遺跡
進路を変更した翌日。
アイリスたちの部隊は、亜人領へと辿り着いた。
「……ここが亜人領」
アイリスは馬上から周囲を見渡した。
緩やかな丘陵。
その向こうには深い森が広がり、遠くには高い山々が連なっている。
街道沿いには小さな集落も見えた。
人間の領土と大きく違うわけではない。
ただ。
道の脇には、見慣れない模様が刻まれた石柱が、一定の間隔で立っていた。
「あれは?」
アイリスが尋ねる。
「亜人たちの境界標らしいよ」
フェリシアが答える。
「この先は、彼らの土地ってことだね」
「……そうなんだ」
アイリスは石柱を見つめた。
人間にも魔族にも属さない土地。
ここには、ここで暮らしてきた人々の生活がある。
そんな場所へ、今から軍が入ろうとしている。
「止まれ!」
前方から声が響いた。
隊列が止まる。
街道の先には、数人の亜人が立っていた。
獣の耳を持つ者。
毛皮に覆われた腕を持つ者。
姿はそれぞれ違うが、いずれも武器を携えている。
その一人が前へ出た。
「ここから先は、我々の領地だ」
低い声だった。
「何の用で来た」
レオンハルトが馬を進める。
「王国勇者軍だ。古代遺跡の調査に来た」
「……遺跡?」
亜人たちの表情が変わる。
「遺跡への立ち入りは認められない」
「我々は調査のために派遣された。そちらの代表者と話がしたい」
「話しても無駄だ」
「それを決めるのは、お前ではないだろう」
レオンハルトは相手を見下ろした。
亜人の男はしばらく黙っていたが、やがて後ろの仲間へ何かを告げた。
「……ここで待っていろ」
そう言い残して、森の方へ歩いていった。
◇
それからしばらくして。
アイリスたちは亜人たちの集落へ案内された。
木と石で造られた家々。
道端には荷物を運ぶ住民の姿があり、子供たちが遠巻きにこちらを見ている。
けれど。
歓迎されている様子はなかった。
「……随分警戒されてるね」
フェリシアが小さく呟く。
「うん」
アイリスも頷いた。
住民たちは、兵士たちが通るたびに道を空ける。
中には、子供を家の中へ連れ戻す者もいた。
やがて、一行は集落の中央にある大きな建物へ通された。
中には、数人の亜人が待っていた。
その中央に立つのは、灰色の髪をした壮年の男だった。
頭には狼に似た耳。
鋭い目つきと、がっしりとした体格。
周囲の亜人たちは、彼の言葉を待っているようだった。
「私がこの地の代表を務める者だ」
男は静かに口を開いた。
「王国の兵士が何の用だ」
レオンハルトが一歩前へ出る。
「すでに伝わっていると思うが、我々は古代遺跡の調査を目的としている」
「聞いている」
「ならば話は早い。遺跡への立ち入りを許可してもらいたい」
「断る」
即答だった。
「……理由を聞いても?」
「理由なら、以前にも伝えたはずだ」
男はレオンハルトを見据える。
「あの遺跡は、我々の祖先が代々守ってきた場所だ。外部の者を入れるつもりはない」
「調査するだけだ。遺跡を破壊するつもりはない」
「そういう問題ではない」
男の声が少し低くなる。
「我々にとって、あそこは神聖な場所なのだ」
レオンハルトは腕を組んだ。
「だが、遺跡には古代の魔導技術が残されている可能性がある」
「それがどうした」
「戦争を終わらせる手掛かりになるかもしれない」
「……戦争?」
男の表情が険しくなった。
「お前たち人間と魔族の争いだろう」
「……」
「我々には関係のない戦争だ。そのために、祖先から守ってきた場所を差し出せと言うのか」
室内に沈黙が落ちた。
レオンハルトは少し間を置いてから答える。
「協力してもらえれば、相応の補償は用意する」
「必要ない」
「調査が終われば、軍は撤収する」
「その約束を、どう信じろと言うのだ」
男は首を振った。
「我々は、どちらの戦争にも関わるつもりはない。お前たちにも、魔族にも、遺跡を渡すつもりはない」
◇
交渉は、しばらく続いた。
だが。
双方の意見が変わることはなかった。
やがてレオンハルトが席を立つ。
「……分かった。今日のところは引き下がろう」
「そうしてもらいたい」
「ただし、我々も任務を放棄するわけにはいかない。改めて交渉の場を設けたい」
「答えは変わらんと思うがな」
亜人の代表は短く答えた。
そのまま部屋を出ようとしたところで。
「……あの」
アイリスが口を開いた。
男が振り返る。
「何だ」
「一つ、聞いてもいいですか?」
「……何をだ」
「その遺跡は、どうしてそんなに大切なんですか?」
男はしばらくアイリスを見つめた。
「先ほど話したはずだが」
「はい。祖先から守ってきた場所だというのは聞きました」
アイリスは続ける。
「でも、どうして守っているのか、もう少し詳しく知りたいんです」
男は少し考えた。
やがて。
「……ついてこい」
そう言って、建物の外へ歩き出した。
◇
案内されたのは、集落の外れにある小さな丘だった。
そこには、古びた石碑が立っていた。
