研究者としての居場所
アイリスたちと別れた翌日。
ルークは魔族領の研究室にいた。
「……あれ?」
扉を開けたところで、思わず足が止まる。
昨日まで何もなかった壁際に、大きな本棚が増えていた。
机の上には新しい研究器具。
さらに、部屋の隅には見覚えのない木箱まで積まれている。
「……何だこれ」
ルークが近づいてみると、木箱には飼育施設の名前が書かれていた。
中には、魔物の観察記録や飼育日誌がぎっしりと詰まっている。
「こんなに……?」
試しに一冊を開く。
コカトリスの飼育記録。
サラマンダーの食事量。
カーバンクルの行動日誌。
そのほかにも、見たことのない資料がいくつもあった。
「……すごい」
ルークは思わず呟いた。
人間の研究院にいた頃は、資料を一つ借りるだけでも何度も申請が必要だった。
ましてや、自分の研究のために新しい器具を揃えてもらうなんて、考えたこともない。
「これ、全部使っていいのかな……」
「もちろんです」
「うわっ!」
突然背後から声がして、ルークは飛び上がった。
振り返ると、扉のところに魔族の兵士が立っていた。
「失礼しました」
「あ、いえ。こちらこそ」
「リゼット様からのご指示で、昨日のうちに運び込んでおきました」
「リゼットさんが?」
「はい。必要な資料や器具があれば、追加で申請してよいとのことです」
「……本当に?」
「はい」
ルークは改めて部屋を見渡した。
大きな本棚。
新しい器具。
山のような記録。
思わず、口元が緩む。
「……ありがとうございます」
「いえ。それと」
「はい?」
「本日は、飼育施設の担当者が何名か相談に来る予定です」
「相談?」
「はい。ルーク殿に見ていただきたいことがあるそうで」
「僕に?」
「ええ」
兵士は頷いた。
「先日のスカイリザードとバジリスクの件が、施設内でも話題になっておりますので」
「……そうなんですか」
ルークは少し驚いた。
自分としては、気づいたことを伝えただけのつもりだった。
それでも。
頼ってもらえるのは、嬉しい。
「分かりました。僕でよければ」
そう答えると、兵士は一礼して部屋を出ていった。
◇
それから間もなく。
研究室には、次々と飼育担当者が訪れるようになった。
「ルーク殿。少しよろしいでしょうか」
「はい、どうしました?」
「最近、コカトリス同士で争うことが増えまして……」
「何羽くらい飼ってるんですか?」
「六羽です」
「以前から一緒に?」
「いえ。先月、別の施設から二羽移してきました」
「なるほど……」
ルークは手元の紙に書き留める。
「餌の取り合いはありますか?」
「いえ、餌は十分に与えています」
「それなら、個体同士の関係が変わったことが影響しているのかもしれませんね」
「関係、ですか?」
「はい。ただ、実際に見てみないとはっきりしません。後で飼育場を見せてもらえますか?」
「もちろんです!」
担当者は安心した様子で頷いた。
その後も。
「サラマンダーが、急に餌を食べなくなりまして……」
「カーバンクルが、飼育場の隅から出てこないんです」
「マンドラゴラの成長が止まってしまって……」
次から次へと相談が持ち込まれる。
ルークはそれぞれの話を聞き、気になったことを書き留めていった。
気づけば、机の上には何枚ものメモが積み重なっていた。
「……こんなに相談が来るなんて」
ルークは苦笑する。
けれど、嫌な気分ではなかった。
むしろ。
知らないことばかりで、面白い。
◇
午後。
ルークは飼育施設を訪れていた。
最初に向かったのは、コカトリスの飼育場だ。
囲いの中では、鶏に似た姿をしたモンスターたちが、地面をつついたり、羽を広げたりしている。
「……なるほど」
ルークは柵の前にしゃがみ込む。
しばらく観察していると。
一羽が別の個体に近づいた。
すると、相手はすぐに身を引く。
