未知の文字
ガルーダの繁殖に成功してから、数日が経った。
ルークの研究室は、以前にも増して賑やかになっていた。
飼育施設から届く報告書。
新しく運び込まれた研究器具。
そして、セドが持ち込んでくれる大量の飼育記録。
「……そろそろ本棚が足りなくなってきたな」
ルークが積み上がった資料を眺めていると。
研究室の扉が叩かれた。
「ルーク、いる?」
「あ、リゼットさん」
扉を開けると、リゼットが立っていた。
「ちょっと来てもらえる?」
「何かあったんですか?」
「あなたに会わせたい人がいるの」
「僕に?」
「ええ。準備して」
「……分かりました」
ルークは机の上を片づけ、研究室を出た。
◇
案内されたのは、魔王城だった。
高い天井。
広々とした廊下。
壁には豪華な装飾が施され、すれ違う兵士たちは皆、リゼットに深々と頭を下げていく。
「……あの」
「何?」
「前から思ってたんですけど、リゼットさんって、かなり偉い人ですよね?」
「今さら?」
「いや、何となくそうかなとは思ってましたけど」
リゼットは小さく笑った。
「もうすぐ分かるわ」
「……?」
やがて、一つの大きな扉の前で足を止める。
リゼットが扉を開けた。
中は、広い応接室だった。
その奥。
一人の魔族の女性が椅子に腰掛けている。
長い黒髪。
リゼットより少し長い角。
整った顔立ちだが、その表情はどこか冷たい。
「来たわね、リゼット」
「ええ。連れてきたわ」
女性の視線がルークへ向けられる。
「……それが例の人間?」
「そうよ」
ルークは慌てて頭を下げた。
「初めまして。ルークと申します」
「イザベラよ」
女性は短く名乗った。
「魔王の長女、と言えば分かるかしら」
「……え?」
ルークの動きが止まる。
魔王の長女。
つまり。
「……ええっ!?」
「声が大きいわよ」
リゼットが呆れたように言う。
「いや、だって! 魔王の娘って……!」
「私の姉よ」
「姉!?」
ルークは二人を交互に見た。
「じゃあ、リゼットさんも……」
「魔王の次女よ」
「…………」
ルークはしばらく固まった。
それから。
「……先に言ってくださいよ!」
「聞かれなかったもの」
「そういう問題じゃないです!」
リゼットは楽しそうに笑う。
一方、イザベラは呆れたように息を吐いた。
「……本当にこんな人間を雇っているのね」
「腕は確かよ」
「その話を聞くために呼んだのよ」
イザベラがルークを見る。
「座りなさい」
「は、はい!」
ルークは慌てて椅子に腰を下ろした。
◇
「まず、確認しておきたいのだけれど」
イザベラが口を開く。
「あなたは元々、人間の研究院にいたそうね」
「はい。王立魔物研究院に勤めていました」
「それを追い出された」
「……はい」
「それで、今度は魔王軍に雇われたわけ?」
「そうなりますね」
イザベラはリゼットを見る。
「ずいぶん簡単に人間を信用するのね」
「成果は出しているわ」
「聞いているわよ。スカイリザードの飛行訓練に、ガルーダの繁殖だったかしら。他にも色々と」
「ええ」
「それが、人間に研究施設を与える理由になるの?」
リゼットは表情を変えなかった。
「十分な理由だと思うけど」
「魔王軍には優秀な飼育員が何人もいるわ。それなのに、どうしてわざわざ人間を?」
「彼には彼にしかできないことがあるからよ」
「……ふうん」
イザベラは再びルークを見る。
「あなたの研究は、戦争にどれほど役立つの?」
「えっと……」
ルークは少し考えた。
「正直、分かりません」
「……何?」
「役に立つこともあると思います。でも、すぐに成果が出るとは限りませんし」
「なら、何のために研究しているの?」
「面白いからです」
「……」
イザベラが黙った。
「モンスターの行動って、まだ分からないことが多いんです。どうしてそうするのか、何を嫌がるのか、どんな環境を好むのか。それを調べるのが好きなので」
ルークは少し笑う。
「もちろん、役に立ったら嬉しいですけど」
「……呆れた」
イザベラがため息をついた。
「戦争中だというのに、随分のんきなことを言うのね」
「す、すみません」
「謝る必要はないわ」
リゼットが口を挟む。
「私はそういうところを評価しているの」
「だから、甘いと言っているのよ」
姉妹の視線がぶつかる。
「研究に使う予算も、人員も、無限ではないのよ」
「知っているわ」
「なら、もっと直接戦力になる研究に回すべきでしょう」
「そればかり続けて、戦争は終わった?」
「……何ですって?」