表面には見慣れない文字と、大きな翼を持つ生き物の姿が刻まれている。
「……これは?」
アイリスが尋ねる。
「我々の祖先が残したものだ」
男は石碑へ目を向けた。
「遥か昔、この地には守護神がいたと伝えられている」
「守護神?」
「ああ。争いから我々の祖先を守り、この土地に安住の地を与えた存在だ」
フェリシアも石碑を見る。
「それが、遺跡と関係しているの?」
「遺跡は、その守護神を祀るために造られたとされている」
「……そうなんだ」
アイリスは石碑を見つめた。
翼を広げた巨大な生き物。
かなり古いものらしく、細かな部分は摩耗していた。
「守護神って、どんな姿だったんですか?」
「詳しいことは分からない。伝承も、長い年月の中で失われている」
男は首を振る。
「だが、我々は今もあの場所を守っている。それが祖先との約束だからだ」
「……」
「お前たちにとっては、ただの古い建物かもしれない」
男はアイリスを見る。
「だが、我々にとっては違う」
アイリスは静かに頷いた。
「……分かりました」
「本当に分かったかは知らん。だが、少なくとも、軽々しく足を踏み入れていい場所ではないと知ってほしい」
「はい」
その言葉に、偽りはなかった。
◇
集落へ戻る途中。
フェリシアが口を開いた。
「……どう思う?」
「遺跡のこと?」
「うん」
アイリスは少し考える。
「少なくとも、あの人たちが守りたい理由は分かった気がする」
「そうだね」
「でも、軍は諦めないんだろうな……」
フェリシアは答えなかった。
古代の魔導技術。
もし本当にそんなものが眠っているなら、王国が簡単に引き下がるとは思えない。
長年続く戦争を終わらせるため。
その大義名分があれば、多少の強引な手段も認められてしまうかもしれない。
「……できれば、争いにはしたくないね」
アイリスが呟く。
「うん」
フェリシアも小さく頷いた。
◇
その日の夕方。
王国軍の野営地では、指揮官たちが集まっていた。
「交渉は決裂か」
調査隊の責任者が尋ねる。
「はい」
レオンハルトが答える。
「亜人たちは遺跡への立ち入りを認めるつもりがないようです」
「困ったものだな」
責任者は地図を見る。
「こちらも、ただの噂で部隊を動かしたわけではない。遺跡に古代技術が眠っているという情報には、それなりの根拠がある」
「ならば、強行するべきでは?」
レオンハルトが言った。
「この程度の抵抗なら、我々の戦力で排除できます」
「……そう簡単な話でもない」
責任者は首を振る。
「亜人領は中立地帯だ。こちらから攻撃すれば、余計な敵を増やすことになる」
「ですが、魔族に先を越される可能性もあります」
「分かっている」
責任者は考え込んだ。
その時だった。
「伝令!」
天幕の外から声が響く。
「緊急の報告です!」
「入れ」
一人の兵士が駆け込んできた。
「亜人領の北側で、魔族軍の部隊が確認されました!」
室内の空気が変わる。
「……魔族軍?」
「はい! 複数の部隊が、こちらへ向かって進軍しています!」
責任者が立ち上がる。
「規模は?」
「正確な数は不明です。ただ、相当数の兵が確認されています!」
レオンハルトが地図へ目を落とした。
「……やはり、向こうも遺跡を狙っているか」
「その可能性が高い」
責任者は眉をひそめる。
魔族軍まで現れたとなれば、状況は大きく変わる。
ここで撤退すれば、遺跡は魔族側に奪われるかもしれない。
だが、進軍すれば、亜人たちとの衝突も避けられない。
「……全軍に警戒を命じろ」
責任者が言った。
「魔族軍の動きを探れ。こちらからはまだ攻撃するな」
「はっ!」
兵士が天幕を飛び出していく。
レオンハルトが口を開いた。
「このままでは、亜人領が戦場になります」
「……分かっている」
責任者は地図を見つめたまま答えた。
◇
一方。
集落へ戻った亜人の代表にも、同じ知らせが届いていた。
「……魔族まで来たか」
男は低く呟いた。
「どうしますか?」
部下の一人が尋ねる。
「人間側だけでも厄介だというのに……」
男は窓の外を見る。
遠くには、祖先から守り続けてきた古代遺跡がある。
あの場所だけは、誰にも渡すわけにはいかない。
「……戦える者を集めろ」
「戦うのですか?」
「こちらから仕掛けるつもりはない」
男は静かに答えた。
「だが、遺跡へ踏み込むというのなら、相手が誰であろうと止める」
「……承知しました」
部下が部屋を出ていく。
男は、もう一度遺跡の方を見た。
「……どうか、お守りください」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。
長い年月を経て、静かに守られてきた土地。
そこへ今、人間と魔族の軍勢が迫っていた。
亜人領を巡る新たな争いが、始まろうとしていた。
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