さらに近づこうとすると、今度は翼を広げて威嚇した。
「まただ……」
担当者が呟く。
「最近はずっとこんな調子で」
「いつも同じ個体同士ですか?」
「え?」
「あの二羽。さっきから何度も距離を取ってますよね」
ルークが指差す。
担当者は囲いを見つめた。
「……言われてみれば」
「ほかの個体とは、あまり争ってないみたいです」
「そうですね」
「移してきた二羽って、どれですか?」
「あの、羽の色が少し濃い二羽です」
「なるほど」
ルークはしばらく考えた。
「少し、囲いの中を分けてみませんか?」
「分ける?」
「はい。まずは、元々いた個体と移してきた個体が、互いの様子を見ながら距離を取れるように」
「それで改善するんでしょうか?」
「分かりません。でも、今は逃げようとしても逃げる場所が少ないですから」
ルークは囲いの隅を見る。
「隠れられる場所も増やした方がいいかもしれません」
「なるほど……」
「しばらく記録をつけて、どう変わるか確認しましょう」
「分かりました。すぐに手配します!」
担当者はそう言って、駆け出していった。
ルークは再びコカトリスを見る。
翼を広げて威嚇していた二羽は、今度は少し離れた場所で地面をつついていた。
「……やっぱり、面白いな」
同じ種類でも。
個体によって行動が違う。
環境が変われば、反応も変わる。
まだまだ、分からないことだらけだ。
◇
研究室へ戻る頃には、すっかり夕方になっていた。
「さて……」
ルークは椅子に座り、今日の記録を広げる。
コカトリスの個体関係。
サラマンダーの食欲不振。
カーバンクルの行動の変化。
マンドラゴラの生育環境。
調べたいことが、どんどん増えていく。
「……これ、全部調べるには何日かかるんだろう」
思わず笑ってしまった。
人間の研究院にいた頃は、研究を続ける理由を何度も説明しなければならなかった。
役に立つのか。
成果は出るのか。
軍にどう貢献するのか。
そんなことばかり聞かれていた。
けれど、今は違う。
魔物の行動に困っている人たちが、自分のところへ相談に来てくれる。
自分の研究が、必要とされている。
「……頑張らないとな」
ルークは新しい紙を取り出した。
まずは、今日見たことを整理しよう。
そう思ってペンを握った、その時。
「随分楽しそうね」
「うわっ!」
またしても背後から声がした。
振り返ると、リゼットが扉にもたれていた。
「……リゼットさん。いつからいたんですか?」
「今来たところよ」
「ノックしてくださいよ……」
「したわよ。返事がなかっただけ」
「……すみません」
リゼットは机の上を見る。
「すごい量ね」
「はい。今日だけで結構相談が来たので」
「全部引き受けたの?」
「とりあえず話だけは聞きました。調べるのはこれからですけど」
「……本当に好きなのね」
「はい」
即答すると、リゼットは少し笑った。
「それなら、もう一つ頼んでもいいかしら」
「依頼ですか?」
「ええ」
「どんなモンスターです?」
「それが、ちょっと厄介なのよ」
リゼットは一枚の報告書を机に置いた。
「軍の繁殖施設で、問題が起きてるの」
「繁殖施設?」
「ええ。何をしても、うまくいかないらしいわ」
ルークが報告書を手に取る。
「……なるほど」
ざっと目を通す。
そして、顔を上げた。
「実際に見に行ってもいいですか?」
「もちろん。そのつもりで来たんだから」
「じゃあ、明日の朝にでも」
「分かったわ」
リゼットは頷く。
ルークはもう一度、報告書を見る。
そこには、これまで研究したことのないモンスターの名前が記されていた。
「……これは、面白そうですね」
ルークは思わず笑った。
こうして。
魔族領での新しい研究生活は、ますます忙しくなっていくのだった。
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