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亜人領への任務

 ルークと別れた翌日。


 アイリスたちは、王都へ戻っていた。


「……無事でよかったね」


 フェリシアが言う。


「うん」


 アイリスは小さく頷いた。


 研究院を追放された後、行方が分からなくなっていたルーク。


 森で途切れた足跡。

 残されていた転移魔術の痕跡。


 何か事件に巻き込まれたのではないかと心配していた。


 けれど、実際に会ってみれば、ルークは元気そうだった。


 魔族領で研究室を与えられ、好きな研究を続けているという。


「……楽しそうだった」

「そうだね」


 フェリシアも頷いた。


「少なくとも、無理やり連れていかれたわけじゃなさそうだったし」

「うん」


 アイリスは少し安心したように笑った。


 そこへ、エマが口を開く。


「それにしても、あの転移魔術は気になりますね」

「まだ調べるつもり?」


 フェリシアが尋ねる。


「はい。あれほどの魔力を使う術式なんて、滅多に見られませんから」


 エマは考え込む。


「残留魔力の状態からしても、相当高度な魔術だったはずです」


「……あの人、そんなにすごいんだ」


 アイリスが呟いた。


 リゼット。


 ルークを雇い、研究を続けさせてくれている魔族の女性。


 何者なのかは分からない。

 けれど、ルークが自分の意思で彼女についていくと決めたことは確かだった。


「……ねえ、二人とも」


 アイリスが口を開く。


「ルークのことなんだけど」

「うん?」

「今回のこと、誰にも言わないでおこうと思う」


 フェリシアはすぐに頷いた。


「私も、その方がいいと思う」

「私も賛成です」


 エマも同意する。


「魔族領にいると知られたら、何が起こるか分かりませんから」


「……うん」


 人間と魔族は、今も戦争を続けている。


 その魔族側に、元王立研究院の研究者がいる。


 そんな話が勇者軍に知られれば、ルークが裏切り者として扱われる可能性もある。


「本人が自分で選んだ道だからね」


 フェリシアが言う。


「私たちが勝手に話すことじゃないと思う」


「……ありがとう」


 アイリスは二人に頭を下げた。


「気にしなくていいよ」


 三人は、ルークの居場所を秘密にすることを決めた。


     ◇


 その日の午後。


 アイリスとフェリシアは、勇者軍の詰所を訪れていた。


 前線への帰還に向けて、出発の準備を進めるためだ。


 廊下を歩いていると。


「……戻ったか」


 聞き覚えのある声がした。


 二人が振り返る。


 そこに立っていたのは、レオンハルトだった。


「レオンハルト」

「随分と時間を使ったようだな」


 彼は腕を組み、二人を見る。


「それで、例の研究者は?」


 アイリスの表情がわずかに変わる。


「……ルーク?」

「ああ」


 レオンハルトは二人の様子を見て、鼻を鳴らした。


「見つからなかったようだな」


「……」


「だから言っただろう。あんな奴を探しても時間の無駄だと」


 フェリシアが眉をひそめる。


「別に、あなたに迷惑はかけてないでしょう」

「俺は事実を言っているだけだ」

「そう」

「研究院を追い出された人間に、これ以上関わる必要はない」


 アイリスは何も言わなかった。


 ルークが見つかったことを伝えるつもりはない。


 それに、今のレオンハルトに何を言っても、素直に受け取るとは思えなかった。


「……もういい?」


 フェリシアが言った。


「私たち、準備があるんだけど」

「前線への帰還命令が出ている。明朝、出発だ」

「分かってる」

「遅れるなよ」


 それだけ言うと、レオンハルトは廊下の奥へ歩いていった。


 その背中を見送りながら、フェリシアが小さく息を吐く。


「……言わなくてよかった?」

「うん」


 アイリスは頷いた。


「ルークが、今の場所で研究を続けたいって言ってたから」

「そうだね」


 二人は再び歩き出した。


     ◇


 翌朝。


 王都の正門には、前線へ向かう勇者軍の部隊が集まっていた。


 兵士たちが装備を確認し、馬車へ荷物を積み込んでいる。


 その中に、アイリスとフェリシアの姿もあった。


「準備は大丈夫?」


 フェリシアが尋ねる。


「うん。治療道具も薬も揃ってる」

「分かった」


 そんなやり取りをしていると。


「アイリス先輩! フェリシアさん!」


 背後から声がした。


 振り返ると、エマがこちらへ走ってきていた。


「エマ」

