ◇


 その頃。


 ルークは研究室で、古い本と向き合っていた。


「……駄目だ」


 小さく呟き、ペンを置く。


 机の上には、書き写した文字が何枚も並んでいた。


 繰り返し現れる記号。

 似ているようで、少し形の違う文字。


 文章の区切りらしきものも、いくつか見つけた。


 だが。


 肝心の意味が分からない。


「文字の並び方には規則がありそうなんだけどな……」


 ルークは本をめくる。


 巨大なドラゴンの挿絵。


 その周囲に並ぶ、見慣れない文字。


「……何て書いてあるんだろう」


 気になる。


 けれど、解読は思うように進まなかった。


 その時。


 扉が叩かれた。


「ルーク、いる?」

「はい!」


 入ってきたのはリゼットだった。


「どう? 例の本は」

「まだ全然ですね」

「そう」

「文字の形はいくつか整理できたんですけど、意味までは……」

「焦らなくていいわ」

「はい。でも、気になるので」


 ルークは本を閉じた。


「それで、今日は何か?」

「少し、確認したいことがあるの」

「確認?」


 リゼットは一枚の地図を机に広げた。


「この前、私たちが倒したアースドラゴンのこと、覚えてる?」

「もちろんです」


 忘れるはずがない。


 大きな巨体。


 それを素手で一撃のうちに倒してしまったリゼット。


 あの光景は、今でもはっきり覚えている。


「あれがどうかしたんですか?」

「最近になって、別の場所でも足跡が見つかったらしいの」

「別の?」

「ええ。遭遇した場所よりも、ずっと北東の方よ」


 リゼットは地図の一点を指差した。


「ここと、ここ」


 ルークは地図を覗き込む。


「……なるほど」


「同じ個体かどうかは分からないけど、足跡の大きさはかなり近いそうよ」

「記録はありますか?」

「持ってきたわ」


 リゼットが紙を差し出す。


 ルークは早速目を通した。


 足跡の大きさ。

 歩幅。

 地面に残された爪の跡。


 どれも、以前見たアースドラゴンの特徴とよく似ている。


「……同じ個体の可能性はありますね」

「そう?」

「はい。ただ、気になることがあって」

「何?」


 ルークは地図に目を戻した。


「最初に見つかったのは、こっちなんですよね?」

「ええ」

「それで、僕たちが倒したのが、ここ」

「そうよ」


 ルークは二つの地点を指でなぞった。


「……移動してきてますね」

「そうね」

「かなりの距離です」


 ルークは考え込む。


「アースドラゴンって、普段はあまり生息域を変えないんです」

「それなのに、あの個体は長い距離を移動してきた」

「……何か理由がある?」

「そのはずです」


 ルークは地図を見る。


 最初の痕跡が見つかった場所。


 その周辺には、山地と森林が広がっている。


 さらに、その先には。


「……あれ?」

「どうしたの?」

「この辺りって、亜人領ですよね?」


 ルークが地図の一角を指差す。


「ええ」

「じゃあ、あのアースドラゴンは……」


 ルークは黙った。


 少し前。


 アイリスたちが倒したリントドレイク。


 あれも、本来の生息域を離れていた。


 周囲のモンスターたちも、同じ方向へ移動していたという。


 そして今度は、アースドラゴン。


 あれほど強いモンスターまで、長い距離を移動してきていた。


「……もしかして」


 ルークが呟く。


「何?」

「逃げてきた……?」


「アースドラゴンが?」


 リゼットが聞き返す。


「まだ分かりません。でも」


 ルークは地図を見つめる。


「リントドレイクも、あの辺りで妙な移動をしていましたよね」

「ええ」

「それに、周囲のモンスターたちも同じ方向へ動いていた」


 ルークは少し考える。


「もし、全部が何かから逃げていたんだとしたら……」


「……」


 リゼットも地図へ目を落とした。


「何か、いるってこと?」

「可能性はあります」

「それが、亜人領に?」

「少なくとも、あの辺りに何か原因があるのかもしれません」


 ルークはもう一度、古い本を見る。


 ページの間から、巨大なドラゴンの挿絵が覗いていた。


 けれど。


 今の段階では、何も結び付けられない。


「……もう少し調べてみたいです」

「そうね」


 リゼットは頷いた。


「私も、亜人領のことを調べさせているところよ」

「亜人領を?」

「ええ。少し気になることがあって」


 ルークは地図を見る。


 亜人領。

 正体の分からない古い本。

 そして、そこから移動してきたかもしれない大型モンスター。


 まだ、分からないことばかりだった。


 けれど。


「……何があるんだろう」


 ルークは小さく呟いた。


 その視線は、地図の一点に向けられていた。


 亜人領。


 今まさに、人間と魔族の軍勢が争いを始めた土地だった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

楽しんでいただけましたら、★★★★★で評価していただけると、今後の執筆の大きな励みになります。

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