「何年も戦っているのに、状況は変わっていない。それなら、別のことに目を向けてもいいんじゃない?」
イザベラの表情が険しくなる。
「戦力が足りないなら、さらに増やせばいい。それだけの話よ」
「私はそうは思わないわ」
「……昔から変わらないわね、あなたは」
「姉様こそ」
部屋に重い沈黙が落ちた。
ルークは二人を交互に見る。
……何だか、とんでもない場所に来てしまった。
「……まあ、いいわ」
やがてイザベラが口を開いた。
「今すぐ研究をやめろとまでは言わない。ただし」
鋭い視線がルークへ向けられる。
「人間であることを忘れないように。私はまだ、あなたを信用していないわ」
「……はい」
「それだけよ。下がっていいわ」
ルークは慌てて立ち上がった。
「し、失礼します!」
リゼットも椅子を立つ。
「じゃあ、またね。姉様」
「ええ」
二人は応接室を後にした。
◇
「……はあ」
廊下へ出た途端。
ルークは大きく息を吐いた。
「そんなに緊張した?」
「当たり前じゃないですか!」
リゼットが笑う。
「魔王の娘さんだったなんて……」
「別に、今までと変わらないでしょう」
「変わりますよ!」
「何が?」
「いや、色々と……」
ルークは言葉に詰まった。
確かに。
リゼットは今までどおりだ。
偉そうなところも。
人を振り回すところも。
研究に協力してくれるところも。
「……でも」
「何?」
「これからも、研究は続けていいんですよね?」
リゼットは少し意外そうな顔をした。
「当然でしょう」
「……よかった」
「気にするのはそこなの?」
「僕にとっては一番大事なので」
リゼットはしばらくルークを見ていた。
それから、小さく笑った。
「……本当にあなたらしいわね」
◇
その日の午後。
ルークはセドと共に、飼育施設の記録を整理していた。
「……あれ?」
ルークの手が止まる。
「どうしました?」
「このバイコーンの記録なんですけど」
ルークが一枚の紙を示す。
「ここ数日、餌の量が減ってますよね」
「はい。ですが、健康状態に異常はありません」
「その前に、飼育場の変更があったみたいですけど」
「ええ。別の個体と入れ替えました」
「なるほど……」
ルークは記録をめくる。
「この個体、前の飼育場では夕方に餌を食べることが多かったみたいですね」
「それが何か?」
「今の飼育場では、夕方に訓練が入ってるんです」
「……ええ」
「だったら、食事の時間と訓練の時間が重なってるのかもしれません」
セドが首を傾げる。
「ですが、訓練の後にも餌は与えていますよ」
「はい。でも、訓練の後は落ち着かないのかもしれません」
ルークは記録の別の箇所を指差した。
「ほら、訓練が休みの日は食事量が戻ってます」
「……あ」
セドが紙を覗き込む。
「本当だ……」
「まずは、食事の時間を元に戻してみませんか?」
「……分かりました。担当者に伝えてみます」
翌日。
バイコーンの食事量は、以前に近い水準まで戻っていた。
「……驚きました」
セドが報告書を持ってくる。
「本当に改善したそうです」
「よかったです」
「私は毎日この記録を見ていたのに、全然気づきませんでした」
「僕も、飼育場の変更が書いてなかったら分からなかったと思いますよ」
ルークは笑う。
「普段の様子を記録してくれていたから、気づけたんです」
「……なるほど」
セドはもう一度、報告書を見る。
「記録って、そういうふうにも使えるんですね」
「はい。意外なところがつながることもありますから」
それからセドは、これまで以上にルークへ積極的に質問するようになった。
観察する時に何を見るのか。
記録をどう整理するのか。
行動の変化から、何を考えるのか。
ルークも、分かる範囲で一つずつ答えていった。
◇
数日後。
研究室の棚は、ほとんど資料で埋まっていた。
「……これ、どこに置きましょう」
セドが新しい木箱を抱えている。
「うーん……」
ルークは部屋を見渡した。
「とりあえず、そこの机に」
「そこもいっぱいです」
「じゃあ、床に……」
「床もいっぱいです」
「……困りましたね」
「本当に困ってるんですか?」
「はい」
ルークは真剣に頷いた。
セドが小さく笑う。
少し前までは、こんなやり取りもできなかった。
「そういえば」
セドが木箱を下ろす。
「古い資料が一箱混ざっていましたよ」
「古い資料?」
「はい。倉庫の奥から出てきたそうです」
「見てもいいですか?」
「もちろんです」
ルークは箱を開けた。
中には、古びた本が何冊も入っている。
表紙が破れたもの。
背表紙の文字が消えかけているもの。