「間に合ってよかったです」


 エマは息を整える。


「見送りに来ました」

「ありがとう」

「私は王都に残りますけど、お二人とも気をつけてくださいね」

「エマも、工房の仕事頑張ってね」

「はい」


 エマは頷いた。


「例の転移魔術についても、もう少し調べてみようと思います」

「何か分かったら教えてね」

「もちろんです」


 やがて、出発の号令が響いた。


「それじゃ、またね」


 アイリスが手を振る。


「はい。お元気で」


 三人は別れを告げた。


 アイリスとフェリシアは馬に乗り、部隊と共に王都を後にした。


     ◇


 王都を出発してから数日後。


 勇者軍の一行は、前線へ続く街道を進んでいた。


「……あとどれくらいで着くんだっけ?」


 アイリスが尋ねる。


「順調なら、あと二日くらいかな」


 フェリシアが答える。


「久しぶりだね。前線に戻るのも」

「そうだね」


 アイリスは遠くを見た。


 王都を離れていた間にも、戦況はほとんど変わっていないという。


 人間と魔族。


 双方が幾度となく攻撃を繰り返しているものの、決定的な勝利には至っていない。


 長年続く戦争は、今も膠着したままだった。


 その時。


 前方から、一騎の兵士が駆けてきた。


「伝令!」


 兵士は隊列の先頭で馬を止める。


「本部より、新たな命令です!」


 隊列が止まった。


 レオンハルトが馬を進める。


「何があった?」

「亜人領に関する緊急の指令です!」

「亜人領?」


 伝令は封書を差し出した。


 レオンハルトが受け取り、目を通す。


「……なるほど」


「どうしたの?」


 アイリスが尋ねる。


「任務の変更だ」


 レオンハルトは封書を閉じた。


「前線への帰還は延期。これより亜人領へ向かう」

「亜人領?」


 フェリシアが眉をひそめる。


「どうして?」

「古代遺跡の調査だ」


 レオンハルトが答える。


「亜人領にある遺跡から、貴重な魔導技術が見つかる可能性があるらしい」

「魔導技術……?」

「ああ。戦況を変えるほどのものかもしれないそうだ」


 アイリスは少し驚いた。


「それで、私たちが?」

「調査隊の護衛を命じられた。現地で本隊と合流する」


「……分かった」


「それだけじゃない」


 レオンハルトは続ける。


「亜人たちは遺跡への立ち入りを拒んでいるらしい」


「……拒んでる?」

「ああ。古くから信仰している場所だから、外部の者を入れたくないそうだ」


 フェリシアが腕を組む。


「それなら、交渉が必要だね」

「当然だ。だが、必要なら周辺地域の制圧も行う」


「……制圧?」


 アイリスが聞き返した。


「亜人領って、人間の土地じゃないよね?」

「だから何だ?」

「いや、それは……」


「戦況を変えられる技術があるかもしれないんだ。魔族に先を越されるわけにはいかないだろう」


 レオンハルトは淡々と答えた。


「それに、魔族側も動いている可能性がある」

「魔族も?」

「ああ。向こうが同じ情報を掴んでいてもおかしくない」


 フェリシアの表情が険しくなる。


「……面倒なことになりそうだね」

「だからこそ、急ぐ必要がある」


 レオンハルトは馬首を返した。


「全員に伝えろ。進路を変更する!」


 兵士たちが慌ただしく動き始める。


 やがて隊列は、前線へ続く街道を外れた。


 新たに目指すのは、人間にも魔族にも属さない、中立の亜人領だった。


     ◇


「……ねえ、フェリシア」


 馬を進めながら、アイリスが小さく声をかけた。


「何?」

「亜人たちが嫌がってるのに、私たちが行っていいのかな」


「……難しいところだね」

「うん」


「でも、今は調査隊の護衛が任務だから。まずは現地で話を聞いてみよう」

「そうだね」


 アイリスは頷いた。


 けれど、胸の奥に残った違和感は消えなかった。


 長年続く戦争。

 終わりの見えない前線。

 そして今度は、中立の亜人領。


 この戦争は、一体どこまで広がっていくのだろう。


 アイリスは、進行方向へ目を向けた。


 その先には、まだ見ぬ亜人たちの土地が広がっている。


 そこで何が待っているのか。


 この時の彼女は、まだ知らなかった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

楽しんでいただけましたら、★★★★★で評価していただけると、今後の執筆の大きな励みになります。

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