中には、何が書かれているのか分からないものもあった。
「……これは」
ルークは一冊を手に取った。
厚い革の表紙。
見たことのない文字。
ページを開いてみる。
「……読めない」
そこに書かれていたのは、人間の文字でも魔族の文字でもなかった。
だが。
次のページをめくった瞬間。
ルークの手が止まる。
「……ドラゴン?」
古びた紙に、大きな挿絵が描かれていた。
巨大な翼。
長い尾。
何本もの角。
そして、全身を覆う鱗。
見たことのない姿だった。
「……何だろう、これ」
ルークはさらにページをめくる。
ほかにも、様々な図が描かれていた。
巨大な足跡のようなもの。
複雑な紋様。
そして、何かの儀式を描いたような絵。
「……面白そう」
ルークは思わず呟いた。
「読めるんですか?」
セドが尋ねる。
「いえ、全然」
「では、どうして?」
「だって、こんなモンスター見たことないですから」
ルークは笑った。
「何が書いてあるのか、気になりません?」
「……まあ、確かに」
セドも挿絵を覗き込む。
「古代の資料かもしれませんね」
「そうですね。誰か読める人がいるといいんですけど」
◇
その日の夕方。
ルークは研究室を訪れたリゼットに、本を見せていた。
「リゼットさん、ちょっといいですか?」
「何?」
「この本なんですけど、読める人って知りませんか?」
リゼットは差し出された本を受け取る。
「……古いわね」
「はい。倉庫から出てきたそうで」
「文字は?」
「全然読めないんです。人間の文字でも魔族の文字でもないみたいで」
「どれどれ……」
リゼットがページをめくる。
そして。
あるページで、その手が止まった。
「……」
「リゼットさん?」
リゼットは挿絵を見つめていた。
巨大なドラゴンが描かれたページ。
先ほどまでとは、明らかに表情が違う。
「……これ、どこで見つけたの?」
「え? さっき言った倉庫の資料ですけど」
「誰かほかに見せた?」
「セドには見せましたけど……」
「そう」
リゼットは少し考えた。
それから、本を閉じる。
「ルーク」
「はい?」
「この本のことは、しばらく誰にも話さないで」
「……え?」
「セドにも、口外しないよう伝えておいて」
「何か問題があるんですか?」
「……まだ分からないわ」
リゼットは本をルークへ返した。
「ただ、少し気になることがあるの」
「気になること?」
「ええ」
ルークは本を見る。
「じゃあ、やっぱり読める人を探した方が……」
「いいえ」
リゼットは首を振った。
「できれば、あなた自身で解読してほしいの」
「僕が?」
「ええ」
「でも、文字なんて全然分かりませんよ?」
「それでもいいわ。時間はかかっても構わない」
リゼットはルークを見る。
「ほかの人には頼まず、あなたに調べてほしいのよ」
「……どうしてですか?」
「それは、もう少し分かってから話すわ」
「また秘密ですか……」
「お願い」
いつもより、少し真剣な声だった。
ルークは本へ目を落とす。
読めない文字。
見たことのないドラゴン。
確かに、簡単な研究ではなさそうだ。
けれど。
「……分かりました」
ルークは頷いた。
「やってみます」
「ありがとう」
「ただ、古代文字の専門家じゃないので、いつ解読できるか分かりませんよ?」
「構わないわ」
「それなら……」
ルークはもう一度、本を開いた。
「まずは文字の種類から調べないとですね」
その表情は、すでに楽しそうだった。
リゼットはそんなルークを見て、小さく笑う。
「……やっぱり、あなたに頼んで正解だったかもしれないわね」
「え?」
「何でもないわ」
そう言うと、リゼットは研究室を後にした。
◇
一人になったルークは、机の上に本を広げた。
未知の文字。
古い挿絵。
そして、見たこともないドラゴン。
「……さて」
まずは、同じ文字が繰り返されている場所を探してみよう。
ルークは紙を取り出し、文字を書き写し始めた。
一文字。
また一文字。
意味は、まだ何も分からない。
それでも。
「……面白くなってきたな」
ルークは小さく笑った。
こうして。
誰にも知られることなく。
伝説のドラゴンへとつながる、新たな研究が始まった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
楽しんでいただけましたら、★★★★★で評価していただけると、今後の執筆の大きな励みになります。
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